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三年生編 第69話(5) [小説]

しばらくじっと考え込んでるような間があって。
しゃらが、声を絞った。

「わたしも……そうなのかな」

「さあ。それは僕には分からない。僕には、しゃらがもうちゃ
んと目標に向かって走り出してるように見える。それが本当
か、そうでないのか、僕には分からない。しゃらにしか……
分かんない」

「そうだね」

夏期講習の予定表を手にとって、それをもう一度見回した。

「長い……夏休みになりそうだ」

「うん」

「でもさ」

「うん?」

「それでも、もうこの夏休みは戻ってこないよ。過ぎたら二
度と戻ってない。だから。高三の夏休みを僕らがどう使った
か。それに……後悔を残したくないんだ」

「うん」

「去年の夏みたいにね」

ふっ。
小さく息を抜いたしゃらが、返事に力を込めた。

「うん!」

「乗り切ろう。二人で、じゃなく。僕らそれぞれの力で。そ
れが、僕らの夏休みの宿題かなと思う」

まだ涙が混じってるような口調だったけど。
しゃらは、それにしっかり返事した。

「分かった。がんばる」

「お盆過ぎたら、通常モードさ。二人で勉強出来る。それま
での辛抱って考えようよ」

「うん……うん」

まるで生まれた時からずっと一緒だったみたいに。
僕としゃらは出会って二年の間、毎日のように顔を合わせ、
電話で声を聞き、メールをやり取りしてきた。
それが当たり前のようになっていた。

恋人同士っていうよりも、一心同体に近かったんだ。
それは……必ずしもいいことばかりじゃない。
離れた途端に崩れてしまうようなら、依存癖が強いばんこの
母親や穂積さんのことなんか偉そうに言えなくなる。

二人で一人前じゃなく。
一人と一人で二人以上にバージョンアップ出来るように。
僕もしゃらも、もっと心を鍛えなければならないんだろう。
一人であってもぐらつかないくらいには。

「じゃあね」

「あ」

「うん?」

「講習から戻ってきたら電話くれる?」

「ああ、いつものように」

「楽しみにしてる」

「しゃらもちゃんと追い込めよ。僕のせいにはさせんぞ」

「うう、そうだよね……」

「本番は、もっと後だからな」

「うん」

「じゃあ、おやすみ」

「……おやすみ」

名残惜しそうに、しゃらが引っ張った。

「おやすみ、いっき」

「ほい」

ぷつ。僕の方から先に切った。
どこかで現状にピリオドを打たないと、僕らはいつまで経っ
ても先に進めない。

去年とは違う。今年のは、僕らが自分で設定した試練だ。
それすら乗り越えられないようじゃ、先が知れてる。

ここで……踏ん張らないとね。


           −=*=−


いつもより早くにベッドに入ったけど、僕はなかなか眠つけ
なかった。

「猫を被る……かあ」

自分を、実態以上によく見せようと思ったわけじゃない。
僕の言葉や態度に出たことを悪く悪く勘ぐられて、攻撃の的
になってしまうのが嫌だっただけだ。
それはあくまでも自衛であって。そんなのがいいって思って
たわけじゃない。

でも、そうこうしているうちに、猫は僕にべったり張り付い
て取れなくなってしまった。

辛いことも悲しいことも、表情に出さずにその下に押し隠し
てしまう悪い癖。
高校に入ってから、僕に張り付いてた猫はだいぶ退けてくれ
るようになったと思う。思うけど……。

それはまだ、僕から出て行ってくれない。

付き合いの長い親や、ずっと僕を見ていてくれるしゃらが、
僕の真意を見抜くのは当たり前じゃない。
親やしゃらだからそう出来るんだし、親やしゃらも僕の全て
は見抜けていない。

そんなのを……期待しちゃだめなんだ。

親やしゃらから離れて過ごすこれからの二週間。
自分の弱さ、汚さ、情けなさから目を離さないで、ちゃんと
それを制御し、講習に集中すること。
その中から、僕にとっての真の道筋、活路を見出すこと。

たかが夏期講習。
でも、それは僕にとっては間違いなく修行であり、冒険の旅
になるんだろう。

僕が自分と向き合ってる間は、猫は何も役に立たない。
そんなものは要らない。
ポーカーフェイスの取り澄ました猫には、出て行ってもらお
う。

どうせ……その期間が終われば、猫は何事もなかったかのよ
うに戻ってくるんだろうけど。

でも、無表情に見える猫も尻尾で感情を表現する。
尻尾が、僕の目の前でぱたぱたと振られ続けてる。

赤い、もふもふの尻尾。

意味? そんなん決まってるじゃん。

「夏期講習……やだなあ」




cattail.jpg
今日の花:キャッツテールAcalypha reptans




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三年生編 第69話(4) [小説]

武田さんと夏期講習での健闘を誓い合って、その後まっすぐ
帰宅した。
自分の部屋で、夏期講習の予定表を見ながら何度も首を傾げ
る。

「明日から、もう合宿生活スタートかあ……」

自分自身のことなのに、まるっきり実感が湧かない。どうに
も現実感がない。
そんなんで……大丈夫なんだろうか?

修学旅行や家族旅行みたいに、誰かがお膳立てをしてくれて
るわけじゃないんだ。
自分のことは自分で全部始末しないといけない。

それは……なんだかんだ言って家にべったり寄りかかってい
た僕にとっては、初めての経験だ。

楽しいことなら。わくわくすることなら。
家を離れる期間がもっと長くても、そんなにプレッシャーに
感じないだろう。

でも。
僕はもううんざりしていた。

高校の中庭を見回りに行くことも出来ない。
しゃらと遊ぶどころか、話をすることすら出来ない。
もちろん、親や実生とも会話出来ない。

出来ないことばかりをずらっと突き付けられて。
それで本当に二週間集中出来るんだろうか、試練を乗り切れ
るんだろうか、と。

「ふうっ……」

乗り切れるだろうか……じゃないよ。
乗り切らないといけないんだ。

夏期講習の二週間が終われば、僕は家に帰れる。
でも、家に帰れる期間自体が……もう限られているんだ。

僕は家族に、自宅から通える大学には進まないとすでに宣言
してる。
それは親や先生に強いられたことじゃない。
僕自身が考えて、そうすることにしたんだ。

家から飛び出す力が弱くて離陸に失敗してしまうのは、恥ず
かしいとかだらしない以前に僕が耐えられない。
たった二週間のお試し期間すら乗り切れないんじゃ、その後
にずっと続く下宿生活をクリア出来るはずがないから……。

僕の悪い癖。
改善しないとならないことがあっても、先送りしてしまうこ
と。

試験とか部活のこととか、すぐに動いて解決出来ることなら
ちゃっちゃっとやってきた。
でも……将来何を目指すか、大学で何を学ぶか、しゃらとの
ことをどうするか。
すぐに答えが出ないことを、いつも中途半端に放り出したま
まここまで来ちゃった。

自分自身が、そういう宙ぶらりんの状態をすごく気持ち悪い
と思っているのに、どうしても踏ん切りが付かない。

それは、僕が慎重だから、まじめだから、中途半端が嫌だか
らっていう理由じゃない。
そういうのは、いつまでたっても答えを出せない情けない僕
が自分をごまかす言い訳に使ってたんだ。

単に決める勇気がないだけ。それだけ。

そして。
僕の親や友達、先生たちは、僕の外見だけを見て、僕がちゃ
んと先を考えてると思ってしまってる。

違う。違うよ。
僕は、きちんと考えてない。まだ何も考えられていない。
たちの悪いモラトリアム……。

そして、僕に与えられている猶予の時間は刻一刻と削られて
いく。
僕自身何一つ分からない白紙の未来へ、ぽとりぽとりと落と
し込まれるように。

「ふう……」

去年の夏に覚えていた焦燥感、不安感の方がまだましだった
かも知れない。
あの時はまだ、不安だ不安だって言ってるだけでよかった。
僕にはまだ不安を抱えていられる猶予があったんだ。

それは、どんどん取り上げられてきている。

不安だったら、それを解消するプランを立てて実行に移しな
さい。
誰に相談したところで、同じ答えしか返ってこないだろう。
そして、プランは僕自身にしか立てられない。

今まで忙しさの中に紛れ込ませて、いつまでも先送りにして
きた僕の致命的な弱点。
それをこれからもそのままにしていたら……僕がどういう進
路を選択したとしても、必ず僕の足を引っ張るだろう。
そして、とばっちりがしゃらにまで行っちゃうことになる。

「……」

何をするでもなく。
腕組みしたまま机の上に目を落としていたら、携帯が鳴った。
しゃらだな。

「いっきぃ?」

「うーす」

「どうだった?」

「ああ、模試?」

「うん」

「まあまあかな。出足としてはいいかも」

「そっか……」

「はーあ」

思わず溜息が漏れる。

「明日から、でしょ?」

「そう。めんどくせー」

「……」

しゃらの声のトーンが急に落ちて、泣き声が混じった。

「寂しいよう」

「僕もさ」

「……う……う」

「でも」

「……うん」

「乗り切らないと。明日からのが本番じゃないから」

「そ……だね」

「携帯持っていけないから、緊急連絡は母さん通して」

「……。わたしが直接かけたらだめなの?」

「家族の緊急連絡以外の電話利用は、住職さんが認めてくれ
ないの。間違いなく修行なんだ」

「……」

そうなんだよな。
僕は、今回の上京の目的をきちんと分けて考えないとならな
かったんだ。

一つは夏期講習。その目的はもちろん学力を上げるため。
でも、泊まり込んで勉強する目的は、それとは違う。
瞬ちゃんや住職さんが『修行』という言葉を使うのには、
ちゃんと意味があったんだ。

僕は、やっとそれに気付いたの。

「修行の目的は、学力を上げることじゃない」

「え?」

しゃらには、それが意外だったんだろう?

「どういう……こと?」

「離陸の準備だよ。離陸するなら、自分で滑走路を作らない
となんない」

「あ……」

「その……地盤作りさ。僕が今までずーっと後回しにしてき
たこと」

「そうなの?」

「そう。もししゃらから見て僕がそう見えてなかったら、僕
はまだ猫を被ってたってこと」

「……」

「情けないよ」


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三年生編 第69話(3) [小説]

「うーん……大丈夫かなあ」

「上がってないん?」

「いや、そうじゃないと思うんだよね」

「ほ?」

「あいつ、不器用なんだよね。どっか一点に突っ込んだり、
引っかかったりすると、そこで時間浪費しちゃう」

「ああー、学力以前じゃん。それって」

「そうなん。融通利かないとこは、前よりはだいぶマシになっ
たと思うんだけど、センター系みたいに設問多くて時間配分
が重要なやつは元々苦手なんだろなー」

「なるほどなー」

「僕から見たら、センター試験を足切りに使わない、筆記に
しっかり突っ込める私大の理工系の方がいいと思うんだけど
ね」

「それ、やつに言ってないの?」

「あいつの頭の中は、とんぺいの理学部一本なんだ」

「なんでまた」

「たぶん……たぶんだよ」

「ああ」

「そこに、あいつがものすごくこだわるものがあるから、じゃ
ないかな」

「技術とか、分野とか?」

「いや……」

「うん」

「人だと思う」

何度考えても、僕には立水がそこまでとんぺいにこだわる理
由が他に思い付かなかったんだ。

同じこだわりでも、関口のは専門分野へのこだわりだ。
自分のやりたいことが学べる中から、一番レベルが合ったと
ころをチョイスするんだろう。
その中には、一般入試を回避するという選択肢も入ってる。

関口の執着や粘着。
あれは、何にでも全部、じゃないんだよね。

どうしても欲しい。どうしても許せない。そういうものにと
ことんこだわる。

逆にそこまでこだわるためには、こだわる優先度の低いもの
は捨てないとならない。
あいつは、それがよーく分かってるんだ。
だからこそ進路の方針が固まった後で、それまで突っ込んで
た大学情報のファイルをあっさり放り出してる。

こだわりの効率がものすごーくいい。

その正反対が立水だ。
こだわってこだわって、頭からぷしーぷしーと湯気を立てま
くってる割には、遅々として前に進んでいかない。

最初僕は、それが二人の性格の違いから来るのかなーと思っ
てた。

でも、違うね。
そうじゃない。

立水のこだわりが、自分の将来に向いてない。
僕は、あいつの熱気の中からそれを見つけることが出来ない
んだ。
まるで熱にうなされてるみたいに、しゃにむにとんぺいを目
指す意味がちっとも分からない。

分野じゃなく、『その場所』に入り込むのが目的。
それが自分の興味や得意不得意と関係がないから、ものすご
く効率が悪い。

なんで、そこに行く必要があるわけ?

学校のステータスでも学問への興味でもなかったら、それは
人しかありえないじゃん。

もちろん、僕は立水に余計なおせっかいをするつもりはない。
立水が何も話さない以上、それは立水にとってのトップシー
クレットであり、外野が無神経に秘密をほじくり出そうとし
たらそれこそ袋叩きに遭うだろう。

それに僕は今、自分のことだけで精一杯だ。
そんなゴシップ紛いのネタに気を散らしてる場合じゃない。

ただ……。
あいつが、抱え込んでるものを自力で処理出来なくなる時が
来なければいいなと。
それだけ、ちょっと心配なんだよね。


三年生編 第69話(2) [小説]

模試は全教科終了。

「うん。まあまあかな」

手応えは悪くなかった。

学校でいろいろあったごたごたが収束してから、ねじり鉢巻
きで追い込んだ効果がちゃんとあったってことだ。

模試を受ける前の、ひどい焦りの気持ちはだいぶ薄れた。
まだ、かけた時間の分だけしっかり結果が出てる。
これから夏期講習で追い込んだ分だけ、ちゃんと学力の上乗
せが期待できるっていうことだ。

問題は……。

「うーん……筆記の方だよなあ」

仮止めした県立大生物でそのままゴーなら、そんなに青筋立
ててがりがり筆記に突っ込んだってしょうがない。
ネギ坊主先生がアドバイスしてくれたみたいに、センター試
験の取りこぼしを少なくして、二次試験を余裕を持って受け
られるようにした方がいいんだ。
そして、僕は間違いなくそっちの方が向いてる。

でもレベルを上げるとなると、筆記式の試験に対する苦手意
識の改善から取り組まないとならない。
センター試験の基礎点の比率が小さくなれば、その分二次試
験での賭け要素が強くなってしまう。

どうするか。

確かに、夏期講習の時にはまだ両にらみで出来るんだ。
講習で主力を置いてるのは二次試験対策だから、そこのレベ
ルを上げれば県立大生物以上のところを狙える。
でも……。

まだ自分の中でいろんな迷いがあって、それが勉強に対する
姿勢をぐらぐらさせてる。

「あ、工藤さん、どやったー?」

席で腕組みしたまま考え込んでいたら、背中に武田さんの声
がぽんと当たった。

「あ、こんちですー。まあまあだったかも」

「まあまあ、かあ」

「これまでのレベルじゃなくて、ゴールを想定してのまあま
あだから、自分ではこんなもんかなーと」

「ふうん。どれくらい取れそう?」

「今回のは、八割くらいじゃないかな」

「おおー! やっぱ上げてくるなあ」

「武田さんは?」

「俺もそんくらい。センターのはそれくらい取れてればいい
から」

「二次、厚いんですよね?」

「んだ。センターの配点は三割ってとこばっかだから」

「ううー、そっかあ」

「夏期講習でぎっちり絞らんと、全然届かんわー」

「二次系の模試はどうなんですか?」

「勝ち負け交互って感じかなあ。前回は悪かった」

「そっかあ……僕も今いちだったからなあ」

「世ゼミオープン?」

「そうです。偏差値でぎり60」

「むー。工藤さんならもっと行けるやろ」

「進路指導の先生にもそう言われました。だけど、どうも二
次形式の方は習熟度が上がんないっていうか……」

「分かる分かる。向き不向きもあるもんなあ」

「ですです」

武田さんとそんな話をわいわいやってたら、ものっそ恐い顔
の立水がゆらっと寄ってきた。

「立水、どうだった?」

「惨敗」

「げ……」

「夏期講習の時には冗談抜きで死ぬ気でやらねえと、スター
トラインにすら立てん」

「そっか……」

「悪い。先に帰る」

「おつー」

「ああ」

僕や武田さんに突っ込みが入れられないほど、出来が悪かっ
たんだろう。
いつもなら怒り爆裂になる立水が、肩を落としてとぼとぼと
教室を出て行った。



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三年生編 第69話(1) [小説]

7月25日(土曜日)

夏休みの初日が模試だなんて、なんて冴えないんだ。
……と言いたいところだけど、この模試は僕にとってものす
ごく重要だった。

春期講習の時も、講習の前後で習熟度のチェックを試験で確
かめた。
あさってからの講習では、最後に学力判定模試があるけど、
開始前のが用意されていない。
それは、自力でやってねってことだ。

今日のはセンター試験の模試だから、筆記式の二次試験前の
基礎点をどこまで稼げるかのチェックになる。
前にねぎ坊主先生から教わったみたいに、県立大を目指すな
らここで稼いでおけば二次試験が楽になる。
でも、二次比率の高い国公立のレベルの高いところを目指す
なら、ここに力を入れ過ぎてもしょうがない。

僕としては、今日の模試と講習後の模試を比べてどうのこう
のっていうよりも、自分の適性がどこにあるのかを確かめる
のが目的になる。

変な話だけど。
頭の良さっていうのは、いろんなパーツから出来てるんだっ
てことがよーく分かってきた。

記憶力、判断力、推理力、応用力。
本当に頭のいい人っていうのは、そのどれかがずば抜けてるっ
てことじゃなくて、バランスがいいんだろう。
いろいろ知ってて、それを組み立てて使える。

センター試験の場合、そのうちの『知ってる』というところ
だけを取り出して調べる感じ。
二次試験は、知ってることはもう前提になってて、それを組
み立てて応用する能力を見るって感じ。
でも、そこにはやる気とか人格とか、そういうのはまるっき
り入ってないんだ。

それは……つまんないなあと思う反面、『人』を評価されちゃ
うと大学に行けない子にも進学のチャンスを与えてるってこ
となのかも知れない。

僕はどうなのかなあ。
嫌なやつじゃないと思うけど、性格だけで大学に入れてくれっ
て言えるほど偉くもないと思う。

おっとっと。
考えが変な方向に逸れちゃった。

28日からの夏期講習。
夏休みの半分以上をぶち込んで、自分に出来る限界ぎりぎり
まで追い込んで、学力を上げておかなければならない。

一斉に追い込んでくる他の受験生たちとの競争に負けていな
いかを確かめるためにも、どの模試も手を抜くことは出来な
いんだよね。

さて、出陣だ。

「行ってきまーす」

「気をつけてね」

「へーい」

ちゃりにまたがって、夏空を見上げる。

がんがん容赦なく照りつける真夏の太陽。
本当なら、その爆発的なエネルギーを思う存分ごくごくと飲
み込みたいところだけど……。

ちぇ。

これから僕が行くのは、その日差しが届かない涼しいところ
なんだよな……。


           −=*=−


「うーす」

「よう、立水。おまいも受けるんだ」

「まあな。リョウさんからは、センター系のやつはこれで最
後にしとけって言われてるけどな」

そっか。まだリョウさんが指導役で付いてたんだ。
なんだかんだ言って続いてたんか。

「どんな感じ?」

「全然だ。志望別でまだCに届いてねえ」

げ!!

「お、おまい、そこまで上げたんか!」

「なかなか……進まん」

「いや、冗談抜きにすげえと思うぞ」

「そうか?」

「国立のいいとこは、僕はEから上がってないからなー」

「ふん」

立水的には下と比べてもしょうがないってことなんだろう。
それ以上、何のコメントも出て来なかった。
じわっと……焦りが。

「じゃあ、この模試のクリアラインは半分てとこ?」

「それじゃダメだとよ。足切りラインは絶対にクリアしねえ
と、そもそも二次に進めねえとさ」

「うわ」

「目標七割だ」

……。ごくり。
これが……高いところにハードルを置いた奴の凄みなんだろ
う。

「もっとも、今の俺じゃ半分がとこだ。先はなげえ」

力なく首を振った立水が、拳で自分の頭をがんがんと殴った。

「ちっ! この脳みそだけ、どっかの天才のと取っ替えたい
ぜ」

「……」

立水の冗談を笑えるような気分ではなかった。

絶対的な学力なら、今の時点では立水より僕の方がまだ上な
んだろう。
でも現時点の優劣は、最終ゴールに到達できるかどうかには
何も影響しないんだ。

僕らはゴールのレベルをどうするか、自由に選べる。
ゴールをどんな風に設定するかで、自分の学力をどこまで鍛
え上げ、それをどう使えるかが決まっていく。

そして立水は、ゴールの位置を下げるつもりはこれっぽっち
もない。中途半端にゴールの設定を動かそうとしてる僕とは、
覚悟のレベルが全然違う。
それが……追い込み効率の差に出てきてるんだろう。

……冷や汗が出てきた。

いや、ここで焦ってもしょうがない。
人と比べて落ち込むのは僕の悪い癖だ。切り替えよう。

「まあ、後は模試が終わってからにしようぜ」

「そうだな」

ちらっと会場の時計に目を遣った立水が、さっと席に戻った。



三年生編 第68話(5) [小説]

帰り道。
しゃらは、いつも以上におしゃべりだった。
しばらく僕がいなくなる不安を、しゃべり倒して振り払おう
とするかのように。

ちゃり押しながらのゆっくり歩きでも、分岐点には到達して
しまう。
いつものように、そこで僕としゃらの道は分かれる。

坂口の商店街の入り口。
不安げな表情を隠そうともせず、しばらく僕の腕を抱え込ん
でいたしゃらは、諦めたように腕を離してひらひらと手を
振った。

「夜に電話する」

「ああ、またね」

「うん!」

何度か振り返りながら、しゃらが商店街の中を駆け抜けて
いった。
僕も、いつもならすぐ坂を登るんだけど、しゃらの背中が見
えなくなるまで見送った。

もちろん、これが最後なんかじゃないよ。
いつものお別れさ。

でも、明日も会えるとは……言えない。
もう……言えない。

変化が来る。
僕やしゃらが望む、望まないに関係なく、変化は来てしまう。

「ふうっ……」

カバンを肩に担ぎ上げ、夏空を見上げる。

いつもの夏。
でも、これまでとは違う夏。

夏は、いつでも、どこでも夏だ。
変わらない。

変わっているのは。
変わっていくのは僕たちだ。

僕やしゃらがいつまでも高校生でいられないように。
時は容赦なく僕らを急き立てて、今から追い払っていく。

そして。
今朝の実生。
さっきのしゃら。
今の僕。

誰もが変わることを不安に感じてる。
このまま。安定した今がずっと続けばいいのにと願ってる。
そんなことは出来っこない。ありっこない。
それを、分かっていても、なお。

「おりゃあ!」

地面にがっちり張り付いていた足を引き剥がすようにして、
僕は商店街に背を向けた。
そして、のしのしと足を進めた。

残念だけど、もう立ち止まっている暇はないんだ。
立ち止まっていても、何も出来ないから。

そうさ。変わることをいたずらに恐れたくない。
だって、黙っていても僕らは変わってしまうのだから。

サネカズラの地味な花が、いつの間にか真っ赤なルビーの集
まりみたいな果実になるのと同じ。

変化は……来る。必ず来るんだ。

どうせ何もかもが変化するのなら。
僕はそこに実りを乗せたいと思う。実りを残したいと思う。
変化に挑んだ、自分自身へのご褒美として。

「まず、明日の模試だな」

楽しめる夏休みにはならないよ。
でも、まだいっぱいガラクタを抱えている僕が、初めて自分
の力で自分を意識して修理し、鍛え上げる時が来たんだ。
いじめられるのはまっぴらだけど、自分をいじめ抜くことが
必要な時もあるんだ。

僕は……立水には負けたくない。
いや立水だけじゃなくて、自分の目標を定めて死に物狂いで
追い込んでくる全国の受験生には絶対に負けたくない。

去年の夏、しゃらと揉めた後でしゃらに言った言葉を思い出
す。

『独りが嫌なら、独りでなくするってことだけじゃなくて、
独りに耐えるってことも必要』

「……」

ぐっと両拳を握りしめる。

今こそ、その時だ。その時が来た。

この夏。
自分を勉強で追い込むだけじゃない。
家族や理解者に囲まれてぬくぬくと過ごして来た、たるんだ
自分をきっちりリセットしよう。心をハードに鍛え直そう。

伐られても伐られても再生するサネカズラになんか、負けて
たまるかあっ!!

「うおっしゃああああっ!!」




sanek.jpg
今日の花:サネカズラKadsura japonica


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三年生編 第68話(4) [小説]

「風紀委員の工藤です。前回の委員会でも、拍子抜けするく
らいに軽いネタで、がっかりしました」

どっ!
みんなが哄笑する。

「でも大高先生はちゃんと仕込みを入れてましたので、それ
だけ伝えておきます」

し……ん。

「今日の校長の挨拶でも、校則を遵守しろっていうコメント
が最後に出ましたし、大高先生の毒ガスもそこに集中してま
した。それは、学校側が厳しく取り締まるぞってことじゃあ
りません。逆です」

えええっ!?

みんながびっくりする。

「今年は、受験指導だけじゃなくて、先生方が主導する補講
や部活指導も忙しくなってます。時間外に街中を見回って、
校則違反の生徒を見張る余裕なんかないんです」

一同納得。

「おまえら幼稚園のガキじゃないんだろ? てめえのケツく
らいてめえで拭きやがれ! それがホンネ」

「つまり、夏休み期間に校則違反したことがもとでどんな悲
惨なことになっても、おら一切知らねーぞ……ってことで
す。みんな、しっかり自衛してくださいね。特に女子!」

ぐるっと見回す。

「校内でのトラブルは、学校側できちんと対処してもらえま
すが、一歩校門を出たらそこから先は何もしてくれません。
夜間の外出やバイト、旅行とか、充分に用心してください」

「まあ、三年にはあまり関係ないと思うんですが、部の下級
生なんかには、甘く見るなって注意してあげてください。よ
ろしくう!」

何度か頷いていたえびちゃんは、さっと席に戻った僕と入れ
替わって教壇に立った。

「そうね。君たちにはあまり関係しないと思うけど、予備校
の夜間コースを受講してる子なんかは、夜道に充分気をつけ
てください。出来れば友達と一緒に行動するとか、トラブル
を避ける工夫をしてね」

「じゃあ、これで一学期の授業を終了します」

日直がさっと立ち上がって声を上げた。

「起立!」

「礼!」

「ありがとうございました!」


           −=*=−


一、二年の時と違って、さすがに待ちに待った夏休みってわ
けには行かない。

終業式の今日も、えびちゃんとの面談が控えてる子がいたし、
夏期講習の情報交換をしてる子もまだ教室に残ってる。

「いっきぃ、帰りどうすんの?」

「中庭を一度見回って、それから帰るわ」

「いっきは、ちゃりで来たの?」

「んだ」

「うーん……」

「バスで来たん?」

「そうなの。タイヤの空気抜けちゃってて。ぎりぎりで家出
たから」

「そっかー」

夏期講習の合宿が始まると、しばらく会えなくなる。
しゃらは、少しでも僕と一緒の時間が欲しいんだろう。
じゃあ、ちゃり押して帰るか。

「待っててくれたら、一緒に帰れるよ」

「わあい!」

ぴょんぴょん飛び跳ねて、しゃらが喜んだ。

「じゃあ、ちゃり置き場んとこで待ってて。さっと見回って
くる」

「分かったー」

カバンをひょいと抱えて、先に教室を出る。
生徒玄関で靴を履き替え、走って中庭に行った。

「あれ?」

カードボードを持った中沢先生が、中庭の入り口のところで
腕組みしながら何か見てる。

「せんせー。何かあるんですか?」

「お? 工藤くんか。いや、こいつがどこから来たのかなあ
と思ってさ」

先生の指差した先には、四方くんたちががんばって作った手
作りパーゴラに絡まるつる植物。

「えーっ!? こんなん前からありましたっけ?」

「記憶にないんだ。まあ、鳥がタネを運んだんだろうけどね」

「へー……」

パーゴラに這い上がっているのは、結構ごついつる植物だっ
た。草じゃなくて、樹木っぽいなあ。

「これ、なんですか?」

「サネカズラ。ビナンカズラとも言うね。花が咲いてるから、
そんなに若い株じゃないな」

「うわ。じゃあ、もしかして宇戸野さんが整備された時のが
生き残ってた?」

「それは微妙。工藤くんが入学した時に、センターのところ
にはずらっと木が残ってたろ?」

「あ、そうか。それに留まってた鳥の落し物から出てきたの
かもってことか」

「そっちの可能性の方が高いと思う。きゃしゃな草じゃない
から整備の時にも抜かれなかったんじゃない?」

「抜かれなくても、切り捨てられてるんじゃ?」

「こいつはタフだよ。刈り込んでもまた芽吹く」

「ひえー」

先生が見下ろしているサネカズラの花。
まあ、地味だわ。薄いクリーム色の花弁と、赤っぽい花芯。
特にきれいではない。観賞用って感じじゃないなあ……。

「抜いた方がいいですか?」

「いや、わたしは活かした方がいいと思うよ。華道班の子が
喜ぶでしょ」

「こんな地味なのに?」

「花はね。花の後にルビー色の果実が集まった大きな集合果
が出来るの。それは、お華でよく使われる」

「わお! それじゃあ残さなきゃ」

「ははは。でも勢いつくと、手当たり次第つるをはびこらせ
て始末に負えなくなる。管理を徹底しないとね」

そっか……。
申し送りにしておこう。

おっと、しゃらを待たしてたんだ。

「じゃあ、僕はこれで」

「ああ、お疲れさん」

ばたばたばたっ!


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三年生編 第68話(3) [小説]

「みなさん、一学期お疲れ様でした。わたしは初めての担任
で全然頼りなかったと思うけど、これからは遠慮なくプレッ
シャーをかけます」

しでかしたことへの反省ではなく、僕らへの厳しい姿勢を前
に出したえびちゃん。

「わたしのようなひよっこは、受験指導っていう面ではベテ
ランの先生に全然敵わないんだけど、わたしや中沢さんが唯
一メリットに出来ることがあるの」

「それは、わたしたちもちょっと前までは受験生だったって
ことね」

「勉強そのものだけでなく、受験生の焦りや悩み、勉強への
アプローチの工夫。君たちが苦労することは、わたしたちも
苦労したことで、その時の経験や感覚がまだ鮮明に残ってま
す」

「その分、君らから持ち込まれた相談には、積極的に答えら
れると思います。夏休み期間中も、必要に応じていつでも連
絡を下さい」

「直接の面談でなくても、メールでのやり取りでも出来る限
り答えますので」

うん。そう言ってもらえるのは嬉しいね。
なんか最初にごちゃごちゃあった分だけ、ぴしっと筋が通っ
たっていうか、頼もしくなった気がする。

……まあ、えびちゃんなりに、だけどさ。

「さて、それではこれから成績票を渡しますが」

ぐるっと僕らを見回して、先生が意外な言葉を口にした。

「今回の成績票に限り、若干のトリックがあります」

は? と、とりっくぅ?
なんだろ?

「うちのクラスでも何人か志望者がいますが、推薦で大学進
学を狙っている子は、願書の提出が早いんです。二学期の期
末試験の成績が出るのを待っていられないことがあります」

あ、そうか。

「なので、推薦を狙う時に不利にならないよう、成績票には
加算点が入っています」

先生が、出席簿でぽんと教卓を叩いた。

「それは、必ずしもずるということではないので、勘違いし
ないようにね。成績票の中には授業を受ける姿勢、小テスト
の成績なんかも加算してあります」

「一般入試組は、成績票がいくらよくてもあんまり意味があ
りませんので、試験成績以外の加算を減らしてあるんです」

「この高校での定期試験の成績というのは、校内でしか意味
を持ちません。あくまで、君らの学力チェックの参考くらい
にしかならない」

「でも、それが校外に数字として出る時には、とんでもなく
重い意味を持つんです。それを、よーく覚えておいてくださ
いね」

えびちゃんは、もう一度僕らをぐるっと見回した。

「この高校の進学実績がどうなるか。それは、君らには直接
関係のないことです。でもわたしたちは、君らが自分の夢を
叶えるための選択肢を広げたい」

「ここらへんでいいかって考えていれば、ここらへんのもの
しか手に入りません。だからって、いきなり高望みしても玉
砕するだけです」

「君らのベース、基礎学力をきちんと固めた上で、君らに付
加価値を考える余裕を持ってもらう指導。そう考えてくれれ
ば嬉しいです」

なるほど。
それって、えびちゃんの持論じゃないな。
安楽校長からガイドラインが示されて、それを学生にきちん
と説明しなさいってことなんだろう。
完全実力主義だった安楽校長が、その舵を違う方向に切った
ということだ。

今えびちゃんが言ったことは、さっきの校長の挨拶には全く
出てこなかった。
つまり校長の一存で決めたことじゃなく、校長のマネージメ
ントプランに先生たちが納得して、合意したってことなんだ
ろうな。

一見地味だけど。
その路線転換の衝撃は、去年の沢渡校長のよりはるかに大き
いかもしれないね。

自由にさせてやるけど、全ての責任はおまえら自身が負え。
それがこれまで。
これからは、自由を制限する代わりにサポートを充実させ
る、だ。

そのどっちが正しいってことじゃない。
それぞれにメリットとデメリットがあるってことなんだろう。

「それでは、これから成績票を渡します。名前が呼ばれた人
は取りに来てください」

えびちゃんがきびきびと名前を読み上げ、僕らはそれをさっ
と取りに行く。

成績票を取りに行ったしゃらは、中を見てほっとしつつも、
さっきのえびちゃんの色付け宣言を気にしたのか、微妙な表
情だった。

僕のはどうかな?

「……」

まあ、こんなものか。
やっぱり英語の点が辛い。
これからがっつり勉強強化せんとなあ……。

「ああ、そうだ」

成績票を渡し終えたえびちゃんが、僕を指差した。

「工藤くん、風紀委員会からは何か報告はないの?」

まあ、ないっちゃないんだけど……。

「じゃあ」

先生と入れ替わって前に出た。


三年生編 第68話(2) [小説]

終業式のアナウンスが流れて、全校生徒が校庭に集められた。

安楽校長の口からどんな爆弾発言が飛び出すか、みんなはら
はらしていたと思う。
でも僕が入学した時と同じで、校長の挨拶はとても簡素で地
味だった。

夏休みは長いと思っていると、あっという間に過ぎてしまう。
それぞれにきちんと目標を立て、有意義に夏休みを使って欲
しい。それだけ。

ただし、警告はやっぱり出た。

「みなさんご存知のように、今年から校則が強化されていま
す。夏休み中もその制限はしっかりかかりますので、本校生
徒であることを肝に銘じ、校則と生活規範をしっかり守って
過ごしてください」

もう一つ、これまでとは違うことがあった。

去年の終業式では、校長挨拶の後に生活指導の瞬ちゃんが毒
ガスをぶち撒いたんだけど、今年は副校長の大高先生がその
役目をした。

簡素な安楽校長の挨拶と違って、大高先生の僕らへの注文は
はんぱなく厳しかった。

そうか。なるほどね。
ここでも、校長、副校長、先生たちっていう役割分担をはっ
きりさせておこうってことなんだろう。

先生たちは、学校の全体管理には直接タッチしなくてもいい。
その分、勉強を教えること、そして部活やクラスのコントロー
ルをしっかりやってくれっていう線引きをしたんだ。
校長、副校長と僕らとの間でちゃんと調整役をしてくれって
いうことなんだろう。

去年、来たばかりの瞬ちゃんが、なぜ汚れ役をやらざるを得
なかったか。
生活指導にまで直接校長が首を突っ込んだら、最初から大騒
ぎになるからだ。

僕らの引き締め役のように見えて、実は瞬ちゃんのところが
対校長の防波堤になってたってこと。
その異常性が、今になってよーく分かる。

それが、大高先生が来たことで筋に戻せた。
間違いなく厳しくはなるけど、全体としてはこれがあるべき
姿なんだろうな……。

特に大きな波乱なく終業式が終わって、僕らはぞろぞろと教
室に戻った。

ささっとゆいちゃんが寄って来る。

「ねえねえ、くどーくん」

「なに?」

「さっきの大高先生のどやしさあ。どこまで本気?」

「最初から最後まで」

どべっ。

ゆいちゃんだけでなく、ヤスやしゃらもぶっこけた。

「ええー?」

「ひでえ」

「てか、あんくらい言わないと、効かないんだよ」

ゆいちゃんが、シャーペンで手帳をぱんと叩く!

「そっかあ!」

「先生一人一人を僕らの監視役で付けるっていうならともか
く、僕らがみんなプライベートで動く夏休みに、実効性のあ
る網なんかかけられないって」

「そうだよな」

「おまえらには、こんくらいきつく言わないと効かないだ
ろってとこさ。まだおっかなびっくりの一年には効果がある
し、僕ら三年にはあんま関係ない」

「夏期講習組が多いもんなあ」

「そ。あとは、適当にスレてて一番がっつり遊びたい二年
に、最初にちゃんとプレッシャーかけとこうってことで
しょ」

「ふむふむ」

そこに、のそっと立水がやって来た。

「おい、工藤」

「うん?」

「例のとこ。いつ入るんだ?」

「27日。28日から夏期講習が開講だから、前日に入る」

「俺もそうするか」

「おまえんとこは開講は?」

「同じだ。28から」

「いよいよだな」

「死ぬ気でやるぜ!!」

立水の気合いの入れようははんぱじゃなかった。
いや、実際ここで地力を上げておかないと早々に白旗だから
な。

立水の気合いとは裏腹に、しゃらは見るからに元気がなかっ
た。まあ……しょうがないよね。
夏期講習の間は、直接会えないってことだけじゃない。
電話でのやり取りも含めて、一切のアクセスが遮断されてし
まう。

今まで、何かあってもほとんどべったり二人三脚で過ごして
きた僕らにとっては、トラブルもないのに没交渉になる初め
ての期間になるんだ。

家の建て替えや不調のお母さん、先行き不安なお兄さんのこ
とで、しゃらは大きな心労を抱えている。
しゃらにとっては、僕っていうはけ口を取り上げられる辛い
期間になる。
でも……僕はしゃらのいない期間を乗り越えたいし、しゃら
にも乗り越えて欲しい。

先々僕らの道を重ねるためには、今は一人で歩く訓練が絶対
に必要なんだ。

僕らの将来(さき)のこと。
それはユメとかキボウとか、そんなあやふやなものじゃだめ。
具体的にどうするっていうプランを。
僕らが庭の設計をする時みたいに、使える時間と予算、人の
配置を考えるプランを。
これから、しっかり考えていかないとならない。

「わ! えびちゃんが来たっ!」

ゆいちゃんが慌てて手帳を畳み、やべーって感じでみんなが
さっと自分の席に散った。


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三年生編 第68話(1) [小説]

7月24日(金曜日)

一学期が終わる寸前に、プロジェクトやしゃら絡みで小さな
ごたごたがあったけど、どれも一応決着が付いた。
僕としてはほっと一安心だ。

追試を受けた実生は辛うじてそれをクリアして、なんとか明
るい夏休みが送れることになったらしい。
ずっと前からバイトを探していた実生は、結局無難にリドル
のウエイトレスをすることになった。

それまでは行きがかり上しゃらが代行してた部分を、完全に
実生が引き継ぐ形になったわけ。
他の二人のアルバイターとのシフト制だからアルバイト代は
知れてると思うけど、客対を覚えるには手頃だと思う。
マスターは優しいしね。

マスターからアルバイト許可申請用の書類に署名とハンコを
もらってきた実生が、書き落としたところがないかどうかを
何度も確認していた。

「お兄ちゃん、これでいいかなあ」

「どれ」

今日提出して担任から確実におっけーをもらわないと、バイ
ト出来なくなるから、実生は真剣だ。

バイトでやる仕事の内容。
雇用者の名前と印鑑、事業所の所在地、連絡用の電話番号。
勤務時間と期間。時給。

うん。問題なし。
てか、マスターって小此木正伸(おこのぎまさのぶ)ってい
う名前だったのね。
みーんなマスターとしか言わないから、名前知らんかった。
だははっ!

「書類はばっちり。それよか、早稲田先生ってめっちゃいい
加減だから、必ず書類出したその場で許可印もらってね。先
生の後でやっとくは、やらないと同じ。それじゃ、なんか
あった時に困るよ?」

「う……そうだあ」

ぎりぎりになっちゃったからなあ。
追試がなければもう少し余裕持って書類出せたんだろうけど、
しょうがない。
ま、こういうのも経験ということで。

「さて、さっさと行こう」

ひょいとカバンを担いだ僕を見て、実生が慌てて書類をカバ
ンにしまった。

「待ってよう!」

「先行くでー」

「えーん」

妹と肩並べて仲良く登校なんてことはない。ちゃりだからね。
それでも、実生にとっては兄妹で一緒に行動できる数少ない
機会だ。
僕は、後ろで必死にちゃりを漕ぐ実生の姿を振り返って、思
わず苦笑いする。

そうなんだよなあ。

僕が高校に上がってからは、どっちかと言えば僕と一緒の行
動を避けてた実生。
それは、僕にしゃらっていう彼女が出来たから遠慮してって
いうだけじゃないと思う。

こっちに越してきてからは、僕が実生を庇わないとならない
事態が起こらなかった。
実生はそれを、本格的な自立を始めるきっかけにしたんだろ
う。

困った時はお兄ちゃんに頼ればいい。
実生が小さい時には、確かにそういうところがあった。
だけど、僕に頼ったり庇ってもらうのが必ずしも自分にはプ
ラスにならないってことを、少しずつ悟ったんだと思う。
だって、学年が違う僕らはずっと一緒にはいられないもの。

ただ、転校ばっかしてた頃はそれが実生のやせ我慢という形
になっちゃって、すぐ実生の体調に跳ねてしまってた。
結果として、実生が僕を頼り、僕が実生を庇う構図は変えら
れなかったんだよね。

でも。
こっちに来てからいじめの圧力が消えて、実生は無理しない
でのびのびと自分の我を出せるようになった。

自分と僕をいっしょくたに考える必要がなくなったから、自
分の好きなことやりたいことだけに集中出来て、好き嫌い以
前に僕のことを特別意識しないで済んだ。
それだけだと思う。

だけどね。
僕と実生とでは、父さん母さんの中での位置付けが全然違う
んだよね。

僕に対しては、二人とも早くから距離を置いてる。
男の子なんだから、自分のことは自分で決めなさいよって。
そこがものっそドライ。

高校の入学式で分かるでしょ。
僕ん時は、母さん、買い物帰りにジャージ姿で来たんだよ? 
今でも信じられんわ。
それなのに、実生の時にはドレスアップして、フルメイクし
て行ったからね。

でも、それは愛情の差じゃない。心配の差だ。

僕の周りに父さん母さんが立ててくれた防御壁は、もうどん
どん取っ払われてきてる。
そうしないと僕が外海に出られないから。

でも、実生の自立心は父さん母さんに信用されてないんだ。
まだシェルターの中に囲っておかないと、怖くてしょうがな
いって見られてるんだろう。
だから、母さんがちゃんとマンツーマンの対応をしてるんだ。

そして勘のいい実生はそれに気付いてる。
気付いてるだけじゃない。実生自身も自分からシェルターを
出る勇気はまだないんだよね。

高校に入ったばっかなんだから、焦る必要は全然ないと思う
けど、いずれは実生もこの家から出なければならない日が来
るだろう。

それを考えたくない。
ずっとこのまま、居心地のいい『今』を抱きかかえていたい。
本当なら、年頃的に僕との距離がもっと開くはずの実生が最
近妙に絡んでくる背景には……そういう先への恐れみたいな
意識があるんじゃないかなと思う。

その恐れの気持ちは、僕にもあるけどね。

家族としてのスクラムをがっちり組んできた僕らは、それを
解くのに苦労してるんだ。
僕も苦労してるよ。

自立して家を出ることは、家族の間の信頼や愛情の終わりな
んかじゃないよね。
でもそれだからこそ、どこかに遠心力が働かないと家を飛び
出す踏ん切りがつかないんだ。

たぶん。
僕の場合は、しゃらとの今後のことがその遠心力になると思
う。てか、僕はそうするつもりでいる。

それを実生がどう思うか。どう考えるか。

……僕には分からないんだよね。