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【SS】 記憶 (わだっちとお父さん) [SS]


「ぶふぅ……」

汗をだらだら流しながら、娘が制作室から出て来た。
全身木屑だらけだ。

「六月(むつき)。木屑は払い落としてから歩け。後で掃除
するのが大変なんだ」

「へいへい」

言ったってやらないんだろうが、一応小言を言う。

それにしても、まあ。
よくもここまでがさつに育ったもんだ。

いずみも細かいことにはこだわらない性格だったから、間違
いなく遺伝だろう。
それに男親だけじゃ、どうしても情緒面までは手が届かない。
礼儀作法はともかく、細やかな気配りとか慎ましさとかは、
教えようったって教えられるもんじゃない。

もっともいずみが生きてたって、それが出来たかどうかは、
はなはだ疑問だが。
あいつもとことん大ざっぱな性格だったからな。

私が喫茶に戻ってコーヒーを落としているところに、シャ
ワーを浴び終わった娘が顔を出した。
まだ髪が濡れている。
まったく。

「六月、ちゃんと髪を乾かしてから来い。お客さまがいたら
失礼だろ?」

「へーい」

ぱっかあん!

トレイで頭をど突く。

「いったあい!」

「態度がなっとらん!」

「う……ごめんなさい」

おまえは、一々ど突かれないと分からないのか。

頭をさすっていた娘が、何か思い出したように私に聞いた。

「ねえ、お父さん。この前工藤くんたちが来た時にさ、お母
さんとの馴初めの話をしてたじゃん」

「ああ。それが?」

「いや、それでふと思ったんだけど。わたし、一月生まれな
のに、なんで六月って名前なのかなーって」

もっと早く気付け。
ばか。

まあ、このちょっと抜けた性格もいずみ譲りだ。
真っ直ぐで、融通が利かなくて、短気で、激しくて、でも
どっか抜けてる。

中学では、娘の気性を理解してくれる友達がほとんどいな
かった。
娘は孤立を苦にする風ではなかったけど、それが娘の依怙地
さに輪をかけてしまうのが怖かった。

どうしたものか。
娘の前では言えなかったが、私は悩んでいた。

それが……。
高校に入ってから、しなやかになった。

基本線は変わってない。
何も変わってない。
でも自分にないもの、合わないものを、素っ気なく切り捨て
なくなった。

きっかけは、小野寺さんて子に関わったことだろう。
工藤さんが持ち込んだ、深刻な訳ありの子への対処。
娘は生まれて初めて、自分の思うようにならない事態をさば
かなければならなくなった。

世の中には、白黒に分けられないことがいっぱいある。
それに対処するには、自分の心を柔らかくしないとならない。

だが、娘は……。
その前にいきなり自分の人生を賭けた。
ああいう馬鹿げたところも、いずみそっくりだ。

それでも、自分の価値観だけを押し付けるんじゃなく、それ
以外のものも受け入れよう、飲み込もうとする娘のアクショ
ンは、私には本当に嬉しかった。

まだまだこどもだと思っていたが、ちゃんと大人への階段を
上がっているということなんだろう。

「どうしてだと思う?」

「うー、お父さんかお母さんが六月が好きだったとか、有名
な先生でなんちゃら六月っていう人がいて、そっから取った
とか」

「ふふふ。まあ、普通はそう思うだろうなあ」

私は、落としたばかりの熱いコーヒーをカップに注いで、娘
に聞く。

「ミルク入れるか?」

「うん。たっぷりね」

「分かった」

暖かいカフェオレを抱えて、娘がそれをおいしそうに飲む。
私は、それをじっと見つめて感傷に浸る。

「似て……きたな」

「え?」

「おまえの仕草さ。亡くなった母さんにそっくりだよ。誰も
教えてないのにな。不思議なものだ」

私は自分の分のコーヒーを手元に置いて、それを口に含む。

「おまえはな。未熟児で生まれてきたんだよ」

「えっ?!」

娘が驚く。

「普通、赤ちゃんは母親のお腹の中に十月十日留まってる」

「うん」

「おまえは、六か月めで生まれて来てしまったんだ」

「……」

「切迫早産でね。体重が一キロあるかどうかの小さな体で。
急いで生まれて来てしまったんだ」

「そ、そうなの?」

「その頃から、せっかちだったんだろ」

私の浮かべた笑いに、戸惑う娘。

「私たちは心配だったのさ。本当にこの小さな子が、世の中
の荒波を乗り越えて、たくましく生き延びて行けるだろう
かってね」

「……」

「だから、おまえが無事に生き延びられたら。最初の危機を
乗り越えたことを一生覚えていられるようにと、そう思って
六月という名前にしたのさ」

「そっかあ」

もうすぐ誕生日が来る娘に、私が渡せるものはそう多くない。
もっとも、娘の性格なら欲しいものは何でも自力で取りに行
くだろう。

だから、私にしか渡せないものを今のうちに渡しておこう。

私の……大切な記憶を。






ko.jpg





(補足)
わだっちこと和田六月は、いっきのクラスメートで、1Cの
副委員長。そして美術部員です。絵画ではなく彫塑が専門で、
いっきのプロジェクトのデザイン部門の班長をしてます。
まだ子供の頃にお母さんを病気で亡くし、画廊兼喫茶のピク

トールのマスターで、美術商のお父さん(和田 番)に育て
られてきました。
夏にしゃらをモデルにして彫った像は、美術展で特選を取っ
ています。

 


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【SS】 進路 (片桐先輩) [SS]


「みえるー?」

「ん?」

机にだらっと突っ伏していたら、教室の戸口の方から声が掛
かった。

「なんだ、文香か。どしたー?」

「珍しいじゃん、寝てないなんて」

「余計なお世話だ」

ちぇ。

例によって、教室に残っているのはわたし一人だ。
それを知ってる文香は、ちゃんと時間をずらして教室に来る。

「どした? また肩が重くなってきたか?」

いや、違うな。
とても空気が軽い。
小塚さんのとこに下宿するようになってから、文香の抱えて
た重苦しいものが薄くなってる。
いいことだ。

「ううん、そっちは間に合ってる」

「そか」

ててててっと。
机の合間を縫うようにして近寄ってきた文香が、わたしの前
の椅子に、背もたれを抱くようにしてぽてっと座った。

「あのさ、みえるは進路どうすんのかなーと思って」

「うん? まだ完全には固めてないけど、私大でも国公立で
も国文行こうと思ってるよ」

「へえ……。なんか目的あるわけ?」

「別にぃ。なんとなくあたしに合うかなーってとこ。でも、
大学出てそのまんま就職はありえないね」

「ほ? どして?」

「あたしにOLできると思う?」

「無理」

ごん!
とりあえず、ど突く。

「いったあ!」

「そうだと思ってても、人から言われりゃ腹が立つ!」

「だったら聞くなよう」

「ふん。まあ、どうせ親はあたしを放り出すだろうから、大
学行ってる間にちびっと稼いで、放浪したいなー」

「まあた、変なこと考えてるしぃ」

文香が頬を膨らませてわたしを睨む。

変なこと……か。
わたしには、変なことじゃないんだけどな。
人の集まりの中に居れば、わたしは望まないものと向かい合
わないとならない。
そうしたくない、だけ。

祈祷師の目と念を持った、片桐家の血。
それがわたしの中に流れてる。

親父に言わせりゃ、そんなもんあんま役に立たんらしいけど、
それでも引いてしまったもんはしょうがない。
わたしにはいろんなものが見え、それに関われる。
それがわたしにプラスになることはない。
何一つない。

ばかばかしい。
ばかばかしいと思いながら、それでもわたしはそれに関わら
ざるを得ない。

文香だって……そうだった。

どうしてこんなやつが、わたしの隣に。
そう思うくらい、文香の抱えていた怨念は凄まじかった。
わたしは文香を助けたかったんじゃない。
そのどす黒いものが、わたしに倒れ込んで来るのが怖かった
んだ。

だから手を出した。

高校だってそう。
こんな、墓場に立ってるような高校には行きたくない。
受験の時に、わたしは恐ろしさで身震いした。
でも、それ以外に選択肢がなかった。

だから……。
高校に入ってからは、ずっと眠っていたかった。
自分に関わるものを増やしたくなかった。

だけど……。

中庭はどんどん騒がしくなって、わたしは眠ってすらいられ
なくなった。

工藤くんが、中庭に手を出すって聞いた時。
本当は、それがどんなに恐ろしいことかを彼に言いたかった。
次の犠牲者が……彼になりかねないんだから。

でも、彼はわたしとは違った。
彼は動いた。
中庭を調べ、仲間を集め、先生や事務長を説得し、生徒会と
渡り合った。

一年坊主が。
自分の生命を削るようにして。
自分には何の得にもならないのに。

彼を突き動かすものは、わたしには見えない。
そりゃそうだ。
彼の中でもまだ形になってないんだから。

でも無心に突き進んだ彼がわたしに運び込んで来た陽の気は、
わたしの想像をはるかに越えていた。
わたしの中の諦めとか無気力感とか無常観みたいなもの。
そういうのを、わたしの奥底に抑えこんでくれる。

それが……とても気持ちよかった。

だけど、それは時限付きだ。
ここを出れば、わたしはまたそれと向き合わないとならない。

ふう……。

「ねえ、何考え込んでんの?」

おっとっと。

「いや、なんで文香がそんなん聞きにきたんかなーと思って
さ」

「ええー? だって、みえるってば、そういうの全然言わな
いじゃん。ふこーへーだ」

むくれる文香。

「あんたは決めたの?」

聞き返す。

「決めたよ。福祉関係にするつもり。行き先はアタマとおカ
ネに相談だけど」

「ふうん……。なんで、そっち方面?」

「だって、今のわたしはもらってばっかだもん」

……。

「みえるにだって、五条さんにだって、森本先生にだって、
おばあちゃんだって。もらうばっかで、何も返せてない」

「そ……か」

「みんなに直接は返せないからさあ。返せる人に返せばいい
かなって」

「すごい……な」

「すごかないよー。でも、せっかくもらったチャンスなんだ
から、ちゃんと活かしたいもん」

「そっか。まあ、がんばんな」

「みえるもね」

「ああ。そうだね」

人を支えるって、そんなに簡単にできるこっちゃないね。
でも、隣にいることなら……できるかもしれない。
ありがと、文香。

文香が教室を出て、またわたし独りになる。

わたしの進む道……かあ。
わたしは、背負ったものに流されないで自分の道を歩けるだ
ろうか?

窓際に歩いて行って中庭を見下ろす。

モニュメントのてっぺんで。
鳳凰が……じっと冬空を見上げていた。




ho.jpg





(補足)
片桐先輩(片桐みえり)は、いっきとしゃらの一年先輩。
祈祷師の家の一人娘で、最初はプロジェクト唯一の上級生メ
ンバーでした。中庭もののけ騒動の時にいっきと一緒にその
鎮圧を行い、その縁でいっきたちと深く関わるようになって
います。
また、会長、中沢先生、恩納先輩にも関与してます。


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【SS】 シン (中沢先生) [SS]


鏡は。
見たくない。

あばらの浮いた薄い胸。
乳房の下あたりに無秩序な悪戯描きのように走る、何本もの
赤黒い傷跡。
それを見たくないから。

ぱん、とカランを叩いてお湯を止める。

「ふう……」

湯気で曇って見えなくなった鏡に少しほっとしながら。
わたしは、さっとバスルームを出る。


           −=*=−


冷蔵庫から缶ビールを出す。
よく冷えたトマトを一個スライスして。
プロセスチーズとナッツがちょっと。
自分でも、まるで試食みたいな量だなと思う。

総カロリーが足らないのは分かってるけど、喉を通らないん
だからしょうがない。
あとで、ゼリーでも食べよう。

バスタオルで髪をわしわしかき回す。
そろそろ髪切らないとなあ。
夏は長いとうっとうしい。
でも、美容院に行く気力がなかなか湧かない。

効きの悪いエアコンの前に座る。
十年間何も手入れしなかったから、さすがにガタが来てるん
だろう。
だけどそれを今さらどうにかしようとも思わない。思えない。

ぴきっ。

プルタブを起こして、ビールを口に含む。

「ふう……」

まともに口に出来るのが酒だけなんてことにはしたくない。
したくないけど、それに近くなっちゃってるのが現実だ。

「やばいなあ……」

thin。やせっぽち。
痩せてしまったのは体だけではないんだろう。

わたしから……抜け落ちているもの。

わたしも千咲も、欲しいのにもらえなかったものがある。
千咲には、もともとなかった。
わたしの場合、あると思ったものがウソだった。

わたしたちが欲しいと望むのは、いけないことなんだろうか?

わたしも千咲も、大野先生の介抱と八内さんや叔父の助力で、
欲しかったものの一部は手に入れることができた。

それでも、それは生きて行く上で最低限必要な部分を埋める
ことしかできてない。

わたしは、虚空から呼ばわる者の声を聞く。

『それは得られぬ。永久(とわ)に得られぬ』



ficu.jpg




わたしは、無意識に自分の肋骨をなぞる。

陸上生物が息をするのに欠かせない器官。
肺。

肋骨は、それをしっかり守っている。
体に残ったのが傷だけで済んだのも、肋骨のお陰だ。

イブはアダムの肋骨から作られたんだっけ。
だったら、わたしは誰かの肋骨から創られてて、その彼がわ
たしを守ってくれたってことなのかもしれない。

でも。
結局アダムとイブは、神によって楽園を追い出される。
きっと彼らも思っていたんじゃないかな。

「……わたしたちが何をしたって言うんだ」

わたしたちは、生きていることを許されない大罪人だろうか?
そんな、恐ろしい罪をわたしたちは背負っているんだろうか?

……と。

Sin。罪。
欲しいものを望むのが罪で、それが認められないならば。
わたしたちは一体どうやって生きていけばいいのだろう?

ああ、いかん、いかん。
生物の教師が考えるようなことじゃなかったな。

わたしは首を振りながら席を立つ。

食器をキッチンに下げようとした時、食器棚のガラスに自分
の顔が映った。
思わず顔を背ける。

ああ、いやだ。

わたしは似てきた。
わたしを裏切った母親の顔に。
まるで、その大罪がわたしにもそっくりそのままあるかのよ
うに。

だから……。


    わたしは鏡を見たくない。




(補足)
中沢先生は、この小説の中では会長、五条さんと並んで準
主役の位置付けになります。ぽんいちの生物の先生で、いっ
きとしゃらの出会いから付き合いのスタートまで深く関わ
りました。いっきたちがプロジェクトを走らせるまでは、
中庭に迷い込む生徒を『拾う』役目を果たしていました。

この話は、まだ中沢先生が両親宅に住んでいて、かんちゃ
んと出会う前のこと。第48話の直後と考えていただけれ
ば幸いです。




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【SS】 ある夜 (恩納先輩) [SS]


夕刊を取りに行くのに、家の外に出る。
ひょえー、寒くなってきたなあ。

「はあっ」

郵便受けのところまで出て、手に息を吐きかける。

わずかに届く家の灯り。
それが当たるところだけわたしの息が白く見えて。
もやっと広がって。

……消える。

「ふみちゃあん?」

あ、おばあちゃんだ。
お風呂から出たのかな?

「はあい」

「寒いからさっさと中入んなさい。風邪引くよ」

「はあい」




nig.jpg





がらがらがらっ。
玄関の戸を閉めて、鍵をかける。

頭にタオルを巻いて出てきたおばあちゃんが、テーブルの上
に菓子鉢を出す。

「ふみちゃんも早くお風呂入っといで。出てきたらおやつに
しよう」

「わあい!」

パジャマと下着を持って、お風呂場に行く。
さら湯は体に悪いと思うんだけど、だからってわたしが先に
入るとも言えないし。
それに、おばあちゃんはあんまそういうのを気にしない。

足が悪いから、おばあちゃんがお風呂に入る時は介助しよう
かと思ってたんだけど、おばあちゃんは自分の出来ることに
手を出されるのをすっごい嫌がる。
自分が出来ることを減らしたくないって。

うん。
その気持ちはよく分かる。

自分で出来なくなったと思った途端に、そこから自分が崩れ
だす。
気持ちがどんどん後ろを向くようになる。

少しくらい痛くても、不自由でも、時間がかかっても。
自分の暮らしは自分でこなす。
ヘルパーさんや娘さんが来ても、わたしが居ても、おばあ
ちゃんはその基本線を絶対に崩さない。

ほんとに気丈なんだよね。

でも……。

わたしは湯船に浸かって、ほっと息を吐き出す。

体が動いても、心に空いた穴を自分で埋めることはできない。
それは……おばあちゃんだけでなくて、わたしもそうだ。
だからこそ、お互いに負い目を感じないで一緒に暮らすこと
ができる。

わたしの欠けてるとこ。おばあちゃんの欠けてるとこ。
形も大きさも違う。
それをわたしが、おばあちゃんが、代わりに埋めることはで
きない。

だけど一緒にいることで、穴に北風が通って心が凍っちゃう
のを防ぐことはできる。

ざばっ。ごしごしごし。
バスルームをきれいに洗って、バスタオルを羽織って出る。

「くしっ!」

ううー。
家の中も寒くなってきたなー。
トイレと浴室周りの暖房を考えないとね。
おばあちゃんと相談しなきゃ。

おばあちゃんがわたしにくれるもの。
それは、愛情や安定した生活だけじゃない。

おばあちゃんと一緒に暮らすようになって、わたしが将来や
ろうって決めたこと。
お年寄りの生き方を支える、老人福祉の仕事。
それには何が必要かを、身をもって教えてくれる。

勉強だけじゃ分からない、大事なこと。
お年寄りの心の揺れ、動き、プライド。
それにどう寄り添っていくか。

おばあちゃんは、わたしにいっぱいヒントをくれる。
生きるヒントを……くれる。


           −=*=−


風呂上がり。
テレビのバラエティ番組を見ながら、おばあちゃんと一緒に
こたつに潜ってお菓子を食べる。

「いやあ、どうやったらあんなバカなことができるんだろね
え。わははははははっ」」

「ええー? あのくらいならわたしでもできますよー」

「しなくていいよ。笑い過ぎておなか痛くなるから」

「ぎゃはははははっ!」

こたつがひっくり返るんじゃないかってくらい、二人で大笑
いする。

おばあちゃんは、独りの時にはこういう番組絶対見なかった
んだって。
しーんとした部屋の中に自分の笑い声だけが響くって、気味
悪いだろって。

一緒に笑える人がいるから、こういうのは楽しいんだよ。
おばあちゃんは、そう言ってみかんを剥く。

わたしの部屋にはテレビはなかった。
理由はおばあちゃんと同じだ。
学校にいる時には感じない、どうしようもない独りの寂しさ。
テレビはそれを増幅しちゃう。

9時ちょっと前。

「よっこいしょ」

おばあちゃんがこたつを出て、洗面所に行った。

そろそろおばあちゃんは寝る時間だ。
そして、わたしはこれからが勉強タイムになる。

「ふみちゃん、先に休むね。勉強がんばるんだよ」

「はあい。おやすみなさーい」

「おやすみ」

特上の笑顔を見せて、おばあちゃんが寝室に行った。


           −=*=−


わたしには、おじいちゃんもおばあちゃんもいない。
わたしが知ってる肉親は、母さんだけだ。

おばあちゃんには孫がいない。
娘さんは独身で、おばあちゃんは孫の顔を見るのをもう諦め
てる。

きっと。
わたしはおばあちゃんに、理想のおばあちゃんの姿を。
おばあちゃんはわたしに、理想の孫の姿を見てるんだろう。
それは、わたしたち以外の人にとってはおかしなことに思
えるかもしれない。

でも……。

隣の部屋から聞こえて来る小さないびきを聞いて。
わたしはほっとする。

ああ。
わたしも。
おばあちゃんも。

……こうやって生きてるんだなあって。





(補足)
恩納先輩は、いっきとしゃらの一年先輩
で、いっきの保健委
員のペア。プロジェクトメンバーでもあります。アパートで
一人で生活していましたが、同じく
一人暮らしだったおば
あさん(小塚さん)と同居を始めました。
恩納先輩の過去やこれまでの経緯については、第115話、
第116話をご参照ください。




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【SS】 ある昼 (長岡さん) [SS]


「いらっしゃいませー」

「ええとね、かりがねを三つと桃山を三つ。それと淡雪を二
つ。詰め合わせしてもらえる?」

「はい、かしこまりました。ご進物ですか?」

「ええ」

「のしはどうなさいますか?」

「のしはいいわ。お茶の先生のところに持って行くから」

わ! 嬉しい!

「すぐにご用意いたします。少々お待ち下さいませ」

「お願いね」

お菓子を箱に丁寧に詰めて。
いつもの包装紙じゃなくて、矢羽根柄の千代紙の包装紙で包む。
紅白の紐をかけて、飾り切りして。

「あらあ! きれいねー」

「ありがとうございます。千四百五十円になります」

「はい」

わたされた千円札二枚をレジに入れて、商品とお釣りを渡す。

「毎度、お買い上げありがとうございます。淡雪は二日、桃
山とかりがねは三日のお日持ちとなっておりますので」

「大丈夫よ。今日のお稽古で使いますから。ありがとう」

お客さんがゆっくり会釈して、店を出た。
年輩のお客さんとやり取りする時は、言葉遣いとか箱詰めと
か、失礼のないようにってすっごい緊張する。

ふう……。



day.jpg





みんなが学校に行って授業を受けている間。
わたしは、静かなお店の中でお客さんが来るのを待ってる。

お菓子作りの下準備をしたいけど、中村さんは自分がいない
時には絶対にそれをさせてくれない。
それは……わたしを信用してないからじゃない。

どんな作業にも、一つ一つに大事な意味がある。
それは中村さんがいないとまだ分からない。
作業に馴れてきたって言っても、わたしはまだまだひよこ。

中途半端な技術で出来損ないのお菓子を作ってお客さんに出
してしまったら、それはわたしの将来に跳ね返る。
中村さんはそう言って、わたしの先走りを戒める。

わたしは……。
道を見つけたと思う。
お菓子を作ることは本当に楽しい。

でも中村さんは、わたしがそう言うと必ず釘を刺す。

「目を反らすためのやる気は空回りするよ。最初はしょうが
ないけど、きちんと自分を見つめてその意味を考えないと、
いい菓子は出来ない。菓子に絞り出された自分が不味かった
ら、それは誰にも買ってもらえないからな」

……耳が痛い。

昼間こうして店にいること自体、わたしが大失敗してしまっ
たことの証拠なんだ。


           −=*=−


あれは……なんだったんだろうって、自分でも思う。
わたしは、パパやママにどうして欲しかったんだろう?

もっと自分を見て欲しい。
お兄ちゃんばっかホメてないで、わたしにもがんばってるっ
て言って欲しい。

でもわたしがそうやって駄々をこねるたびに、気を引こうと
していろいろバカをやるたびに、パパやママはわたしから
もっと遠ざかった。

お兄ちゃんはオトナ扱いするのに、わたしにはこどもとして
すら接してくれない。

寂しかった。
どこまでも寂しかった。
わたしはパパやママのこどもじゃないの?

光二は……。
わたしをオトナ扱いしてくれた。
それが……わたしの思ってたのと違う意味だとしても。

光二のすることがわたしの意味だった。
それがどんなにひどいことでも、わたしにはそれが全部だった。
わたしにはそれしかなかった。

御園さんがわたしに叩き付けたコトバ。

『わたしはあんたになんかした? わたしの全部を壊されな
きゃならないようなこと、した?』

……。

なにも。
なにもしてない。

わたしはただ嫉妬しただけだ。
わたしがいつも隣にいるのに、光二がずっと見てたのは御園
さんだった。

もちろん、光二は御園さんを征服したかっただけ。
好き嫌いなんかどうでもいい。
俺の言うことをきかない生意気な女。
体に俺を刻み込んでやる。絶対に逆らえないように刻み込ん
でやる。そういう執念。

今思えばぞっとする。
でも、わたしの目は全部を通り越して光二に向いてた。
それ以外、何も目に入らなかった。
わたしには光二だけあればいい。

それが……一瞬で全部消えちゃった。
わたしがめちゃめちゃにされてる間、光二がそれをにやにや
しながら見ていたこと。
わたしは……体の痛みよりも、それに……絶望した。


           −=*=−


中村さんに拾ってもらって、おばあちゃんに助けてもらって。
壊れてたわたしは、少しずつ直ってきた。
でも、わたしはまだ自分の傷口をしっかり見れない。
怖くて……見れない。

自分はみじめだ。かわいそうだ。
なのに誰もそれを分かってくれない。
すねて、塞ぎこんで、でも誰かに助けてもらうのをこっそり
期待してる。自分からは何もしないくせに。
工藤さんに厳しく指摘された甘え。

それを……いつも中村さんに見透かされる。

「独り立ちと独りで生きてくことは違うよ。お客さんなしじゃ
店が成り立たないように、独りっきりで生きてくことなんか
できやしない。でも、逃げ癖がついたらろくな人生は送れな
いんだ。まず自分がしゃんとしないとダメだよ」

わたしは……真昼間に、ここにいる。
それは、わたしが大失敗したから。
本当ならすっごい恥ずかしいことなんだ。

来年復学したら、わたしの昼の意味は変わる。
それは普通の高校生のと同じになる。
でもフツーの子と違って、わたしはいろんなことを受け入れ
ていかないとなんない。

一年遅れちゃったこと……そして……そのわけ。
ないことにできない、隠すことができない……わたしの過去。
それから目をそらさないで、きちんと見つめないとなんない。

「ただいま」

中村さんが帰って来た。

「お疲れさまでした。木型、どうですか?」

「ああ、一か月くらいで出来てくるだろう。さあ、昼飯済ん
だら仕込みに入ろうか」

「はいっ!」

わたしは、おばあちゃんの家に駆け出す。
料理してる間に洗濯機も回さなきゃ。

今わたしの昼には、することがいっぱいある。
無駄にしないように、がんばらないとね!





(補足)
長岡さんは、市商を休学して和菓子屋寿庵の店員として働

いている女の子。寿庵の隣に住んでいるおばあさん(指月
さん)の住居の二階に住み込んでいます。
長岡さんの過去やこれまでの経緯については、第33話、
第60〜64話をご参照ください。



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【SS】 ある朝 (かんちゃん) [SS]

 
「……ん?」

薄闇の中で目が開く。
古い家のくすんだ天井が、無表情に僕を見下ろしている。

ここに住み始めてもうすぐ半年になる。
もうそんなに経ったのかっていう感じがする。

刑務所の中で誰とも会話せずに、置物のように過ごしていた
六年間。
底なしの寂しさの中にどこまでも浸かって。
でもそれを感じるのが嫌で。

僕にはほとんど実体がなかったんだと思う。

起きて。
食べて。
作業して。
寝る。

何かを考えるっていうこともなく。
ただひたすら機械的に手を動かして。

その間僕の本体は、膝を抱えてうずくまったままどこかに石
のように転がっていた。
こんな……薄闇の中で。

体を起こして、顔を思い切り振る。

「ふうっ!」

もやを振り払うようにカーテンを開け、部屋に光を入れる。
眩しい。
でも、そこから目をそらさないで、顔を両手で叩いて気合い
を入れる。

ばしん!

「よーしっ!」



morn.jpg

 





店を掃除して、道具類を確認する。
今日も朝早くに予約の電話が入ってきた。
それを白板に控えて、御園さんのご夫婦が来るのを待つ。

「よう! おはよう、かんちゃん」

「おはようございます!」

「今日はどうだい?」

「殿山さんが、朝一で切ってくれって言ってきました」

「ったく、殿さんもぎりぎりにならねえと動かないんだから」

「ははは。でも、髪はともかくヒゲはすぐ伸びちゃいますか
らねえ」

「そりゃそうだけどよ。孫の結婚式に出るってぇのに、当日
の朝に予約入れるやつがあるかい」

「まあ、ああいうのは男は付け足しですからねえ」

「それでも集合写真撮るとか、当日はばたばたすんだよ。や
れやれ」

「おはよう、かんちゃん」

奥さんが来た。

「おはようございます」

「ちゃんと朝ご飯食べたかい?」

「はい」

「今日も忙しくなりそうだから、ちゃんと食べないと保たな
いよ?」

「大丈夫ですよ。燃費はいいので」

「ほほほっ。うらやましいわ」

「さて、開けっか」

開店時間にはまだ少し早いけど、もう殿山さんが来てて、入
り口の前でうろうろしてる。

ねじりん棒を回して、戸を開ける。

「お待ちどうさまです。どうぞー」

「ああ済まんね、かんちゃん。急かして」

「いえいえ、急いで会場に行かないとね」

「はっはっはあ。まあ、じじいの顔がどうなってようが、あ
んま気にするやつぁいねえと思うんだけどさ」

「こちらへどうぞー」

「おう、頼むわ」

「全部ありでいいですか?」

「うん、いつものな」

「はい。油はどうします?」

「ああ、今日はつけてくれ」

「分かりましたー」

僕が椅子の高さを調整している間に、もう次のお客さんが
入って来た。

「いらっしゃいませー!」

「らっしゃい。おう、のぶさん。今日は早いじゃねえか」

「今日は、じゃないよ、今日も、だ」

「わっはっはっはっは」

「あんたんとこは混むからよ。早く来ねえと母ちゃんと話で
きねえからな」

「おいおいおい」

「がはははははっ」

僕の隣の椅子に、馴染みのおじいさんがちょこんと座る。
ご主人は、店を再会するまで無愛想だったってことが信じら
れないくらい、お客さんと話をする。

初めて会った時に聞かされた、信じられない話。
ほとんど壊れていた家庭は、僕が来た時にはもうすっかり修
復済みだった。
そんな不幸が間近にあったなんて信じられないほど。

でも、それは。
無くしたものを取り戻そうとする努力を、ご主人も奥さんも
沙良さんも必死に続けてきたから。
そして、それを支えようとする人たちがいっぱいいたからな
んだろう。

商店街の人たちもお客さんたちも、遠慮なくどんどん心の中
に入り込んで来る。
その戸口を自分で閉めさえしなければ。
ここで暮らすことは、あっけないほど簡単だ。

僕はお客さんの髪を切りながら、自分の姿を鏡で見る。

僕は……何も変わっていない。
寂しがりやのないものねだりで、いつもそれを優しさのマン
トで覆って隠してる。

薄闇の中、膝を抱えてうずくまる石。
まだ僕の中にずっと転がったままだ。

だけど、それをそろそろなんとかしないとならない。
だって、ここはものすごく明るいのだから。
……涙が出るほど。

「いらっしゃいませー!」

一人、また一人と扉を開けてお客さんが入って来る。
待ち合いのベンチが埋まる。

みんな黙ってなんかいない。
奥さんのこと、お嫁さんのこと、お孫さんのこと、庭の話、
ゴルフの話、飲みの話。尽きることなく続くおしゃべり。
それを心地よいBGMのように聞きながら。

僕の忙しい……でも楽しい一日が……始まる。



(補足)
かんちゃんは、しゃらの両親が働く理髪店の従業員で、その
店舗に住み込んでいます。
かんちゃんの過去やこれまでの経緯については、第51話、
第54話をご参照ください。


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