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三年生編 第91話(9) [小説]

父さんには辛い時間だっただろうな。

心情的には抱え込みたい。
でも、そうするとさゆりちゃんが腐ってしまうのが最初から
見えてるんだ。

同年代の子とずれればずれるほど、復帰するのにエネルギー
が要るようになる。
引きこもってる間に、そのエネルギーが湧くわけないじゃん。
傷の痛みが軽くなるだけで、それ以外はなにも出てこないよ。

じゃあ、父さんがそれを言ってさゆりちゃんをどやせる?
無理だよ。信高おじちゃんの代わりに恨まれるだけ。
母さんのどやしだって、ひやひやだったんだから。

子供のトラブルに詳しい、僕らとは利害関係のない専門家に
適切なアドバイスをもらうこと。
今は、それしか突破口がないと思う。

「済まんな。余計な心配かけさせて」

「いや、健ちゃんさゆりちゃんには、僕らの辛い時にずいぶ
んサポートしてもらったからさ。僕に出来ることはするよ」

にこっと笑った父さんが、立ち上がって僕の肩をぽんと叩い
た。

「いつきは、俺の時より大人びるのが早いな」

「そう?」

「それでも、あまり生き急ぐなよ。のんびり行け」

「あはは」

うん。
父さんの言葉は……うれしいね。

いずれ、僕らはなんでも自力でこなさなければならなくな
る。黙っていてもそうなるんだ。
それなら、補助輪付きの期間はしっかり楽しめ。
そういうことだよね。

父さんが部屋を出て行ったあと。
僕はゆっくり肩を回して解した。

家庭の雰囲気っていうのも、一種の匂い。
そして、うちの匂いは淡くて緩い。
それが……うれしいなあって。


           −=*=−


「あ、森本先生ですか? 工藤です。ご無沙汰してますー」

「どうしたの? 御園さんを孕ました?」

ひりひりひり。

「せんせー。そのネタはもう止めましょうよー」

「何言ってんの。私はそれくらいしか楽しみがないんだから」

ひーん。

「いえ、ちょっと従妹のことでご相談が」

「は? 工藤くんの従妹?」

「正確にはまた従妹なんですけどね。実生とおない年。小さ
い頃から仲がよかったんで」

「その子がどうかしたの?」

森本先生に、これまでのことをざっと話した。

「ふうん。なるほどね。まあ、直接話してみるかな」

「すみません。僕らより、向こうがスタックしちゃったみた
いで」

「そんなに心配しなくていいわ。親がちゃんと子供に向き
合ってるなら、調整だけ。お茶の子さいさいよ」

さすが、プロ。場数を踏んでるだけある。
お茶の子さいさいと言い切ったよ。
思わず携帯を拝んでしまった。なむなむ。

「それより、弓削さんの方がずっと厄介」

「ですよね……」

「そっちは時間をかけるしかないね。でも、伯母さまが本当
にしっかり後見してくださってる。頭が下がります」

「いい方向に行って欲しいです」

「そうね。今のところ、妹尾さんのプログラムは順調にこな
せてる。あとはスタッフの確保と引き継ぎをどうするか、だ
ね。伯母さまとも相談して、プランを詰めます」

「お願いします!」

「御園さんにもよろしく言っといて。早く工藤くんを押し倒
しなさいって」

「せんせえええええっ!」

「うけけけけ」

ぷつ。

ったく。
相変わらずおちゃめなんだから。

でも、森本先生は行動が早い。
信高おじちゃんやさゆりちゃんが動けない状態を、さっと解
消しにかかるでしょ。

少しほっとして、そして気付いた。
ヘリオトロープの甘い匂いが、じわっと部屋を満たし始めた
ことを。

「うん。いい匂いだ。でも……これは僕の匂いじゃないね」




heliotrop.jpg
今日の花:ヘリオトロープHeliotropium arborescens


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三年生編 第91話(8) [小説]

「新学期始まっちゃったから、どっちにしてもリスタートの
タイミングは遅れる。そこをどう考えるか、だよなあ」

「どういう意味だ?」

「中途半端に復学してネガな気持ちを引きずるより、いっそ
留年して最初からやり直した方がいいケースもあるかなあっ
て。僕の知り合いを見回した感じでは」

「ほう。どういう子がいるんだ?」

「しゃらの中学の同級生は、高校入ってすぐに親との縁が切
れちゃった」

「!!」

父さんがのけぞって驚いてる。

「そんなこと……ありうるのか」

「いろいろあってね。結局入った高校からこぼれちゃって、
一年留年さ」

「その子は、今はどうしてるんだ?」

「働きながら、同じ高校に復学したよ。ワーキング高校生」

「定時制や通信制でなしに、か」

「そ。ちゃんと普通科の高校に通ってる」

「なるほど。それはすごいな」

「後見してる人がしっかりしてるからね」

「うーん」

「僕の先輩にもそういう人がいたし、基本やりたいことが決
まってる人はリスタートの後ふらつかないんだ」

「そこだよな」

「うん。僕もそこが鍵かなあと思うんだよね。だから、すっ
ぱり留年するんなら、復学するまでの間は外に出ないとダメ
だと思う」

「働けってことか?」

「そう」

「……」

「さゆりちゃんがそれ無理って思うなら、出来るだけ早く復
学して、留年回避に全力を注ぐしかないよ」

「ああ」

「僕が中学の時に必死に受験勉強がんばったのは、特別視さ
れたくなかったから。あいつは弱っちい。何も出来ない役立
たず。そういう見方をされちゃうのが、どうしてもいやだっ
たから」

「……」

「みんなと同じラインからスタート出来たから、ぽんいちに
入る時も入ってからも変なコンプレクスを感じなくて済んだ
かなーと思う。だから、早く立ち直れたんだよね」

「そうだよな。さゆりちゃんにもそう考えて欲しいんだが」

「たださ」

「ああ」

「さゆりちゃんの家族にすら出せない結論は、僕らが後押し
しても出せないよ。僕は、むしろプロに任せた方がいいかな
と思う」

「カウンセラーとか、か?」

「そう。僕らの知らない人だとちょっとアレだけど、実生へ
のつきまとい事件の時に動いてくれた森本先生とか、今伯母
さんちで弓削さんのケアで動いてる妹尾さんとか、頼れる人
がいるからね」

父さんが、ほっとした顔をした。

「確かにな。いつきの方で連絡を取ってくれるか?」

「いいよ。まず森本先生に打診する。直で話せば、さゆりちゃ
んも何かアドバイスをもらえるでしょ」

「助かる」



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三年生編 第91話(7) [小説]

いつもより遅い夕飯のあと、部屋に戻って勉強再開していた
ら、ドアをノックする音が。

「ほい?」

「ああ、俺だ」

父さんか。珍しいな。

「どうぞー。開いてるよ」

きょろきょろと僕の部屋を見回しながら、父さんがゆっくり
入ってくる。

「父さんが僕の部屋に来るのは珍しいね」

「まあな。家族と言っても、居室はプライベートさ。どうし
ても遠慮するよ」

なるほどー。

「ああ、ちょっといつきに相談があってな」

「さゆりちゃんのことでしょ?」

「さすが。勘がいいな。そう」

「どうなったの?」

父さんが、疲れた顔でベッドに腰を下ろした。

「俺の手には負えないよ。自分の子供のことじゃないんだ」

「そうだよねー」

「信さんには、さゆりちゃんの説得を手伝ってくれって散々
せっつかれたんだけどな。俺には出来ない」

「そりゃそうだよー。僕らは助言は出来ても、責任は取れな
いもん。最後の判断はさゆりちゃん自身がしないと、結局解
決しないでしょ」

「ああ。その通り」

「信高おじさんは、どうしようと思ってるの?」

「信さんと健ちゃんは、家から離した方がいいって考えてる
らしい」

「ふうん……全寮制とか寄宿舎とか」

「そう。家に居ればお互いの顔色をうかがうような雰囲気に
なる。それでなくても萎縮してしまってるさゆりちゃんが、
ますます自分を出せなくなる」

「でも、家に居たいさゆりちゃんと心配性のおばさんが渋っ
てるってことかー」

「その通り」

「さゆりちゃんはどうしたいって?」

「家から通える私立に転校することには前向きなのさ。た
だ……」

「時間が欲しいってことでしょ?」

「そう。でも、留年を回避するなら猶予はない。いつきが警
告した通り」

「それに、間が空けば空くほど学校に戻りにくくなるよ。た
とえ転校したとしてもね」

「そうなんだよ。信さんは、傷付いてるさゆりちゃんにきつ
いことは言えない。でも、基本線は最初から変えてないんだ
よ」

「いつまでも親や健ちゃんに甘えるなってことね」

「ああ。その厳しい姿勢が、どうしてもさゆりちゃんに透け
て見えてしまうんだよ。そこが……な」

「それで父さんを噛まそうとしたのか……」

「信さんの考えは分かるし、もっともだと思うけどさ。親の
代わりに俺が説教することは出来ないな」

「無理だよー」

ふう……。



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三年生編 第91話(6) [小説]

智美さんがラッピングしてくれてる間、店舗の奥の住居ス
ペースで、娘さんとおばあちゃんが僕に向かって手を振って
いた。

今ドアを開けちゃうと、娘さんが脱走しちゃうからだろなあ。
でもあの時生まれた娘さんが、もう二歳なんだよなあ。
早いなあ……。

「はい。お待ちどうさま。350円です」

おっと。
慌ててお財布を出して、お金を払う。

「いつもありがとねー」

「また来ますねー」

「はあい」

智美さんに手を振って、店の明かりが届かないところまで歩
き過ぎたところで。持っていた買い物の荷物もさっき買った
ヘリオトロープも暗闇の中に紛れた。
僕の手に加わる重みとかすかに漂ってくるヘリオトロープの
花の匂いだけが、そこに何かがあることを示してる。

ああ……全てが見える形になれば、どんなに便利だろうと思
う。それなら、疑う必要も裏切られる心配もなくなるから。
僕は信じられるものだけをチョイスして、自分の空間を埋め
ればいい。部屋の中も、心の中も。

でも、そんなことは誰にも出来ない。
出来ないからこそ、トラブルが起きる。
誰も望んでいないトラブルが。

「ふうっ!」

僕は、顔を上げて灯り始めた街灯を見上げた。

「だけど。見えないからこそ見ようとするんだよな」

さっき、しゃらのアパートで、しゃらが僕に大丈夫って言っ
たこと。その言葉には、何の根拠も裏付けもない。
そんなもの、なんの支えにも頼りにもならない。

もしそれが。
しゃらの口から出た言葉じゃなければね。

でも、僕らはその言葉を二人でちゃんと裏打ちしてきたんだ。
お互いが、本当に相手を信じられるようにって。
ぶきっちょな僕らは、何度もぶつかりながらそれにトライし
てきたんだ。
だから、しゃらは僕に大丈夫って言えるし、僕もそれがしゃ
らの本心なんだって信じられる。

暗くてよく見えないヘリオトロープの花を見下ろす。

花のないところから匂いなんかしないよ。
そこに花があるから……匂うんだ。
その花がどんなに小さくて地味でもね。


           −=*=−


僕が買い物から戻ってきたら、母さんと実生がすでに臨戦態
勢に入っていた。

「いっちゃん! じゃまだから下に降りてこないでね!」

「うへえ。はあい」

「お兄ちゃん、じゃまっ!」

とほほ……。

実生が、床いっぱいに広げられた衣類やベビー用品を小分け
にしてビニール袋に詰め、内容確認しながらばしばしタック
シールを貼っている。
何も考えないで、その日付のものを使ってくださいってこと
なんだろう。

母さんは、台所で山のような食材と格闘している。
数日分の備蓄を提供して、あっきーへの負担を軽くするんだ
ろうな。あっきーも受験生だからね。

こうなると、僕の出番はない。
退散!

自分の部屋に入って、あらためて見回してみる。
相変わらずものが極端に少ない、そっけない部屋。
でも、そこには二年半の間に僕の匂いと気配が染み付いたん
だろう。

ここで泣いたこと。吐いたこと。汗を散らしたこと。
僕の感情と行動は、それを部屋にきっちり塗りたくってきた
んだ。
見えるものは何も増えていなくても、僕の存在だけはくっき
りと刻み込まれているんだろう。
ここを出た後で、僕はそれをどう思うようになるんだろうな。

考え事を部屋の隅に放り出し、ぎしりと椅子を鳴らして机に
向かった。
それから数学の問題集を出して、今日の分を解き始める。

いろいろあっても、過ぎた今日はもう戻ってこない。
その時間を……無駄にしたくないから。




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三年生編 第91話(5) [小説]

僕は足を止めて考え込む。
僕としゃらの間だって、そうなんだ。

来知大の奥村さんに言われたこと。

『学生の間の恋愛はシミュレーションに過ぎない』

聞きようによってはかちんと来る言い方だったけど、冷静に
考えたら確かにそうだよなと思う。

生活の苦労がない間は、相手から何かして欲しいっていうの
ばっかが先に出る。
僕のこと、わたしのことが好きなら、それは当然でしょって。

学生のうちは、一緒にいるだけで幸せって感じられるから、
リクエストがささやかなんだ。
でも、自立したらそのリクエストが大きくなるんだろう。
そうしたら、自分がしっかりしていないと何ももらえない
し、何もあげられない。

現実のプレッシャーを跳ね返すたくましさがないと、恋愛な
んか続かないよ。
奥村さんの警告は、そういうこと。

うん。確かにそう思う。

僕もしゃらもバイトをしてる。社会経験の先取りはしてる。
でも、それもさっきの恋愛と同じで、シミュレーションに過
ぎない。

バイトは他の人と置き換えが利く。
僕らには大事な意味があっても、雇っている方にはそんなに
意味がないのかもしれない。
きちんと職を決めて働いている人と、同列には並べられない
んだよね。

僕らは、まだいろんなところが仮免だ。
その仮免で動かせるところをいろいろやってみて、その間に
心身をタフにして次のステップを考えていかないと……きっ
と続かない。

僕らが何か決めたこと。
会長が何か決めたこと。
同じようでいて、まるっきり違う。

僕らは、まだまだ気楽に修正出来る。
でも、会長の決断にはほとんど修正の余地がないんだ。
それを、しっかり心に刻み込んでおかないとならない。

「おっと。さっさと済まそう」


           −=*=−


せっかくスーパーまで来たんだから、智美さんの花屋に顔を
出すことにした。

「こんばんはー」

「あら、工藤さん。お久しぶりですー」

「何か出物がありますかー?」

「うーん、今はちょうど端境(はざかい)なのよねえ」

智美さんがぐるりと店内を見回す。
そうなんだよね。夏花はもうセール終盤。秋の花にはちょっ
と早い。まさに夏枯れ、だ。うーん。

「こんなのはどうです?」

ごそごそと店内を探し回っていた智美さんが、ポリポット苗
をひょいと差し出した。
もさっとした小さい木だ。

「なんか……地味ですね」

「匂いを嗅いでみて」

「ほ?」

枝先の、紫色の小花がごしゃと固まっているところに鼻を近
づける。

「わ、あまーい匂いがする。へえー」

「ヘリオトロープです。香水原料にもなる木ね」

「見かけによらないなー」

「あはは。でも香料として使われる花って、派手なのはそん
なに多くないよー」

「そうなんですか?」

「そう。イランイランとかニオイスミレとか、このヘリオト
ロープとか、花自体はむしろ小さくて地味なの」

なるほど。

「その地味な花でも虫を呼べるように、香りが地味さを補佐
してるってことなんでしょ」

「納得です」

「ヘリオトロープは、温度さえあればずっと花を着けてくれ
るの。四季咲き性が強いし、切り戻してサイズを調整出来る
から育てやすいです」

「そっかあ。じゃあ、一鉢ください」

「はあい、お買い上げありがとうございますー」



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三年生編 第91話(4) [小説]

少し体調が回復して外に出られるようになったしゃらのお母
さんが、商店街での買い物から戻ってきて、狭いアパートの
部屋はすごく賑やかになった。

やっぱり、体調と気分は連動するよね。
お母さんはずっと笑顔だったし、よくしゃべった。

しゃらがはらはらしながら何度も釘を刺してたけど、新しい
理髪店の開業と新居への引っ越しは、お母さんにとってもも
のすごく楽しみなんだろう。

「あと一か月ちょっとなんですね」

「そうなの。工事も順調だし、だんだん新しい店の形が見え
てきた。わくわくするわ!」

「お母さん、はしゃぎ過ぎて体調崩さないでね」

「分かってるわよう」

お母さんが、ぷうっとむくれる。
その姿は、しゃらがむくれる時とそっくり。
うん。間違いなく親子だよなあ。

「わははははっ」

「いっきぃ、何がおかしいのよう」

「いや、そうやってぷっと膨れてる姿がお母さんとそっくり
だなあと思って」

「えええっ!」

二人して必死に否定する。

「違いますよ!」

「似てないよう!」

「ほら、そっくり」

「いっきぃ!」

ぎゃははははっ!

うん。
こうやって、屈託なく笑っていられる日が一日でも長く続け
ばいいな。
僕は、涙を流して大笑いしながら……そう祈る。


           −=*=−


しゃらのアパートを出て、真っ直ぐ帰らないで一度スーパー
に行った。

たぶん、会長の家はまだばたばたしてるはず。
母さんも、差し入れのことがあるから何か買い物リクエスト
をするだろうと思ったんだ。

電話したら、案の定。
メモしないと覚えきれないほどのリクエストが来た。
一度電話を切って、メールで買い物リストを流してもらう。

僕は、かごの中に頼まれたものを放り込みながら、ふと考え
る。

津川さんとの同居が始まったから買い物の量が増えるけど、
会長は運転免許を持っていない。
車を運転出来るのは、ご主人だけなんだよね。

買い出しがしんどくなるだろなーと……思う。

そして、津川さんは家事が苦手で……中でも料理はまるっき
りだめ。自分でそう言ってたんだ。
二人の男の子の遊び相手にはなれても、家事負担は頼めない
んじゃないかな。
あっきーがいるうちはいいけど、あっきーが会長の家を出た
ら確実にきつくなると思う。特に、会長が。

津川さんにとっても勇気の要る決断だったと思うけど、それ
は会長にとっても同じだ。同居したことのない人と一緒に暮
らしていくんだから。

互いに欲しいものを、全てぴったりに渡せるとは限らない。
いや……そんなことはありえない。
どうやって、お互いの欠片を満たしていくか。
その方法は、手探りで見つけていくしかないんだろう。

「……」


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三年生編 第91話(3) [小説]

古びた、時代を感じる部屋。
仮住まいのこのアパートも、時代感は前に住んでいたおばあ
さんの家とそれほど違わない。
父さんがまだ公務員だった時に転々としていた古い宿舎と同
じで、誰かの手垢がついた狭い空間だ。

そこは、いつも誰かが住んでいたんだっていう安心感をくれ
た。
僕らは古いなあぼろいなあって文句を言うより、人の気配が
残っているのがなんとなく好きだったんだ。

きっと、しゃらもそうだと思う。
最初のお父さんの家も、そこから住み替えたおばあさんの家
も、決して新しくはないけどいつも人の気配があって、暖か
かったんだろう。

でも。
僕はここに越して来る前の宿舎で、その暖かい人の気配に初
めて強い嫌悪を感じたんだ。
誰も僕を分かってくれない。僕を認めてくれない。
人なんか僕を壊そうとするだけで、僕を創ってはくれない。
そんなもの、要らない! 絶対に要らない!

父さんが新しい家を買って、そこに引っ越すって話をオープ
ンにした時。
僕がどうしてわくわくしたか。嬉しかったか。
本当の理由は……僕の親も分からないと思う。

僕は……僕以外の人の気配がない、僕だけの空間が欲しかっ
たんだ。
一人になりたかったからじゃない。
そこに信用出来ないものを何も入れたくなかったから。

寂しがり屋の実生は部屋をすぐにデコったけど、自分自身す
ら信用出来なかった僕は、中途半端に部屋をいじりたくな
かった。
そこは、空っぽに近いただの倉庫で構わなかったんだ。

何もなければ、それが僕を裏切ることはない……ってね。

そして。
それから二年半経って、僕の部屋は何も変わっていない。
たぶんあの部屋から僕がいなくなって、代わりに誰かが入っ
ても、何の違和感も覚えないだろう。

今なら。
人っていいなあと言えるようになった今なら。
僕は、あの部屋に僕らしさを植え付けたいと思える。

だけどね。
もう間に合わないんだ。

僕は、もうすぐあの部屋を出て行く。
下宿先が新しい僕の部屋になり、今の僕の部屋は客間になる
だろう。
誰がそこにいても構わないけど、誰かのものになることは永
劫にないよそよそしい部屋に。

「ふ」

思わず苦笑してしまった。
僕は……いろんな人から得難いものをもらって、すごく豊か
になったと思う。
でも、僕の部屋は貧乏くじを引いたんじゃないかなあって。
僕なんかに住まわれちゃってさ。

「ちょっと、いっき。何笑ってんの?」

「いや……僕は自分の部屋をもらったけど、そこが最後まで
自分の部屋に出来なかったなあと思ってさ」

「そう?」

「殺風景。倉庫みたいな部屋。今まで僕の部屋に入った誰も
が、みんなそう言ったんだ。あの無感情な弓削さんにまで言
われたじゃん。こんなきれいな部屋見たことないって」

「あ、そういや……」

「自分を人に合わすことで生きてきた弓削さんが、僕にはど
うやって合わせたらいいか分からない。僕の主張が、部屋か
ら何も見えてこない。ぎょっとしたんちゃうかな?」

「……」

「そういうのが、部屋に出ちゃうなあと思ってさ」

ふうううっ。
無意識に、でっかい溜息が出た。

「僕は……本当に変われたんかなあ。変われるんかなあ」

じっと僕を見ていたしゃらが立ち上がって、正面から僕の首
にふわっと両腕を回した。

「大丈夫。大丈夫だよ」

「うん」

ほっと……する。

そうだね。
僕が全然埋められなかったところは、しゃらがいっぱい埋め
てくれた。

僕の欠片をモノじゃなくて、しゃらがいろんなココロで埋め
てくれたこと。
僕は……あの部屋にそれがいっぱいあるんだって、考えるこ
とにしよう。



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三年生編 第91話(2) [小説]

で。
昼休みに、僕としゃらそろって職員室呼び出しになった。
えびちゃんが、腕組みしてシブーい表情。

「あのね。事情は分かったけど、みんなすっごくぴりぴりし
てるんだから、きっちりTPOを考えないとダメよ」

うう。確かにそうっす。その通りっす。
しゃらもべっこりへこんでる。

「は……い」

「自分の親とかならともかくご近所の方でしょ? みんなは
そういう事情が分かんないんだから、うかつなことは口にし
ない。もし、あなた方の同年代の人の出産てことだったら、
あなたたちの交友関係を悪く勘ぐられる。気をつけてね」

ううう、確かにそう。
えびちゃんのお説教はまだ続いた。

「あのね、御園さん。学校が推薦を出す場合、素行面の評価
にはすごく気を遣うの。この子はしっかりしてます、大丈夫
ですって推薦出して、進学後に化けの皮剥がれたんじゃ学校
の面目丸つぶれなの。その後、こっちの推薦を信用してもら
えなくなる」

「う」

「そういうところ……甘く見ないでね」

「はい。ごめんなさい」

「わたしもこんなことは言いたくないんだけど、まだ学校の
中が不安定なんだから、それを忘れないで」

ふう……全くえびちゃんの言う通りだ。
僕もしゃらもいろいろ抱えてたから、どっかにはけ口が欲し
かったってのもあるんだよね。

「これからは気をつけます」

「お願いね」

「はい。すみませんでした」

しゃらと二人並んで、頭を下げて謝った。


           −=*=−


「失敗したー」

「うん、浮かれすぎたね」

「しゃあないよ。ここんとこいろいろあって、僕もしゃらも
結構キてたから」

「はあ……早く落ち着きたいけどなー」

学校帰りに、会長の出産祝いの相談をしようってことでしゃ
らのアパートに寄った。

本当ならもっと盛り上がってるはずだったんだけど、さすが
にえびちゃんの爆撃は効いた。
二人揃って爆沈。

まあ、会長のお子さん誕生のことは、会長が退院してからま
たゆっくり考えればいいよね。
ちょっと落ち着こう。

「ねえ、しゃら」

「なに?」

「お店の方はだいぶ工事が進んだみたいだけど、予定通り?」

どよっていたしゃらの顔が、ぱあっと明るくなった。

「うん! 今のところ予定通りに進んでる。もう外装終わっ
て、内装に入ってるの」

「おおお、順調じゃん!」

「先にお店の方の体裁を整えて、最後に住居の方になるか
ら、本当にここに住むんだなあって感じになるのはぎりぎり
だけどね」

「ふうん……もう中とか、見た?」

「見た見た! こんな広い、きれいなとこに住めるんかな
あって、まだ信じられない」

「わはははっ!」

「いっきの時はどうだったん?」

「父さんから写真は見せてもらってたけど、引っ越すまで自
分の部屋がどんな感じなのかは分かんなかったんだ」

「ええー!?」

しゃらがびっくりしてる。

「そんなもんだよ。注文住宅じゃなくて、建て売りを買った
からね」

「そうなんだあ」

「だから、お隣の鈴木さんとこと全く同じ作りなの。完全に
注文で作ってる会長のところとは、だいぶ雰囲気が違う」

「なるほどなあ……」

「それでも」

僕は、あの時のことを今でも鮮明に思い出せる。

「初めて僕だけの空間が出来る。それは。すっごく楽しみ
だったよ」

「だよねー」

しゃらが目を細めて天井を見上げた。




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三年生編 第91話(1) [小説]

8月31日(月曜日)

会長のお産は、これまでの出産では一番軽かったそうだ。
病院に行って、六時間で分娩室へ。
そのあと二時間で、無事に男の子を出産。

やっぱり男の子だったかあ。
これまでのことがあるから、ご主人もほっとしたんじゃない
かな。

名前も生まれる前にもう用意してあったみたいで、病院から
メールで連絡が来た。

『ご心配をおかけしました。おかげさまで無事男の子が生ま
れました。母子共に健康です。息子の名前は司(つかさ)。
波斗司です。いろいろお手伝いいただき、本当にありがとう
ございます。取り急ぎお礼まで。 波斗 栄』

司くん、かあ。
ご主人が一文字だから、それで揃えたんだな。
栄、進、司、かあ。かっちょいいじゃん。

その名前を、白紙にマジックで大きく書いて。
それを枕元に置いて、幸せな気分で眠りについた。


           −=*=−


「うおっしゃああっ!」

気分は最高!
まだ全体にどよっている教室の中で、やたらにリキが入って
いた僕は浮いていたかもしれない。

会長のお子さん誕生は、いい区切りになる。
八月の最後の最後に、素晴らしい神様からの贈り物だ。
八月いっぱいずるずる引きずってたもやもやは、ここですっ
ぱり切り捨てることにしよう。

当然のことながら、僕以上にしゃらのテンションがむっちゃ
高い。

「ねえねえねえねえ、いっきー!」

「うん?」

「ここまで順調じゃん!」

「だな。ごっつうれしいわ。五条さんとこの千広ちゃん、光
輪さんとこの睦美ちゃん、会長んとこの司くん。みんな安産」

「だよねえ! 次は宇戸野さんとこかー!」

「片桐先輩のご両親のとこと、どっちが先だったかなあ」

「あ、そっちもあったんだ」

「んだ。まあ、めでたいことだから、どっちが先でもいいけ
ど」

「今度は忘れないようにね!」

ぎろっ!
がっつり睨まれた。

ううう、しゃらが把握してるんなら、僕にちゃんとショート
ノーティス出してよう。
てか、高校で朝のホームルーム前にする話題じゃないと思う
の。周囲の視線が、痛いわ痛いわ。

「うふうふ。出産祝いなんにしようかなあ」

「あ、それも考えないとだめだな」

「あとで打ち合わせしよ」

「うい」

えびちゃんが、僕らをちらちら見ながら教室に入ってきた。

「きりーつ!」

「礼!」

「おはようございます!」





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三年生編 第90話(6) [小説]

会長の出産予定日をぺろっと忘れるっていう大失態を犯したけ
ど。
津川さんから嬉しい話を聞いて、気分がぐんと持ち直した。

津川さんが最初に現実的って言ったみたいに、会長の提案は必
ずしも津川さんへの善意からだけじゃないんだと思う。

船員の奥さんが抱えているハンデ。
一年のほとんどを、ご主人抜きで過ごさないとならないってこ
と。
そのマイナスをうまく解消出来なくて娘さんを失った会長は、
どうしてもその失敗を繰り返したくないんだろう。

育児や家事を少しでも分担してくれる、信頼出来る同居人が欲
しい。
期限付きだったあっきーの補助がすごく機能したことで、会長
にも津川さんを呼ぶ踏ん切りがついたんじゃないかなと思う。

会長は、一人が好き? 賑やかなのが好き?
最初は、静かで一人きりが好きなのかなっていう雰囲気だった
んだ。

違うね。会長はずっと一人だった。
好きも嫌いもなく、どうしようもなく一人だったんだ。
芯が強い会長だから耐えられてたけど、本当はものすごくしん
どかったんじゃないかな。

会長がスナックでアルバイトなんて、最初はどうしても信じら
れなかったんだけど。
津川さんと同じで、会長も家にいる雰囲気が欲しかったのかな
あと……そう思えてしまった。


           −=*=−


病院から戻ってきた実生とバトンタッチする形で、今度はしゃ
らが病院に出かけていった。

サポートする方も一人じゃないから、出来ることを人数で割り
振れる。
手伝えることは限られているかもしれないけど、大一番を控え
ている会長に、僕らがいるから安心してって言えることが大事
なんじゃないかなって。そう思う。

「いっちゃあん!」

母さんの呼び声に、部屋を飛び出した。

「なに?」

「お隣に、陣中見舞いを持ってって」

「らじゃー!」

母さんから、でっかいお重をぼんぼんと渡される。
そう。会長の家は住人が増えたんだ。
これから、炊事も洗濯も量が増えるだろう。

家事負担が重くなるのは大変だけど……。
きっと会長は、それを楽しみにするんだろうな。

ああ、こんなにいっぱい大事な家族が出来たんだなーって。



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今日の花:ネマタンサスNematanthus gregarius




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