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三年生編 第60話(2) [小説]

そうか。
会長が予想した通りだ。学校の先生が一人も入ってない。
なるほどなあ……。

鈴ちゃんが審査員の先生たちの前に一歩進み出て、もう一度
深々と頭を下げた。

「わたしは、ハートガーデンプロジェクト部長の鈴木則子と
言います。今日はよろしくお願いします!」

鈴ちゃんを挟み込むように四方くんと菅生くんが前に進み出
た。

「僕は副部長の菅生君彦です。よろしくお願いします」

「プロジェクトのジェネラルマネージャーをやってる四方透
です。よろしくお願いします!」

審査員の先生たちが、四方くんの肩書きを聞いて、おーっと
驚いてる。わはは。

鈴ちゃんが、僕らの方を一度振り返ってから、説明を追加し
た。

「プロジェクトは現在部員が72名。顧問の中沢先生と、あ
とはサポーターという構成になっています」

僕らは全員でゆっくり頭を下げた。

「サポーター……ですか?」

滝本さんていう女の人が、審査委員長なんだろう。
鈴ちゃんの説明に小首を傾げた。

「ええと、そこは、後で初代部長の工藤先輩から説明がある
と思います」

「分かったわ」

プロジェクトの執行部の紹介が終わったところで、審査員の
先生にハンドマイクが渡された。

僕らは、審査をどんな風にするのかを聞かされていない。
プレゼンの準備はがっつりしたけど、それが出来るかどうか
もまだ分かんないんだ。
先生たちがどんな審査をしようとするのか、どんなオーダー
を出し、どんな質問をするのか、まだ何も分からない。

どきどきの瞬間。

滝本さんが、マイクを握って笑顔で僕らに話し掛けた。

「こんにちは!」

全員で声を張り上げる。

「こんにちはーっ!!」

「おおっ、やっぱりみんな元気がいいわねえ! 気持ちがい
いです」

にこにこ笑いながら、滝本さんが話を続ける。

「本日こうしてお邪魔しましたが、実はわたしたちの審査は
もう終わっています」

げ……。

場が凍りついた。

「庭というのは、印象が全てです。わたしたちが見た時にど
ういう印象を受けたか。それだけなんです。説明も配慮も要
りません」

……。

「……なんですけどね」

おとと。

「今回こちらにお邪魔させていただいたのは、そういう印象
の枠に収まらない大きなエネルギーを感じたから」

うん!

「正直、庭のデザインや完成度という点ではまだまだ物足ら
ないのは事実です。ですが、ビデオで見せていただいた造営
までのプロセスがとても衝撃的でした」

滝本さんの言葉に、他の二人の先生も大きく頷いた。

「本当? あのビデオで紹介されていたプロセスって、本当
なの? わたしたちはヤラセじゃないのかって疑ってます」

うわ、挑発するなあ。

「ぜひみなさんのエネルギーで、わたしたちの疑いをぶっ飛
ばしてください。楽しみにしてます!」

うまい! さすが、審査員をするだけあるなあ。

滝本さんの最初の一撃で青くなってた鈴ちゃんは、気持ちを
さっと立て直した。

「分かりました! さっそくプレゼンさせてもらっていいで
すか?」

「よろしくね」

「はい!」

鈴ちゃんがさっと手を上げたのに呼応して、僕と江本さんが
前に出る。

「まず、なぜわたしたちの活動にプロジェクトという名前が
付いているのか。そこからプレゼンを始めたいと思います」

審査員の先生たちは揃って頷いた。
そうなの。応募した書類やビデオには、なぜプロジェクトな
のかという説明は一切入ってない。

四方くんが中心になってまとめたビデオでは、最初はプロジェ
クトが出来た理由、つまり『過去』が入ってたの。
それを僕としのやんが全部削らせた。

新入部員の確保じゃなくてコンテストの応募のためなら、後
ろ向きの部分を見せるのはかえってマイナスの印象を与える
よって。
それよか、鈴ちゃんや四方くんの『今』をばっちりカッコよ
く見せた方がいい。

だから今鈴ちゃんたちがやってる合意形成やプランニングの
プロセス、作業風景は丁寧に撮影されてるけど、昔の話は一
つも出てこない。

プロジェクトっていう名称と、今の姿とは必ずしも一致して
ないんだよね。
部長会でも突っ込まれたみたいに、なんでプロジェクトなの、
部じゃダメなのっていう疑問符が付いて回る。
でも、そこをミステリーのままにしておいた方がおもしろい
じゃん!

今回の受賞では、間違いなくそこがキーポイントになったん
だ。僕や鈴ちゃんにとっては、してやったりなんだよね。

先生たちが来られてる今。
今こそ、そのミステリーの謎を解こう。

それは先生たちへのアピールであると同時に、一、二年生た
ちにこれまでの経緯をしっかり教える大事な機会でもあるん
だ。
何があったかが問題なんじゃない。それをどう乗り越えたか
が重要なの。そこをきっちり見せたい。



三年生編 第60話(1) [小説]

7月7日(火曜日)

いよいよXデイ。
ぽんいちの中庭の特別審査の日が来た。

審査は学校のカリキュラムの邪魔にならないようにって、普
通は昼休みか放課後に設定されるらしいけど、安楽校長が四
時限を全学年全クラス自習にするっていう粋な計らいをして
くれた。

プロジェクトのメンバーだけが勝手にやってることじゃない。
学校側も生徒も、みんな中庭に関心を持ってるっていうこと。
それをきちんと見せたいっていう校長の説明だった。

安楽校長。
ありがとうございます!

審査員の方たちは11時に校長を表敬訪問して、校長と顧問
の中沢先生の案内で中庭に移動し、11時15分から審査を
始める。

プロジェクトメンバーはホスト役ということになるので、自
習の義務を解かれて11時から準備と対応、プレゼンに当た
るんだけど……。
準備と本番合わせても、実質二時間ない。
まさに短期決戦だ。

昼休みにはミニイベントも同時開催するから、頼むから雨降
らないでくれっていうのが僕らの心の底からの願いだった。
部員総出で何百個もてるてる坊主を作って、中庭に張ったロー
プにぶら下げた。

昨日は一日中雨降りでどうなることかと思ったけど、今日は
分厚い曇り空ながらなんとかこらえてる。
天気予報ではこれから回復傾向って言ってたから、本番はな
んとか雨の心配はなさそう。
てるてる坊主にずぶ濡れになってもらった効果はあったみた
いだ。

朝一で僕とみのんとでてるてる坊主を撤去して、イベ班にバ
トンタッチ。短時間でセッティングに取り掛からないとなら
ないイベ班は、これから大忙しだ。
しゃらもちっかも、大声で下級生に指令を出しながら忙しそ
うに走り回ってる。

んー。そこが僕的にはどうも……なあ。
牽引役が違うじゃんか。それは黒ちゃんの仕事だぞー?

「ふう……」

結局しゃらはこの前の僕の懸念をもっともだと考えてくれた
みたいで、茶華道部の板野さんにクレームをつけさせる作戦
をぎりぎりで回避した。
それで、一年生たちを直接どやすことにしたらしい。

あんた方、プロジェクトを潰すつもり?
わたしたちはもう卒業だからそれでも構わないけど、まじめ
な部員に恨まれるよって。

そういうネガな材料で引っ張るのは感心しないんだけど、本
番直前ならそれくらいやらないと効果がない。
今のイベ班の子が全員やる気ないっていうならともかく、一
人でも責任感のある子がいるなら、その子に旗を振らせるし
かないからね。

部員数だけぶくぶく膨らんで、中身が無責任なお客さんばか
りになってしまうんじゃ部活の意味がないもん。

実務の仕事はもう終わってる。あとはプレゼンだけなんだ。
だから今のイベ班の子だけでなく、手の空いてる人は全員ミ
ニイベントの補助に回ってもらう。
そして、今のイベ班の子にその作業を全部仕切らせることに
したって。
うん。それはすっごくいいアイデアだと思う。

仕切るっていうのは簡単に出来るように思うけど、結局自分
から率先してやらないと誰も動いてくれない。
そういうのは、自分がその立場にならないとなかなか分かん
ないんだよね。

しゃらとちっかがまとめた膨大な作業リストを見て、だらけ
てた子らはぎょっとしたらしい。
ちょっと、これ全部わたしたちがやるのって。
ばかたれが。少しはしゃらたちの苦労を思い知れって。

おもしろいなあと思ったんだけど、そこで真っ先に気持ちを
切り替えたのは、女の子じゃなくて男の子たちだった。

二年生の四天王と同じで、やっぱり男の子の方がプレッシャー
に強くて、いざという時に馬力が出る。
すぐに小さなグループに固まっちゃう女の子と違って、一人
でもがしがし動くんだよね。

新人歓迎会の時に、最初に僕のいるテーブルに来た高橋くん
て子。
その時は大人しくて引っ込み思案かなあと思ったんだけど、
そんなことはなかった。
一切文句を言わないで、他の男子部員を巻き込んでばりばり
仕事をこなし始めた。

女の子トップで仕切る、仕切られるの関係が出来ちゃうと、
それが微妙に感情に跳ねるんだけど、男の子が引っ張ると女
の子は逆に割り切るんだ。しゃあないかあって。
そこらへんがすっごい不思議。

僕は、男の子だから女の子だからって見方はあんまりしたく
ないんだけど、現実として自然に男女での役割分担が出来て
くる……というか出来てしまう。

まあ、それは流れに任せるしかないよね。

しゃらとちっかの全力サポートはあったけど、無事に他部と
の打ち合わせや準備を済ませて本番に臨めることになった。
やれやれだ。ほっとする。

そしていよいよ本番。
11時集合の全部員が持ち場をもう一度点検して、委員の先
生たちが中庭に来るのを待ち受ける。

やっぱ……緊張するよなあ。
不安と期待が入り混じった状態で、そわそわしながら中庭で
待機していた僕らのところに、校長と中沢先生が何人かの人
を引き連れてやってきた。

男性が二人と女性が二人。四人か。
でも男の人の一人はマスコミの人みたいで、ばしゃばしゃ写
真を撮りながら校長と話をしてる。
きっと、取材なんだろう。

ってことは、審査員の先生は三人か。
みんなそこそこの年齢だな。あらふぉくらいかな。

校長が鈴ちゃんを手招きした。
ぱっと走っていった鈴ちゃんの後ろに、ぴったり四方くんと
菅生くんが付いていく。

鈴ちゃんたちが、三人揃って先生たちにぺこっと頭を下げた。
僕らもそれに合わせて丁寧に一礼する。

最初に校長から、審査員の先生たちの紹介があった。

「本日、本校の庭の審査をしてくださるのは、ガーデンデザ
イナーの滝本早百合さん、株式会社アーバングリーン設計部
主事の大向(おおむかい)智治さん、そして株式会社緑水園
の企画開発課長の永江久美子さんです。くれぐれも失礼のな
いようにね」

「はい!」

鈴ちゃんが、元気な声を張り上げた。




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三年生編 第59話(5) [小説]

昨日の、弓削さんのケアに絡んだ微妙なやり取り。
それでしゃらの心に付いた引っかき傷が、今ので全部解消し
たってことにはならないだろう。

でも、去年ならものすごくもつれただろうトラブルが、なん
となく短時間で丸まるようになってる。
それだけ、僕らも前に進めたってことなのかな。

「さて」

椅子から立った僕は、しゃらの横に座って正面からハグした。

「きゃっ」

「だって、外じゃ出来ないもん」

「う。そっか」

ぴったりしゃらの顔の頬に自分の頬を寄せて。
その体温を確かめる。

「うふふ」

しゃらが無邪気に喜んだ。

「このまま泊まって行きたいなー」

「あほたれ」

「ぶー」

膨れっ面のしゃらのお腹が、景気良くぐーっと鳴った。

「ぎゃはははははっ!」

「ううー、恥ずかしー」

「もう、そんな時間かー」

「あ、帰らなきゃ」

「送るよ」

「いい。ちゃりで来たし」

「そう?」

「うん。すっきりしたから。気持ち良く帰れる」

ぽんと立ち上がったしゃらが、もう一度僕の正面からはぐっ
と抱きついて、それからひらひらと手を振った。

「ありがと!」

「やっぱ、元気なしゃらが一番さ」

「うん!」

二人してリビングに降りたら、母さんがタッパに何か入れて
しゃらを待ってた。

「御園さん、お母さんのご様子は?」

「今、ちょっと良くないです。引っ越しの疲れが出たし、お
兄ちゃんのことも負担だったみたいで」

「そうだよねえ。無理なさらないようにお伝えください」

「ありがとうございます」

「これね、ちょっとだけど、筑前煮作ったから持ってって」

「わーい! 助かりますー!」

出来立てほかほかの筑前煮。
にんじん、れんこん、ごぼう、しいたけ……。
じゅる。おいしそー。

「見てたら腹減ってきたー」

「あはは。うちもすぐお夕飯にするから」

「筑前煮のごぼう、味吸っておいしいですよねー」

「御園さんは好きなの?」

「大好きです!」

「そう。それじゃ」

母さんが、何かの花束をしゃらに渡した。

「え?」

「ふふ。それ、ごぼうの花よ」

「わ! 知らなかったー!!」

アザミみたいな、とげとげのついた紫色の花。

「へー! 僕も初めて見たなー」

「おもしろいよー。野菜のくせに野生化するんだって。タフ
な花よね」

「野生化!」

すげえ!

「飼い慣らされる前はどんな野菜も野生だったわけだから、
そういうガッツが今も残ってるっていうのは頼もしいと思わ
ない?」

「はい!」

「ごぼうに負けないで、がんばってね」

「ありがとうございます!」

花より団子。
夕飯の支度を手抜き出来る方が、今のしゃらには嬉しいだろ
うけど。
そんなことはおくびにも出さずに、ご機嫌なしゃらが鼻歌を
歌いながら帰っていった。

やれやれ。
なんとか一難去った……。

家の前でしゃらの後ろ姿を見送っていたら、斜向かいの家か
ら伯母さんがのそっと出てきた。

「ケアしたの?」

「ズレてたのを、擦り合わせただけですよ」

「ふうん」

「伯母さん」

「なに?」

「昨日のやり方は、なしです」

「……」

「力技は、逆効果になることもあります」

「……」

「どんな豪速球投手でも、直球だけじゃ打たれるんです。く
れぐれも慎重な配慮をお願いします」

「……そうね」





gob.jpg
今日の花:ゴボウArctium lappa



三年生編 第59話(4) [小説]

「神様なんていない。そう、伯母さんだって神様じゃないん
だ。伯母さんを僕らと並べて見るなら、同じ目線で伯母さん
と話しないとならないの」

「そういうことかー」

「いばる必要も卑屈になる必要もない。今、こういう状態で
す。出来ることはこれだけです。きちんとそう言うだけ。伯
母さんは怒らないし、バカにしないよ。そんな状況じゃない
んだから」

「うん!」

すべきことから感情を切り離す。
とっても難しいことなんだけど、僕らはそれに挑んで行かな
いとならない。
それは弓削さんのことだけでなく、受験にも関わるからだ。

しゃらだけでなく、僕もまだそれがうまく出来てるとは言え
ないんだよね。訓練しなきゃなあ……。

「なに考え込んでるの?」

「いや、今日も模試だったんだけどさ」

「あ、そうだったんだ」

「出来はまあまあ。良くも悪くもなし。だけどさ」

「うん」

「最初の大コケしたやつ。問題見た時点で頭が真っ白になっ
たんだよね」

「範囲がズレてたってやつ?」

「そう。それって、自分の感情をコントロールし切れてな
いってことなんだよね」

「……」

「試験もそうだけど、いろんな事態が降りかかった時にそこ
から盛り返すなら、どうしても自分のネガを真っ先に抑え込
まないとならないと思う」

「そっか。あがったり、しょげたり、投げたり……」

「それじゃ、最初からアウトだよね」

「確かにそうだー」

「そこが、まだまだ甘いなーと思ってさ」

「……」

「リョウさんに叩き込まれた二つのキーポイント」

「うん。集中と効率化、だよね」

「もう一ついるんじゃないかなーと思う」

「それがさっきの?」

「そう。平常心。動じない心。集中出来るとしたらその結果
であって、感情が吹き出したら集中なんか無理だよ」

「うーん、なるほどなー」

「前からじじむさいじじむさいって言われてるけど、その割
には中身はまだまだガキだなあと思ってさ」

「ちょっとお、いっきがガキならわたしはどうなるのよう」

「わはははははっ!」

まあ、いいんちゃう?
伯母さんに、良くも悪くもそれがしゃらだって言ったけど、
感情が素直に見えるのは決して悪くないと思う。
ただ、ネガがだだ漏れになってる今のしゃらは、弓削さんの
ケアには合わないっていうだけ。

感情がダイレクトに見えるのは、りんも同じだ。
でも、りんには今ネガなことがないんだよね。
何を目指すか決まってて、受験もなくて、とりま母親との関
係が安定してる。生活も部活も充実してる。
そこが、家の事情に振り回されてるしゃらとはうんとこさ違
うんだ。

妹尾さんは、それをきちんと見抜いてくれるだろう。

とりま、昨日の夜の微妙な感情のもつれが薄れて、しゃらの
元気が戻った。
七日のプレゼンでゾンビになって立たれたんじゃ、それこそ
『中庭から元気を発信』なんか嘘っぱちってことになっちゃ
うからね。

「あ、そうだ。しゃら」

「なに?」

「イベ班の、例の引き締め」

「うん」

「僕は、板野さんを噛まさん方がいいと思う」

「……」

「必ず、うちのプロジェクトの中で始末して」

「どして?」

「板野さんを怒らしたら、もう一年生は御用聞きに行かなく
なるよ?」

「あっ!!」

「だろ?」

「そ、そっか」

「上級生が下級生を指揮するっていう形式を取ってない以
上、他の部に頭を下げろっていうしゃらたちの指導は一年生
たちには理解出来ない。ましてや、それを他部の部長さんか
ら言われたら、なんであんたの命令なんか聞かなあかんのっ
てなる。かえって逆効果」

「……」

「それよか、今後もイベントやるかどうかも含めて、一年生
の間だけでもう一回議論してくださいって投げ返した方がよ
くない?」

「うん……そうだよね」

「それにお金が絡んでるってこと。それを資料にして必ず付
けて」

ぱちん!
しゃらが指を鳴らした。

「そっかあ! その手があったかあ!」

「でしょ? 苦労してでもイベントを盛り上げれば、他部か
らの寄付を期待できるの。そういうところで少ない部費を有
効利用しないと、本当に保たない。もうボランティアベース
じゃないからね」

しゃらが、拳でがんがんと頭を叩いた。

「まだまだだなあ……」

「いや、それだけしゃらもいっぱいいっぱいだったんだよ。
家のことが何もなければしゃらも気付いたはずさ」

「はあ……そうかもしれない」

「まあ、なんとか乗り切ろうぜ。悪いことばっかじゃないか
らさ」

「そだね!」




三年生編 第59話(3) [小説]

ふうっ……。
しゃらが小さな吐息を漏らした。

これも、比較の問題。
僕もしゃらも、今するべきこと、こなさなければならないこ
とがあって、それは決して簡単なことじゃない。

でも今目の前に血塗れで倒れている人がいたら、やっぱその
人を助けようとするじゃん。
それが当たり前だと思う。

ケアに関わる以上は全力で。
言うのは簡単。でも、実際にそうするのはすっごく難しい。
これが……間違いなく現実の苦さなんだろう。

森本先生が言ったこと。
五条さんや中沢先生、恩納先輩のケアがうまく行ったのはた
またまであって、決して必然の結果ではない。
サポートする側がどんなに全力を尽くしても、望んだ結果に
ならないことの方が多い。

でも。
思うようにならない現実を見て目を逸らしたり逃げたりすれ
ば、チャンスがあってもそれを生かせなくなる。

オールオアナッシング。ゼロか百か。
そういう考え方は、こういう福祉のケースでは害にしかなら
ないんだろう。

ゼロでなく、1でも0.1でもいい。
それがゼロでない限り、まだチャンスはある。
そういう考え方が、どうしても必要なんだろう。

だからこそ、僕が安易に伯母さんに話を振ったことはまずかっ
たんだよね。
伯母さんは、ゼロか百かなら限りなく百に近付けようとする
人だから。

「ねえ……」

重たい沈黙に耐えかねたように、しゃらが小声で言った。

「わたし……どうすればいいの?」

「伯母さんか妹尾さんから声が掛かるまでは待機。僕もそう
する」

「それで……いいの?」

「それしかないもん」

「うん」

「一番怖いのは、共倒れなんだよ」

「共倒れ……かあ」

「弓削さんとのやり取りには、ものすごーく神経を使わない
とならないの。だからこそ、伯母さんが専任の人を付けるた
めに妹尾さんをレンタルしたんだから」

「うん。でもさ」

「ああ」

「いっきは、昨日伯母さまに、わたしをケアに当てるなら前
半て言ってたじゃん」

「そうしないと、伯母さんにしゃらの状況が伝わんないもん」

「あ……」

「伯母さんは、弓削さんの状況としゃらの状況を並べて見る
の」

「そうか……」

「でしょ? そしたら、しゃらの方がずーっとマシに見え
ちゃう。それくらいこなせるよねって思っちゃう」

「……」

「もちろん、伯母さんは僕らが受験生だってことには最大限
配慮してくれると思うよ? でも、それ以外の部分の深刻さ
が全然分かってない。僕は伯母さんに、しゃらの今の状況を
全部説明してるわけじゃないもん」

「うん」

「そこは僕からじゃなくて、しゃらが直接言って欲しい。は
んぱなくしんどいって。それを僕が言うと、まあたしゃらを
囲い込んでって思われちゃう」

「昨日。言ったじゃない」

「本当は言いたくなかったんだよ。でも言っとかないと、伯
母さんにブレーキがかかんないんだ」

あーあ……。
僕は思わず頭を抱え込んじゃう。

「伯母さん、強過ぎるんだよね。その物差しでいろいろなも
のを見ちゃう」

「うん」

「矢野さんとかリックさんみたいのが理想で、自力で出来る
んだからばりばりやんなさいよって、そういう考え方だもん」

「……」

「そんなだから、穂積さんを扱い損ねたんだよね」

「あっ!!」

がばっとしゃらが立ち上がった。

「強い人に対抗したり、立ち上がろうとする人にエールを送
るのは本当に上手なの。でも、へたってる人をうまく触れな
い。それが伯母さんの弱点。見た目ほど完成されてる人じゃ
ないと思う」

しゃらが、伯母さんのところでのやり取りを思い出してる。

「そうか。欠点を抱えてるって……」

「自分で言ってたでしょ? そんなに器用な人じゃないよ」

ふうっ。





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三年生編 第59話(2) [小説]

帰りのバスの中でも降りてから坂を上がる時も、今日の模試
の問題用紙を見ながらいろいろ考えを巡らせていた。

数学と生物は、まあまあ戻した。
問題は、化学だなあ……。記憶系と応用系が微妙に入り混じっ
てて勉強法が難しい。
嫌いだった物理の方が、その点はまだ楽だったかもしれない。

化学は、夏の重点強化項目にしよう。

そして、やっぱり英語がなあ……。
嫌いじゃない……ってか、むしろ教科としては好きなんだけ
ど、その割には取りこぼしが多い。
相変わらず出来不出来にむらがあって、えびちゃんからどや
されたことがちゃんと解消出来てない。

「むー……」

英語でいっしょくたにするんじゃなくて、その中でどこに弱
点があるかをもう一度きちんと洗い直さないとダメだ。
ここは、えびちゃんに再度アドバイスを仰ごう。

「よし、と」

これで、今回の模試の総合結果が偏差値60を越してくれて
ると、自分でも挽回がだいぶ進んだっていう自信になるんだ
けどなあ……。

手にしてたプリントをカバンにしまって、家の蛇腹ゲートを
開けようと思ったら。

幽霊みたいなしゃらがぼーっと立ってて、心臓が止まるかと
思った。

「うううううわわわ、お、おどかすなよう」

「……」

あかん。
完全に撃沈してもーてるわ。

「……。まあ、入って」

「……うん」

怒ってるって感じじゃないな。これは……自信喪失だろう。
それはそれで厄介なんだよなあ。

はあ……。


           −=*=−


ベッドに腰を下ろして、背中を丸めて、完全に意気消沈して
たしゃらが、ぼそぼそとしゃべり出した。

「わたし……ちっとも進歩してなかったんだね」

「……」

「ちょっと……自分自身にがっかりしちゃって」

はあ……。

「違うよ」

「え?」

「今のしゃらの状態で、なんでもしゃきしゃきこなせる方が
おかしいの」

「……」

「それは、しゃらがヘタレとか弱いとか、そんなことじゃな
い。僕がしゃらの立場なら、間違いなくへたれるって。それ
が当たり前なの」

「そ……なの?」

「例えてみるならさ」

「うん」

「父さんが突然失業して、母さんがそのショックでぶっ倒れ
て、実生がぶち切れて家出しちゃって。そのくらいのインパ
クト」

どごおん!
しゃらがぶっこけた。

「うわ……そうなん?」

「しゃらはさ。最初がまさしくそうだったんだよ」

「あ」

「だろ?」

「そうだ。そっかあ……」

「あの時よりはプラスのことが多いし、しゃらが場数を踏ん
でタフになった分しんどさを背負えちゃうの。まだ大丈夫
だって。でも冷静に見ると、しんどさはあの頃とあんま変わ
んない」

「……うん。そう。ほんとに……しんどい」

「それ、伯母さんに言った?」

しゃらが、ゆっくり首を振った。

「はっきり言った方がいい。妹尾さんがコーディネーターを
してるから、しゃらの心身の状態を見ながらケアの分担を決
めるはず。そこには私情を混ぜないよ。一番適した人、出来
るポテンシャルのある人にケアを任せる。そういう段取りを
するはず」

「そうかあ」

「足を怪我してる人に、全力で走って助けろって言わないで
しょ?」

「うん」

しゃらが、ほっとした顔を見せた。
はあっ……。思わず愚痴っちゃう。

「僕もなあ……今回は失敗しちゃったんだよね」

「え? どこを?」

「伯母さんしか頼れるところがなかったから、仕方なく話を
持ってったけど、ほんとはそうしたくなかったんだ」

「……」

「伯母さんに話を振る以上、僕は絶対に関わらざるを得ない。
でも、その関われる部分がものすごーく少なくなっちゃう」

「人にやらせて自分は……ってことね」

「そう。僕の大っ嫌いなパターン」

「……」

「でも森本先生や長友さんが匙を投げちゃうんじゃ、弓削さ
んに死ねっていうのと同じだよ。そっちも我慢出来ない」

「うん。どうしたらいいんだろうって……」

「思っちゃうよな」



三年生編 第59話(1) [小説]

7月5日(日曜日)

「ぐえええ……」

よれよれの状態で、模試の会場から這い出した。

やっぱり……。
記述式の模試は、ものすごく消耗するなあ。

覚えたことを、引出しを開けてぽこんぽこんと引っ張り出し、
それを穴に入れてくのがマークシートだとしたら。
引っ張り出した後で、そいつでパズルを組まなきゃならない
のが筆記。

パズルは嫌いじゃないけど、限られた時間内に正解まで持っ
ていかないとならないのは、ものすごく疲れる。

レベルの高い大学ほどただの物知りじゃダメで、知ってるこ
とをどう組み立てられるかの応用力を見るってこと。
もちろん受験にはテクニック的なものがあるから、試験での
出来不出来がそのまま頭の良し悪しってわけじゃないんだろ
うけど、要求されることのレベルはぐんと高くなるよね。

「はあ……」

今出来ることを犠牲にして、それを大学っていうハードルを
越すためのエネルギーに換える。
条件が誰にとっても同じである以上、そのシステムがいいと
か悪いとか言っても仕方ない。
でも……。

なーんとなくすっきりしない。
予備校の玄関のところでもたくさしてたら、背後から声がか
かった。

「工藤さん、どやったー?」

あ、武田さんだー。
なんか、顔見るとほっとするなー。

「ちわー。今回は準備期間も長かったし、まあまあかなと」

「まあまあ、かあ」

「なかなかばっちりっていうわけには行かないっすね」

「まあね」

「武田さんは?」

「俺も、まあまあだなー」

そう言いながら、表情は冴えなかった。
手応え的には、目標設定したところまでは届かなかったんだ
ろう。

「武田さんは、夏期講習どうするか決めたんですか?」

「決めた。王文館の合宿」

「東京ですね?」

「そ。予備校の宿舎に缶詰だー」

「一か月?」

「いや、さすがにそれはきつい。二週間コース」

「同じかあ……」

「工藤さんも?」

「僕は合宿じゃなくて、通い。世ゼミの二週間コースです」

「通えんの?」

「ここからじゃなくて、都内のお寺に二週間住み込みます」

ずどおん!
武田さんが、派手にぶっこけた。

「うわあお!」

「そこ、すごいらしいです。勉強関係以外のものは一切持ち
込み禁止で、朝は五時起き」

「ぐわあ……それは修行じゃん!」

「ですね。でも、気合い入りますから」

「料金は?」

「一泊500円」

武田さん、口あんぐり。

「だ、大丈夫かあ?」

「食費入ってませんから」

「それでも安すぎだろー」

「一応学校公認のところなので、定評があるんでしょうね」

「そっかあ。そこは工藤さんだけ?」

「今のところ、僕の他に立水が」

ぶるぶるっと首を振った武田さんが、もう一度同じことを言っ
た。

「間違いなく、修行やなあ」

「ははは。でもそのくらいじゃないと、なかなかエンジンが
回んないです」

「確かにね」

「武田さんとこも、期末はまだなんでしょ?」

「来週」

「うちと同じだ。そっちもあるんだよなあ」

「ああ、そうか。ぽんいちはきつくなったって言ってたもん
なー」

「そう。科目数が多いから、受験でてんぱってる子には辛い
ですよ」

「乗り切るしかないね」

「はい。期末終わってちょっとしたらすぐ夏休みで、講習突
入。あとは完全に受験専念モードですね」

「そやね。そっからどこまで追い込めるかだー」

「がんばりましょう!」

「んだ。26日のセンター試験模試は受けるんだろ?」

「受けます」

「じゃあ、またその時に」

「うっす! じゃあ、またー」

「ばい」

ぐだぐだ感一切なし。
武田さんも、きっちりギアが上がってきたなあ。
うん。身が引き締まる感じがする。僕も頑張んなきゃ!




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三年生編 第58話(8) [小説]

しゃらが……さっき僕が言ったのをどう受け取るかだよなあ。

今さら伯母さんに文句を言ったところで始まらない。
僕は言ってしまったし、しゃらは聞いてしまったんだから。
僕はしゃらに過剰な負荷がかかることを心配してああ言った
つもりだけど、しゃらに意気地なしとバカにしたって取られ
たらしゃれになんない。

それは、がっつり根に持たれるだろう。

僕としゃらとの間で一生懸命築いてきたつもりの信頼関係。
それは好き嫌いの前にあるもので、簡単には崩れないと思っ
てきた。いや……そう思い込んできたんだ。

そんなこと、ないね。

伯母さんが試したこと。
弓削さんのケアに携わる資質を確かめる他に、あんた方カッ
プルはほんとに大丈夫なのって心配も入ってるんだろう。

そんなの伯母さんの余計なちょっかいだと思うけど、だった
ら僕らは余裕でクリアしないとなんないんだ。
それなのに、こんな状態じゃなあ……。

しゃらだって、ほんとは分かってるさ。
僕がどんなに弓削さんのケアに入れ込んだところで、それが
僕やしゃらには何も影響しないってことはね。

万に一つも、僕が弓削さんによろめくシチュエーションなん
かないよ。
あるとすれば逆のパターン。弓削さんが僕に恋愛感情を持っ
ちゃうかも……しゃらが心配するとすれば、それしかないと
思う。

でもね。弓削さんが誰かに恋愛感情を持てるようなら、そも
そもケアの必要なんかないの。
そんな当たり前のことすらしゃらには見えてない。
しゃらの視野が極端に狭くなってるのは、嫉妬癖のせいじゃ
なくて、今のしゃらの心理状態が弓削さん並みに良くないか
らだ。

さっきの電話でも伯母さんに言ったけど、しゃらが何もかも
一人で背負うにはしんどい状況が続いてる。

最初の危機の時は、みんなで寄ってたかってしゃらを支えた
んだ。
僕、会長、りん、かっちんとなっつ、中沢先生、五条さん。
それぞれの役回りを決めて、全力でね。
崖っぷちだったしゃらも、素直に僕らの手を取ってくれた。
だから立ち直りがすっごい早かったんだ。

でも今回は、あの時に比べて条件がうんと悪い。
だって、しゃらはあの頃と違ってずっと強くなってるもの。
しかもしゃらの負荷を増やしてることがらは、決して悪いこ
とばかりじゃない。
前向きにこなせるっていう意識があると、しゃらは素直にし
んどいって言いにくいんだ。

誰にもぶつけようのないストレスが、しょうもない愚痴や嫉
妬に形を変えて吹き出しちゃってる。
それに理屈なんかないんだよね。

しゃらがそういう状態の時には、面倒事には関わらせたくな
い。
だから僕は、弓削さんの件からしゃらを切り離したかった。
でも、お兄さんの暴挙からしゃらの意識を逸らさせるには、
弓削さんのケアを口実にするしかなかったんだ。

そう、あくまで口実なの。
受験を控えてる僕らが弓削さんのケアに関われるところなん
か、実際にはほんの少ししかないんだから。

でもしゃらはともかく、僕は弓削さんのケアから逃げられな
いんだよ。
だって、弓削さんのケアに伯母さんを巻き込んだのは僕だ。
その僕があとはよろしくってとんずらするのは、しゃらのお
兄さん以上の極悪行為だもん。

僕は、無責任に放り出すのだけは絶対にやだ。

そういう僕の立場をしゃらが本当に理解できてるのかが、分
かんないんだよね。

弓削さんとの関係が出来ちゃったけど、道義上はケアに加わ
る義務がなくて、やれる事もやる気もあんまりないしゃら。
弓削さんとは関係がないけど、伯母さん絡みで道義上ケアに
加わる義務が出来て、やれる事はないけどやる気はある僕。

微妙にあちこちがズレてて、しゃらがそれをしっかり把握し
切れてない。

さっき、伯母さんが僕との通話をしゃらに漏らしたのは、そ
ういうズレを今のうちに補正しておきなさいってことなんだ
ろう。

でも、伯母さん。あのやり方は……逆効果なんだよ。

だって僕の説明は、聞きようによってはしゃらがヘタレでだ
らしないからケアに参加するなっていう風に聞こえちゃう。
僕の発言が気遣いなのか、情けないっていう軽蔑なのか、区
別出来ないんだ。

それも……しゃらがものすごーくしんどくて、べっこりへこ
んでるタイミングでさ。

「ふう……」

伯母さんの力や影響力は絶大。
そして伯母さんが力を行使する時には、ちゃんと背景や先行
きを考えてる。
でも、力にはいつも反作用があるんだよね。

親子関係のリセットにしては過激過ぎる手段を取ってしまっ
たりんのケース。
糸井夫婦の悪巧みを、それ以上の力技で完膚なきまで叩き潰
しちゃったこと。

もちろん、どっちもそうする必要があったことはよーく理解
出来る。理解出来るけど……反作用が強すぎるんだ。
結局、りんとこも糸井先生んとこも、親子関係を木っ端微塵
にしちゃったでしょ。
母さんが伯母さんのことを警戒してるのは、そこんとこだと
思う。

伯母さんだから出来ること。
そして、伯母さんがしたから起こること。
することは伯母さんがコントロール出来る。
だけど起きてしまったことは、伯母さんにはもうどうにもな
らないんだよ。

それが、いくら伯母さんの想定内のことだとしてもね。

でも、起きた結果を伯母さんのせいにして責めることは一切
出来ない。
だって僕は伯母さんの性格をよーく知ってて、その上で助力
を頼んでるんだもの。
弓削さんを伯母さんに結び付けたのが僕である以上、僕はそ
こから来るいかなる結果にも責任を持たないとならない。

……しゃらとのことも含めて、ね。

「はあ……めんどくさいことになったなー……」

とりあえず、しゃらのアクションを待とう。
伯母さんは僕が何でもしゃらの先回りをしちゃうことを危惧
してるし、僕もしゃらもそれはまずいと思ってる。

それなら僕は待つしかない。
しゃらが今回のことをどう受け止め、考え、処理するかをね。

「ふう……」

明日の模試の準備をしながら、ふと思い出す。
七月に入ってからあちこちで咲き出した、アガパンサスの花
を。

アガパンサスの花火。
勢いよく咲き広がって、ばんばんと四方に火花を散らす。
それは大輪ですっごい派手なはずなのに、僕には咲いてるん
だなっていうぼんやりした印象しか残らない。

変な話。
伯母さんのところでも僕の部屋でも、僕としゃらとの意識や
感覚の違いが派手にぶつかって赤い火花を散らしたなら。
そうジェニーの件でがっちゃあんとぶつかっちゃった時のよ
うに、感情が赤熱すれば。

それで火傷することはあっても、お互いの気持ちがどこから
出ているのかはっきり見える。
目を逸らせる場所も時間も、どこにもないからね。
その方がずっとましなんだ。

今日みたいに、感情が微妙にずれたままでうやむやになっちゃ
うと、後で疑心暗鬼ががんがん膨らむ。
それはヤバ過ぎ。

青白い花火なんか見たくない。
そんな幽霊みたいなのは……何の役にも立たないよ。

花はなんでも好きなんだけどさ。

「あの花だけは……どうしても好きになれないんだよなあ」




agaps.jpg
今日の花:アガパンサスAgapanthus spp.)



三年生編 第58話(7) [小説]

夕食の後、またねじり鉢巻での勉強態勢に入った。

そろそろ切り上げようと思った十一時くらいに、しゃらじゃ
なくて伯母さんから電話が入った。

「伯母さん? どうしたんですか?」

「いや、いつきくんが説教してくれたの?」

「え?」

「いや、御園さんが八時過ぎに突然来て、泣きながら土下座
したからびっくりしてさ」

ずどおおん!

「あわわわわ」

「まあ、確かにあれじゃ怖くてサポートを頼めないから、ど
うしようかなあと妹尾さんと話してたんだけどね」

「やっぱりかあ」

「やっぱり?」

「そう。伯母さんたちは、他のケアメンバーと同じように、
僕らがちゃんと覚悟してるかどうか、確かめようとしたんで
しょう?」

「ははは。お見通しかあ」

「伯母さんは、シェアハウスの同居人でなくてもしゃらを入
れてケアスタッフを組みたいって言いたかったはず。弓削さ
んのケアが、しゃらのお兄さんや田中のことに関わってます
から」

「うん。そう」

「でも、僕が絡んだ途端に即ガキに戻っちゃうんじゃ、とて
もじゃないけど怖くて関わらせられないですよ」

「……」

「慌てて、君らの出番はもっと後だよって予防線張りました
よね?」

「あーあ、いつきくん相手だと全部ばれちゃうね」

伯母さんの苦笑の声が漏れた。

「まあ、良くも悪くもそれがしゃらなんです。しょうがない
ですよ」

「……」

「ただ、今の状態のままでしゃらを弓削さんに関わらせるの
は、どう見ても危険過ぎます。だから、がっつりどやしまし
た」

「どうやって?」

「自分がしてもらう時には真剣さを要求して、自分がしてあ
げる時にはてきとーなの……って」

「ああ、それが一番分かりやすいね」

「僕は」

「うん」

「ギブアンドテイクは、ギブの方がずっと大きくないと成り
立たないと思ってます」

「どして?」

「もらう時っていうのは、本当にぎりぎりの時。だから、も
らえるものがどんなに小さくても、ささやかでも、本当に嬉
しいんですよ」

「うん」

「でも、あげる時っていうのは、相手がどれくらいで満足し
てくれるのか分かんない。だから、相手がもういいって思っ
てくれるまでは全力で与えないと意味がないと思ってます。
中途半端に止めちゃって、相手にまだ足りないって思われた
ら、それまであげたものが全部無駄になっちゃう」

「そうなんだよね……」

「ねえ、伯母さん」

「なに?」

「今日の話だと、自我が出て来た後の弓削さんのケアをしゃ
らに分担して欲しいってことでしたよね?」

「そうね」

「僕は逆の方がまだましだと思うんですけど」

「どうして?」

「自我が出るってことは、きっとマイナス面もいっぱい出て
来ますよ。不満、苛立ち、絶望感……それを弓削さんから理
不尽にぶつけられたら、同じ感情をまだ自力でこなし切れて
ないしゃらは潰れちゃいます」

「……」

「実家の建て替えやお母さんの看護、自分の進路問題、お兄
さんがやらかしたことの後始末……今、しゃらにはいっぺん
に難題が押し寄せてる。正直僕は、しゃらの状況が少し良く
なるまでは弓削さんのケアに関わらせたくないんです」

「うん」

「配慮を……どうかお願いします」

「分かった。いつきくんの心配は当然ね。妹尾さんと相談し
ます」

ちょっと間が空いて、伯母さんが少し大きな声を出したのが
聞こえた。

「御園さん、聞こえた?」

げええええええっ!?
しゃ、しゃらが向こうに居たのおっ!?

腰が抜けそうになった。

伯母さああん、それは反則でしょう!!

ぷつ。

僕が猛抗議する前に電話が。

……切れちゃった。




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三年生編 第58話(6) [小説]

「心っていうのは……」

伯母さんは、大きな溜息を漏らしながら僕らを見回した。

「本当にめんどくさく出来てる。誰も、これが一番いいって
言えないの。誰もが欠点も、傷も、負い目も抱え込んでる。
もちろん、私もね」

そうだよな……。

「神様なんてものはどこにもいない。私はそれだけは断言出
来る」

きっぱり言い切った伯母さんが、拳でとんと膝を叩いた。

「だからこそ。神様が何もしてくれないからこそ。自分の心
は最後は自分で作らないとならないの。どんなに不恰好でも、
汚くてもね」

うん。

「弓削さんが自分でそう出来るようになるまで、私はがんば
ります」

伯母さんががんばると言った以上、絶対に中途半端に投げ出
さないだろう。

すっと立ち上がった伯母さんが、僕らを追い出しにかかった。
これから、妹尾さんや森本先生と突っ込んだ打ち合わせをす
るんだろう。

長居は無用だ。
察した僕らも、さっと腰を上げた。

「そういうことで、二人とも、これから協力よろしくね」

「はい!」

「分かりましたー」


           −=*=−


しゃらがそのまま帰ろうとしたから、ちょっとだけ僕の部屋
に寄ってくれって誘った。

「なに?」

「まあ、いいから来て」

僕にしては強引に部屋に引っ張り込んだ。

ドアを閉めてすぐ、苦情をぶちかます。

「はああ……。しゃらも、オトナになってきたなあと思った
のにさあ。あれじゃ、全部ぶち壊しだよ」

「……」

察してはいたんだろう。
ぶうっとしゃらが膨れる。

「今から言っとくね。弓削さんが外に出られる状態になって
も、しゃらには絶対声が掛からない。あれは伯母さんのリッ
プサービスだよ」

「えっ!?」

しゃらが呆然と立ち尽くす。

「ど、どしてっ!?」

「とてもじゃないけど、怖くて任せられないからだよ。患者
二人じゃさあ……」

ぐっと。
しゃらが詰まった。

「いい? 第三者の位置に自分を下げて客観視して、自分の
感情をきちんとコントロールしなさい。それが、妹尾さんの
アドバイスなんだろ?」

「うん」

「それ、全然こなせてないじゃん」

「……」

「弓削さんが全く僕に関わらないのなら、しゃらはきっとこ
なせるでしょ。でも今のままじゃ、僕が絡む限り絶対にこな
せない。ジェニーの時の二の舞になるだけ」

「く」

「だから、僕にもしゃらにも絶対に声は掛からないよ」

「じゃあ! なんでわざわざわたしたちを呼んだの!?」

しゃらが食ってかかった。

「僕らを試したのさ」

「う……」

「今の僕らが、どこまで負荷に耐えられるかをね」

「……」

「そして、しゃらはテストに失格。当然、しゃらとセットの
僕にも声は掛からない。絶対にね」

「く……」

腰が砕けたように床にしゃがみ込んだしゃらが、悔し涙を流
し始めた。

「弓削さんに関わるには、僕らに自分を殺す覚悟が要るんだ
よ」

「……」

「いい? しゃら」

「……うん」

「今のしゃらは、中学の時の高遠先生と同じ」

「!!!」

ばっ!
跳ねるように立ち上がったしゃらが、よろけてドアに倒れ込
んだ。

どん!

「他人事なんだよ。どんなに今の弓削さんがひどい状態だっ
て言ってもね」

「……」

「それでもいいさ。確かにぼくらにとっては他人なんだから。
だったら最初からそう言えばいい。わたしには、ケアなんて
無理ですって」

「う」

「でも、やるって言ったんだろ?」

「うん……」

「口に出す以上は、もう覚悟しないとダメなんだよ」

「……」

「弓削さんが、信頼を預けようとした人から裏切りを食らっ
たら、その打撃は百倍にも千倍にもなる。しゃらは当事者
だったからよく分かるだろ?」

「う……ん」

「しゃらのお祖母さんが亡くなる前後の、一番しんどかった
時。僕がしゃらの家庭状況を知って腰が引けて逃げたら、
しゃらは僕の裏切りを許した?」

力なく、しゃらが横に首を振った。

「だろ? 同じことさ」

「……」

「助け合い。それはきれいごとじゃないよ。出来る範囲で。
確かにそれしかないんだけど、その範囲内は全力でやんない
となんない。いい加減じゃ出来ないんだ。そこに奢りや余計
な感情が混じってしまうなら、最初から手を出さない方がい
い。僕の言いたいのは、それだけ」

しゃらの肩を掴んで、くるっと反対側に向ける。

「さあ、帰った、帰った」