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三年生編 第59話(4) [小説]

「神様なんていない。そう、伯母さんだって神様じゃないん
だ。伯母さんを僕らと並べて見るなら、同じ目線で伯母さん
と話しないとならないの」

「そういうことかー」

「いばる必要も卑屈になる必要もない。今、こういう状態で
す。出来ることはこれだけです。きちんとそう言うだけ。伯
母さんは怒らないし、バカにしないよ。そんな状況じゃない
んだから」

「うん!」

すべきことから感情を切り離す。
とっても難しいことなんだけど、僕らはそれに挑んで行かな
いとならない。
それは弓削さんのことだけでなく、受験にも関わるからだ。

しゃらだけでなく、僕もまだそれがうまく出来てるとは言え
ないんだよね。訓練しなきゃなあ……。

「なに考え込んでるの?」

「いや、今日も模試だったんだけどさ」

「あ、そうだったんだ」

「出来はまあまあ。良くも悪くもなし。だけどさ」

「うん」

「最初の大コケしたやつ。問題見た時点で頭が真っ白になっ
たんだよね」

「範囲がズレてたってやつ?」

「そう。それって、自分の感情をコントロールし切れてな
いってことなんだよね」

「……」

「試験もそうだけど、いろんな事態が降りかかった時にそこ
から盛り返すなら、どうしても自分のネガを真っ先に抑え込
まないとならないと思う」

「そっか。あがったり、しょげたり、投げたり……」

「それじゃ、最初からアウトだよね」

「確かにそうだー」

「そこが、まだまだ甘いなーと思ってさ」

「……」

「リョウさんに叩き込まれた二つのキーポイント」

「うん。集中と効率化、だよね」

「それにもう一ついるんじゃないかなーと思う」

「それがさっきの?」

「そう。平常心。動じない心。集中出来るとしたらその結果
であって、感情が吹き出したら集中なんか無理だよ」

「うーん、なるほどなー」

「前からじじむさいじじむさいって言われてるけど、その割
には中身はまだまだガキだなあと思ってさ」

「ちょっとお、いっきがガキならわたしはどうなるのよう」

「わはははははっ!」

まあ、いいんちゃう?
伯母さんに、良くも悪くもそれがしゃらだって言ったけど、
感情が素直に見えるのは決して悪くないと思う。
ただ、ネガがだだ漏れになってる今のしゃらは、弓削さんの
ケアには合わないっていうだけ。

感情がダイレクトに見えるのは、りんも同じだ。
でも、りんには今ネガなことがないんだよね。
何を目指すか決まってて、受験もなくて、とりま母親との関
係が安定してる。生活も部活も充実してる。
そこが、家の事情に振り回されてるしゃらとはうんとこさ違
うんだ。

妹尾さんは、それをきちんと見抜いてくれるだろう。

とりま、昨日の夜の微妙な感情のもつれが薄れて、しゃらの
元気が戻った。
七日のプレゼンでゾンビになって立たれたんじゃ、それこそ
『中庭から元気を発信』なんか嘘っぱちってことになっちゃ
うからね。

「あ、そうだ。しゃら」

「なに?」

「イベ班の、例の引き締め」

「うん」

「僕は、板野さんを噛まさん方がいいと思う」

「……」

「必ず、うちのプロジェクトの中で始末して」

「どして?」

「板野さんを怒らしたら、もう一年生は御用聞きに行かなく
なるよ?」

「あっ!!」

「だろ?」

「そ、そっか」

「上級生が下級生を指揮するっていう形式を取ってない以
上、他の部に頭を下げろっていうしゃらたちの指導は一年生
たちには理解出来ない。ましてや、それを他部の部長さんか
ら言われたら、なんであんたの命令なんか聞かなあかんのっ
てなる。かえって逆効果」

「……」

「それよか、今後もイベントやるかどうかも含めて、一年生
の間だけでもう一回議論してくださいって投げ返した方がよ
くない?」

「うん……そうだよね」

「それにお金が絡んでるってこと。それを資料にして必ず付
けて」

ぱちん!
しゃらが指を鳴らした。

「そっかあ! その手があったかあ!」

「でしょ? 苦労してでもイベントを盛り上げれば、他部か
らの寄付を期待できるの。そういうところで少ない部費を有
効利用しないと、本当に保たない。もうボランティアベース
じゃないからね」

しゃらが、拳でがんがんと頭を叩いた。

「まだまだだなあ……」

「いや、それだけしゃらもいっぱいいっぱいだったんだよ。
家のことが何もなければしゃらも気付いたはずさ」

「はあ……そうかもしれない」

「まあ、なんとか乗り切ろうぜ。悪いことばっかじゃないか
らさ」

「そだね!」




三年生編 第59話(3) [小説]

ふうっ……。
しゃらが小さな吐息を漏らした。

これも、比較の問題。
僕もしゃらも、今するべきこと、こなさなければならないこ
とがあって、それは決して簡単なことじゃない。

でも今目の前に血塗れで倒れている人がいたら、やっぱその
人を助けようとするじゃん。
それが当たり前だと思う。

ケアに関わる以上は全力で。
言うのは簡単。でも、実際にそうするのはすっごく難しい。
これが……間違いなく現実の苦さなんだろう。

森本先生が言ったこと。
五条さんや中沢先生、恩納先輩のケアがうまく行ったのはた
またまであって、決して必然の結果ではない。
サポートする側がどんなに全力を尽くしても、望んだ結果に
ならないことの方が多い。

でも。
思うようにならない現実を見て目を逸らしたり逃げたりすれ
ば、チャンスがあってもそれを生かせなくなる。

オールオアナッシング。ゼロか百か。
そういう考え方は、こういう福祉のケースでは害にしかなら
ないんだろう。

ゼロでなく、1でも0.1でもいい。
それがゼロでない限り、まだチャンスはある。
そういう考え方が、どうしても必要なんだろう。

だからこそ、僕が安易に伯母さんに話を振ったことはまずかっ
たんだよね。
伯母さんは、ゼロか百かなら限りなく百に近付けようとする
人だから。

「ねえ……」

重たい沈黙に耐えかねたように、しゃらが小声で言った。

「わたし……どうすればいいの?」

「伯母さんか妹尾さんから声が掛かるまでは待機。僕もそう
する」

「それで……いいの?」

「それしかないもん」

「うん」

「一番怖いのは、共倒れなんだよ」

「共倒れ……かあ」

「弓削さんとのやり取りには、ものすごーく神経を使わない
とならないの。だからこそ、伯母さんが専任の人を付けるた
めに妹尾さんをレンタルしたんだから」

「うん。でもさ」

「ああ」

「いっきは、昨日伯母さまに、わたしをケアに当てるなら前
半て言ってたじゃん」

「そうしないと、伯母さんにしゃらの状況が伝わんないもん」

「あ……」

「伯母さんは、弓削さんの状況としゃらの状況を並べて見る
の」

「そうか……」

「でしょ? そしたら、しゃらの方がずーっとマシに見え
ちゃう。それくらいこなせるよねって思っちゃう」

「……」

「もちろん、伯母さんは僕らが受験生だってことには最大限
配慮してくれると思うよ? でも、それ以外の部分の深刻さ
が全然分かってない。僕は伯母さんに、しゃらの今の状況を
全部説明してるわけじゃないもん」

「うん」

「そこは僕からじゃなくて、しゃらが直接言って欲しい。は
んぱなくしんどいって。それを僕が言うと、まあたしゃらを
囲い込んでって思われちゃう」

「昨日。言ったじゃない」

「本当は言いたくなかったんだよ。でも言っとかないと、伯
母さんにブレーキがかかんないんだ」

あーあ……。
僕は思わず頭を抱え込んじゃう。

「伯母さん、強過ぎるんだよね。その物差しでいろいろなも
のを見ちゃう」

「うん」

「矢野さんとかリックさんみたいのが理想で、自力で出来る
んだからばりばりやんなさいよって、そういう考え方だもん」

「……」

「そんなだから、穂積さんを扱い損ねたんだよね」

「あっ!!」

がばっとしゃらが立ち上がった。

「強い人に対抗したり、立ち上がろうとする人にエールを送
るのは本当に上手なの。でも、へたってる人をうまく触れな
い。それが伯母さんの弱点。見た目ほど完成されてる人じゃ
ないと思う」

しゃらが、伯母さんのところでのやり取りを思い出してる。

「そうか。欠点を抱えてるって……」

「自分で言ってたでしょ? そんなに器用な人じゃないよ」

ふうっ。





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三年生編 第59話(2) [小説]

帰りのバスの中でも降りてから坂を上がる時も、今日の模試
の問題用紙を見ながらいろいろ考えを巡らせていた。

数学と生物は、まあまあ戻した。
問題は、化学だなあ……。記憶系と応用系が微妙に入り混じっ
てて勉強法が難しい。
嫌いだった物理の方が、その点はまだ楽だったかもしれない。

化学は、夏の重点強化項目にしよう。

そして、やっぱり英語がなあ……。
嫌いじゃない……ってか、むしろ教科としては好きなんだけ
ど、その割には取りこぼしが多い。
相変わらず出来不出来にむらがあって、えびちゃんからどや
されたことがちゃんと解消出来てない。

「むー……」

英語でいっしょくたにするんじゃなくて、その中でどこに弱
点があるかをもう一度きちんと洗い直さないとダメだ。
ここは、えびちゃんに再度アドバイスを仰ごう。

「よし、と」

これで、今回の模試の総合結果が偏差値60を越してくれて
ると、自分でも挽回がだいぶ進んだっていう自信になるんだ
けどなあ……。

手にしてたプリントをカバンにしまって、家の蛇腹ゲートを
開けようと思ったら。

幽霊みたいなしゃらがぼーっと立ってて、心臓が止まるかと
思った。

「うううううわわわ、お、おどかすなよう」

「……」

あかん。
完全に撃沈してもーてるわ。

「……。まあ、入って」

「……うん」

怒ってるって感じじゃないな。これは……自信喪失だろう。
それはそれで厄介なんだよなあ。

はあ……。


           −=*=−


ベッドに腰を下ろして、背中を丸めて、完全に意気消沈して
たしゃらが、ぼそぼそとしゃべり出した。

「わたし……ちっとも進歩してなかったんだね」

「……」

「ちょっと……自分自身にがっかりしちゃって」

はあ……。

「違うよ」

「え?」

「今のしゃらの状態で、なんでもしゃきしゃきこなせる方が
おかしいの」

「……」

「それは、しゃらがヘタレとか弱いとか、そんなことじゃな
い。僕がしゃらの立場なら、間違いなくへたれるって。それ
が当たり前なの」

「そ……なの?」

「例えてみるならさ」

「うん」

「父さんが突然失業して、母さんがそのショックでぶっ倒れ
て、実生がぶち切れて家出しちゃって。そのくらいのインパ
クト」

どごおん!
しゃらがぶっこけた。

「うわ……そうなん?」

「しゃらはさ。最初がまさしくそうだったんだよ」

「あ」

「だろ?」

「そうだ。そっかあ……」

「あの時よりはプラスのことが多いし、しゃらが場数を踏ん
でタフになった分しんどさを背負えちゃうの。まだ大丈夫
だって。でも冷静に見ると、しんどさはあの頃とあんま変わ
んない」

「……うん。そう。ほんとに……しんどい」

「それ、伯母さんに言った?」

しゃらが、ゆっくり首を振った。

「はっきり言った方がいい。妹尾さんがコーディネーターを
してるから、しゃらの心身の状態を見ながらケアの分担を決
めるはず。そこには私情を混ぜないよ。一番適した人、出来
るポテンシャルのある人にケアを任せる。そういう段取りを
するはず」

「そうかあ」

「足を怪我してる人に、全力で走って助けろって言わないで
しょ?」

「うん」

しゃらが、ほっとした顔を見せた。
はあっ……。思わず愚痴っちゃう。

「僕もなあ……今回は失敗しちゃったんだよね」

「え? どこを?」

「伯母さんしか頼れるところがなかったから、仕方なく話を
持ってったけど、ほんとはそうしたくなかったんだ」

「……」

「伯母さんに話を振る以上、僕は絶対に関わらざるを得ない。
でも、その関われる部分がものすごーく少なくなっちゃう」

「人にやらせて自分は……ってことね」

「そう。僕の大っ嫌いなパターン」

「……」

「でも森本先生や長友さんが匙を投げちゃうんじゃ、弓削さ
んに死ねっていうのと同じだよ。そっちも我慢出来ない」

「うん。どうしたらいいんだろうって……」

「思っちゃうよな」



三年生編 第59話(1) [小説]

7月5日(日曜日)

「ぐえええ……」

よれよれの状態で、模試の会場から這い出した。

やっぱり……。
記述式の模試は、ものすごく消耗するなあ。

覚えたことを、引出しを開けてぽこんぽこんと引っ張り出し、
それを穴に入れてくのがマークシートだとしたら。
引っ張り出した後で、そいつでパズルを組まなきゃならない
のが筆記。

パズルは嫌いじゃないけど、限られた時間内に正解まで持っ
ていかないとならないのは、ものすごく疲れる。

レベルの高い大学ほどただの物知りじゃダメで、知ってるこ
とをどう組み立てられるかの応用力を見るってこと。
もちろん受験にはテクニック的なものがあるから、試験での
出来不出来がそのまま頭の良し悪しってわけじゃないんだろ
うけど、要求されることのレベルはぐんと高くなるよね。

「はあ……」

今出来ることを犠牲にして、それを大学っていうハードルを
越すためのエネルギーに換える。
条件が誰にとっても同じである以上、そのシステムがいいと
か悪いとか言っても仕方ない。
でも……。

なーんとなくすっきりしない。
予備校の玄関のところでもたくさしてたら、背後から声がか
かった。

「工藤さん、どやったー?」

あ、武田さんだー。
なんか、顔見るとほっとするなー。

「ちわー。今回は準備期間も長かったし、まあまあかなと」

「まあまあ、かあ」

「なかなかばっちりっていうわけには行かないっすね」

「まあね」

「武田さんは?」

「俺も、まあまあだなー」

そう言いながら、表情は冴えなかった。
手応え的には、目標設定したところまでは届かなかったんだ
ろう。

「武田さんは、夏期講習どうするか決めたんですか?」

「決めた。王文館の合宿」

「東京ですね?」

「そ。予備校の宿舎に缶詰だー」

「一か月?」

「いや、さすがにそれはきつい。二週間コース」

「同じかあ……」

「工藤さんも?」

「僕は合宿じゃなくて、通い。世ゼミの二週間コースです」

「通えんの?」

「ここからじゃなくて、都内のお寺に二週間住み込みます」

ずどおん!
武田さんが、派手にぶっこけた。

「うわあお!」

「そこ、すごいらしいです。勉強関係以外のものは一切持ち
込み禁止で、朝は五時起き」

「ぐわあ……それは修行じゃん!」

「ですね。でも、気合い入りますから」

「料金は?」

「一泊500円」

武田さん、口あんぐり。

「だ、大丈夫かあ?」

「食費入ってませんから」

「それでも安すぎだろー」

「一応学校公認のところなので、定評があるんでしょうね」

「そっかあ。そこは工藤さんだけ?」

「今のところ、僕の他に立水が」

ぶるぶるっと首を振った武田さんが、もう一度同じことを言っ
た。

「間違いなく、修行やなあ」

「ははは。でもそのくらいじゃないと、なかなかエンジンが
回んないです」

「確かにね」

「武田さんとこも、期末はまだなんでしょ?」

「来週」

「うちと同じだ。そっちもあるんだよなあ」

「ああ、そうか。ぽんいちはきつくなったって言ってたもん
なー」

「そう。科目数が多いから、受験でてんぱってる子には辛い
ですよ」

「乗り切るしかないね」

「はい。期末終わってちょっとしたらすぐ夏休みで、講習突
入。あとは完全に受験専念モードですね」

「そやね。そっからどこまで追い込めるかだー」

「がんばりましょう!」

「んだ。26日のセンター試験模試は受けるんだろ?」

「受けます」

「じゃあ、またその時に」

「うっす! じゃあ、またー」

「ばい」

ぐだぐだ感一切なし。
武田さんも、きっちりギアが上がってきたなあ。
うん。身が引き締まる感じがする。僕も頑張んなきゃ!




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三年生編 第58話(8) [小説]

しゃらが……さっき僕が言ったのをどう受け取るかだよなあ。

今さら伯母さんに文句を言ったところで始まらない。
僕は言ってしまったし、しゃらは聞いてしまったんだから。
僕はしゃらに過剰な負荷がかかることを心配してああ言った
つもりだけど、しゃらに意気地なしとバカにしたって取られ
たらしゃれになんない。

それは、がっつり根に持たれるだろう。

僕としゃらとの間で一生懸命築いてきたつもりの信頼関係。
それは好き嫌いの前にあるもので、簡単には崩れないと思っ
てきた。いや……そう思い込んできたんだ。

そんなこと、ないね。

伯母さんが試したこと。
弓削さんのケアに携わる資質を確かめる他に、あんた方カッ
プルはほんとに大丈夫なのって心配も入ってるんだろう。

そんなの伯母さんの余計なちょっかいだと思うけど、だった
ら僕らは余裕でクリアしないとなんないんだ。
それなのに、こんな状態じゃなあ……。

しゃらだって、ほんとは分かってるさ。
僕がどんなに弓削さんのケアに入れ込んだところで、それが
僕やしゃらには何も影響しないってことはね。

万に一つも、僕が弓削さんによろめくシチュエーションなん
かないよ。
あるとすれば逆のパターン。弓削さんが僕に恋愛感情を持っ
ちゃうかも……しゃらが心配するとすれば、それしかないと
思う。

でもね。弓削さんが誰かに恋愛感情を持てるようなら、そも
そもケアの必要なんかないの。
そんな当たり前のことすらしゃらには見えてない。
しゃらの視野が極端に狭くなってるのは、嫉妬癖のせいじゃ
なくて、今のしゃらの心理状態が弓削さん並みに良くないか
らだ。

さっきの電話でも伯母さんに言ったけど、しゃらが何もかも
一人で背負うにはしんどい状況が続いてる。

最初の危機の時は、みんなで寄ってたかってしゃらを支えた
んだ。
僕、会長、りん、かっちんとなっつ、中沢先生、五条さん。
それぞれの役回りを決めて、全力でね。
崖っぷちだったしゃらも、素直に僕らの手を取ってくれた。
だから立ち直りがすっごい早かったんだ。

でも今回は、あの時に比べて条件がうんと悪い。
だって、しゃらはあの頃と違ってずっと強くなってるもの。
しかもしゃらの負荷を増やしてることがらは、決して悪いこ
とばかりじゃない。
前向きにこなせるっていう意識があると、しゃらは素直にし
んどいって言いにくいんだ。

誰にもぶつけようのないストレスが、しょうもない愚痴や嫉
妬に形を変えて吹き出しちゃってる。
それに理屈なんかないんだよね。

しゃらがそういう状態の時には、面倒事には関わらせたくな
い。
だから僕は、弓削さんの件からしゃらを切り離したかった。
でも、お兄さんの暴挙からしゃらの意識を逸らさせるには、
弓削さんのケアを口実にするしかなかったんだ。

そう、あくまで口実なの。
受験を控えてる僕らが弓削さんのケアに関われるところなん
か、実際にはほんの少ししかないんだから。

でもしゃらはともかく、僕は弓削さんのケアから逃げられな
いんだよ。
だって、弓削さんのケアに伯母さんを巻き込んだのは僕だ。
その僕があとはよろしくってとんずらするのは、しゃらのお
兄さん以上の極悪行為だもん。

僕は、無責任に放り出すのだけは絶対にやだ。

そういう僕の立場をしゃらが本当に理解できてるのかが、分
かんないんだよね。

弓削さんとの関係が出来ちゃったけど、道義上はケアに加わ
る義務がなくて、やれる事もやる気もあんまりないしゃら。
弓削さんとは関係がないけど、伯母さん絡みで道義上ケアに
加わる義務が出来て、やれる事はないけどやる気はある僕。

微妙にあちこちがズレてて、しゃらがそれをしっかり把握し
切れてない。

さっき、伯母さんが僕との通話をしゃらに漏らしたのは、そ
ういうズレを今のうちに補正しておきなさいってことなんだ
ろう。

でも、伯母さん。あのやり方は……逆効果なんだよ。

だって僕の説明は、聞きようによってはしゃらがヘタレでだ
らしないからケアに参加するなっていう風に聞こえちゃう。
僕の発言が気遣いなのか、情けないっていう軽蔑なのか、区
別出来ないんだ。

それも……しゃらがものすごーくしんどくて、べっこりへこ
んでるタイミングでさ。

「ふう……」

伯母さんの力や影響力は絶大。
そして伯母さんが力を行使する時には、ちゃんと背景や先行
きを考えてる。
でも、力にはいつも反作用があるんだよね。

親子関係のリセットにしては過激過ぎる手段を取ってしまっ
たりんのケース。
糸井夫婦の悪巧みを、それ以上の力技で完膚なきまで叩き潰
しちゃったこと。

もちろん、どっちもそうする必要があったことはよーく理解
出来る。理解出来るけど……反作用が強すぎるんだ。
結局、りんとこも糸井先生んとこも、親子関係を木っ端微塵
にしちゃったでしょ。
母さんが伯母さんのことを警戒してるのは、そこんとこだと
思う。

伯母さんだから出来ること。
そして、伯母さんがしたから起こること。
することは伯母さんがコントロール出来る。
だけど起きてしまったことは、伯母さんにはもうどうにもな
らないんだよ。

それが、いくら伯母さんの想定内のことだとしてもね。

でも、起きた結果を伯母さんのせいにして責めることは一切
出来ない。
だって僕は伯母さんの性格をよーく知ってて、その上で助力
を頼んでるんだもの。
弓削さんを伯母さんに結び付けたのが僕である以上、僕はそ
こから来るいかなる結果にも責任を持たないとならない。

……しゃらとのことも含めて、ね。

「はあ……めんどくさいことになったなー……」

とりあえず、しゃらのアクションを待とう。
伯母さんは僕が何でもしゃらの先回りをしちゃうことを危惧
してるし、僕もしゃらもそれはまずいと思ってる。

それなら僕は待つしかない。
しゃらが今回のことをどう受け止め、考え、処理するかをね。

「ふう……」

明日の模試の準備をしながら、ふと思い出す。
七月に入ってからあちこちで咲き出した、アガパンサスの花
を。

アガパンサスの花火。
勢いよく咲き広がって、ばんばんと四方に火花を散らす。
それは大輪ですっごい派手なはずなのに、僕には咲いてるん
だなっていうぼんやりした印象しか残らない。

変な話。
伯母さんのところでも僕の部屋でも、僕としゃらとの意識や
感覚の違いが派手にぶつかって赤い火花を散らしたなら。
そうジェニーの件でがっちゃあんとぶつかっちゃった時のよ
うに、感情が赤熱すれば。

それで火傷することはあっても、お互いの気持ちがどこから
出ているのかはっきり見える。
目を逸らせる場所も時間も、どこにもないからね。
その方がずっとましなんだ。

今日みたいに、感情が微妙にずれたままでうやむやになっちゃ
うと、後で疑心暗鬼ががんがん膨らむ。
それはヤバ過ぎ。

青白い花火なんか見たくない。
そんな幽霊みたいなのは……何の役にも立たないよ。

花はなんでも好きなんだけどさ。

「あの花だけは……どうしても好きになれないんだよなあ」




agaps.jpg
今日の花:アガパンサスAgapanthus spp.)



三年生編 第58話(7) [小説]

夕食の後、またねじり鉢巻での勉強態勢に入った。

そろそろ切り上げようと思った十一時くらいに、しゃらじゃ
なくて伯母さんから電話が入った。

「伯母さん? どうしたんですか?」

「いや、いつきくんが説教してくれたの?」

「え?」

「いや、御園さんが八時過ぎに突然来て、泣きながら土下座
したからびっくりしてさ」

ずどおおん!

「あわわわわ」

「まあ、確かにあれじゃ怖くてサポートを頼めないから、ど
うしようかなあと妹尾さんと話してたんだけどね」

「やっぱりかあ」

「やっぱり?」

「そう。伯母さんたちは、他のケアメンバーと同じように、
僕らがちゃんと覚悟してるかどうか、確かめようとしたんで
しょう?」

「ははは。お見通しかあ」

「伯母さんは、シェアハウスの同居人でなくてもしゃらを入
れてケアスタッフを組みたいって言いたかったはず。弓削さ
んのケアが、しゃらのお兄さんや田中のことに関わってます
から」

「うん。そう」

「でも、僕が絡んだ途端に即ガキに戻っちゃうんじゃ、とて
もじゃないけど怖くて関わらせられないですよ」

「……」

「慌てて、君らの出番はもっと後だよって予防線張りました
よね?」

「あーあ、いつきくん相手だと全部ばれちゃうね」

伯母さんの苦笑の声が漏れた。

「まあ、良くも悪くもそれがしゃらなんです。しょうがない
ですよ」

「……」

「ただ、今の状態のままでしゃらを弓削さんに関わらせるの
は、どう見ても危険過ぎます。だから、がっつりどやしまし
た」

「どうやって?」

「自分がしてもらう時には真剣さを要求して、自分がしてあ
げる時にはてきとーなの……って」

「ああ、それが一番分かりやすいね」

「僕は」

「うん」

「ギブアンドテイクは、ギブの方がずっと大きくないと成り
立たないと思ってます」

「どして?」

「もらう時っていうのは、本当にぎりぎりの時。だから、も
らえるものがどんなに小さくても、ささやかでも、本当に嬉
しいんですよ」

「うん」

「でも、あげる時っていうのは、相手がどれくらいで満足し
てくれるのか分かんない。だから、相手がもういいって思っ
てくれるまでは全力で与えないと意味がないと思ってます。
中途半端に止めちゃって、相手にまだ足りないって思われた
ら、それまであげたものが全部無駄になっちゃう」

「そうなんだよね……」

「ねえ、伯母さん」

「なに?」

「今日の話だと、自我が出て来た後の弓削さんのケアをしゃ
らに分担して欲しいってことでしたよね?」

「そうね」

「僕は逆の方がまだましだと思うんですけど」

「どうして?」

「自我が出るってことは、きっとマイナス面もいっぱい出て
来ますよ。不満、苛立ち、絶望感……それを弓削さんから理
不尽にぶつけられたら、同じ感情をまだ自力でこなし切れて
ないしゃらは潰れちゃいます」

「……」

「実家の建て替えやお母さんの看護、自分の進路問題、お兄
さんがやらかしたことの後始末……今、しゃらにはいっぺん
に難題が押し寄せてる。正直僕は、しゃらの状況が少し良く
なるまでは弓削さんのケアに関わらせたくないんです」

「うん」

「配慮を……どうかお願いします」

「分かった。いつきくんの心配は当然ね。妹尾さんと相談し
ます」

ちょっと間が空いて、伯母さんが少し大きな声を出したのが
聞こえた。

「御園さん、聞こえた?」

げええええええっ!?
しゃ、しゃらが向こうに居たのおっ!?

腰が抜けそうになった。

伯母さああん、それは反則でしょう!!

ぷつ。

僕が猛抗議する前に電話が。

……切れちゃった。




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三年生編 第58話(6) [小説]

「心っていうのは……」

伯母さんは、大きな溜息を漏らしながら僕らを見回した。

「本当にめんどくさく出来てる。誰も、これが一番いいって
言えないの。誰もが欠点も、傷も、負い目も抱え込んでる。
もちろん、私もね」

そうだよな……。

「神様なんてものはどこにもいない。私はそれだけは断言出
来る」

きっぱり言い切った伯母さんが、拳でとんと膝を叩いた。

「だからこそ。神様が何もしてくれないからこそ。自分の心
は最後は自分で作らないとならないの。どんなに不恰好でも、
汚くてもね」

うん。

「弓削さんが自分でそう出来るようになるまで、私はがんば
ります」

伯母さんががんばると言った以上、絶対に中途半端に投げ出
さないだろう。

すっと立ち上がった伯母さんが、僕らを追い出しにかかった。
これから、妹尾さんや森本先生と突っ込んだ打ち合わせをす
るんだろう。

長居は無用だ。
察した僕らも、さっと腰を上げた。

「そういうことで、二人とも、これから協力よろしくね」

「はい!」

「分かりましたー」


           −=*=−


しゃらがそのまま帰ろうとしたから、ちょっとだけ僕の部屋
に寄ってくれって誘った。

「なに?」

「まあ、いいから来て」

僕にしては強引に部屋に引っ張り込んだ。

ドアを閉めてすぐ、苦情をぶちかます。

「はああ……。しゃらも、オトナになってきたなあと思った
のにさあ。あれじゃ、全部ぶち壊しだよ」

「……」

察してはいたんだろう。
ぶうっとしゃらが膨れる。

「今から言っとくね。弓削さんが外に出られる状態になって
も、しゃらには絶対声が掛からない。あれは伯母さんのリッ
プサービスだよ」

「えっ!?」

しゃらが呆然と立ち尽くす。

「ど、どしてっ!?」

「とてもじゃないけど、怖くて任せられないからだよ。患者
二人じゃさあ……」

ぐっと。
しゃらが詰まった。

「いい? 第三者の位置に自分を下げて客観視して、自分の
感情をきちんとコントロールしなさい。それが、妹尾さんの
アドバイスなんだろ?」

「うん」

「それ、全然こなせてないじゃん」

「……」

「弓削さんが全く僕に関わらないのなら、しゃらはきっとこ
なせるでしょ。でも今のままじゃ、僕が絡む限り絶対にこな
せない。ジェニーの時の二の舞になるだけ」

「く」

「だから、僕にもしゃらにも絶対に声は掛からないよ」

「じゃあ! なんでわざわざわたしたちを呼んだの!?」

しゃらが食ってかかった。

「僕らを試したのさ」

「う……」

「今の僕らが、どこまで負荷に耐えられるかをね」

「……」

「そして、しゃらはテストに失格。当然、しゃらとセットの
僕にも声は掛からない。絶対にね」

「く……」

腰が砕けたように床にしゃがみ込んだしゃらが、悔し涙を流
し始めた。

「弓削さんに関わるには、僕らに自分を殺す覚悟が要るんだ
よ」

「……」

「いい? しゃら」

「……うん」

「今のしゃらは、中学の時の高遠先生と同じ」

「!!!」

ばっ!
跳ねるように立ち上がったしゃらが、よろけてドアに倒れ込
んだ。

どん!

「他人事なんだよ。どんなに今の弓削さんがひどい状態だっ
て言ってもね」

「……」

「それでもいいさ。確かにぼくらにとっては他人なんだから。
だったら最初からそう言えばいい。わたしには、ケアなんて
無理ですって」

「う」

「でも、やるって言ったんだろ?」

「うん……」

「口に出す以上は、もう覚悟しないとダメなんだよ」

「……」

「弓削さんが、信頼を預けようとした人から裏切りを食らっ
たら、その打撃は百倍にも千倍にもなる。しゃらは当事者
だったからよく分かるだろ?」

「う……ん」

「しゃらのお祖母さんが亡くなる前後の、一番しんどかった
時。僕がしゃらの家庭状況を知って腰が引けて逃げたら、
しゃらは僕の裏切りを許した?」

力なく、しゃらが横に首を振った。

「だろ? 同じことさ」

「……」

「助け合い。それはきれいごとじゃないよ。出来る範囲で。
確かにそれしかないんだけど、その範囲内は全力でやんない
となんない。いい加減じゃ出来ないんだ。そこに奢りや余計
な感情が混じってしまうなら、最初から手を出さない方がい
い。僕の言いたいのは、それだけ」

しゃらの肩を掴んで、くるっと反対側に向ける。

「さあ、帰った、帰った」




三年生編 第58話(5) [小説]

「笑ったけど、駆動力があって、なおかつ彼女と他者との距
離を上手に調整出来るなんていう白馬は、いつきくん以外に
はいないよ」

「あ……」

「でしょ?」

「はい……」

「女性陣が一緒に行動していても、例えば誰か変な男に絡ま
れた時には抑止力にはならない。だからと言って、ボディー
ガードみたいなごついのを付けちゃうと、いつまでたっても
彼女に現実との接点が出来ないの」

「そうか」

しゃらが、なぜ僕かというところを理解したんだろう。
渋々頷いた。

「さっきも言ったけど、そこまで短期間で行けるかどうかは、
ものすごく微妙。私としてはいつきくんの出番が早く来るこ
とが望ましいけど、現実としてはすごく難しいと思う」

「そうですね」

妹尾さんが、手帳をめくりながら顔をしかめた。

「でも私からいつきくんに出動要請が行ったら、そういう背
景なんだってことを御園さんも理解してね」

「……はい」

うーん。しゃらは全然納得してないと思う。
そして何も納得してないってことが、ものっそダイレクトに
表情に出てる。
それは、すっごいまずいことなんだけどなあ……。

でも、伯母さんが言うことじゃないよね。
ケアがしゃらの義務っていうわけじゃないから。
しゃあない。僕がババ引くか……。

でも、この場で言うことでもない。
部屋に引き上げてからにしよう。

「で」

話を元に戻す。

「伯母さん。弓削さんは、今ここにいるんですか?」

「いるよ。恩納さんが、最初のケアをしてる」

「最初のケア……かあ」

「弓削さんを取り囲んでいたのは、ご主人さまのオトナだけ。
学校に行っていた時ですら、同じ年代の子に構ってもらえて
ない。だから弓削さんは、自分にアクセスしようとする人を
全員ご主人に位置付けようとするの」

「はい」

「それをね、まず二種類に切り分けてもらわないとならない。
その最初の訓練なの」

「あ、そうか。命令する人と、しない人、ですね」

「そう。それを分かりやすく感じ取ってもらうために、指導
者として森本さんを、命令を受け取る人を恩納さんに演じて
もらってるの」

ぱちん!
思わず指を鳴らしちゃった。

「そっか! すげえ!」

「恩納さんは、実際に森本さんのケアを受けてきたし、今も
森本さんを信頼してその指導に従ってる。その二人の姿には
無理がないよね?」

「そうですね。そっかあ……」

「弓削さんがそれを見て、恩納さんの下じゃなくて横に自分
を並べてくれるか。まず、そこからね」

「見通しはどうですか?」

「まだ始まったばかりよ。そこで焦ったらだめでしょ」

「なるほどなあ……」

「その間、みわちゃんのお世話は伴野さんがしてる。もうよ
だれ垂らしそうな顔で走り回ってるわ」

「わははははっ!」

ばんこの子供好きは年季が入ってるからなあ。

「ただね」

「はい」

「伴野さんの子供好きは、決して褒められたことじゃない」

えっ!?
僕もしゃらも、血の気が引いちゃった。

「ど、どうして?」

「彼女のは、母親に構ってもらえなかった反動よ」

「え? でも、ネグレクトじゃないですよね?」

「見かけはね」

「見かけ?」

「伴野さんのところは、お母さんが依存体質だって言ってた
でしょ?」

「はい」

「つまり、お父さんが生きていた頃からずっと、お母さんの
関心が桐子ちゃんよりご主人に置かれていたってことなの」

「……」

「言葉や力での暴力を伴わなくても、母親の関心が自分にな
いってことには子供は敏感に気付くの」

ぞっと……した。
しゃらも青くなってる。

「伴野さんには、それに対する恨みの感情が心の奥底に畳ま
れてる。だから、自分が母親からうまく受けられなかった愛
情を、自分は絶対に子供に注ぐんだ。そういう出口になって
るの」

「う……」

「そうすると、反作用も出るのよ」

しゃらが、青い顔のままこくっと頷いた。

「カレなんか要らない。子供だけ欲しい……ってことですよ
ね?」

「そう。でも、伴野さんに男の子に対する関心がないわけ
じゃないから、今の時点ではまだ私の杞憂に過ぎないと思う
けどね」

ほっ。




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三年生編 第58話(4) [小説]

「本当はね、サポートメンバーには一人も男性を入れたくな
いの。弓削さんを粗末に扱ってきたのは、母親を除けば全員
男性だから」

「その唯一の例外になるのが、いつきくんね」

しゃらが、不満げにぷっと膨れた。

「どうしてですかー?」

「それが、いつきくんだからよ」

「???」

伯母さんが、しゃらを諭すように話を続けた。

「いつきくんの対人関係における距離調整能力は、ずば抜け
てる。それを勘がいいって表現する人もいるけど、そうじゃ
ないわ」

「……」

「自分がまだ不安定なのに、誰かに不用意に寄りかかられる
と共倒れになる。それを本能的に警戒して、細やかに距離を
調整してる。自衛なの」

ぐ。図星……だ。

「御園さんと揉めた時だってそうでしょ?」

しゃらが真っ青になった。

「普通はね、あれだけ感情的にこじれたら間違いなく仲が壊
れる。それを壊さなかったのは、いつきくんの調整能力がと
んでもなく高かったから。突き放した後で、ちゃんと御園さ
んに近付いて修復しようとしたでしょ?」

「……はい」

「そんなのが上手にこなせる子なんか、そうそういないわ」

伯母さんが、とんと床を踏み鳴らした。

「私がここに住むようになってから、いつきくんが自発的に
ここに上がり込んだことは一度もない。ここの住人が女性ば
かりだっていうことに、ちゃんと配慮してくれてる」

「え!? そうなの!?」

しゃらが驚いて僕の顔を凝視した。

「伯母さんから呼び出しがあった時だけですね」

「でしょ?」

「……」

「会長さんのお宅にも、上がってないんじゃない?」

「会長に呼ばれた時だけです」

「あっきーの部屋には?」

しゃらの突っ込み。

「一回も入ったことないよ」

「わ」

「ね? そういうところは、ものすごく慎重。相手が女性だ
からってことじゃなく、人のテリトリーに入るってことを極
度に警戒するの」

しゃらが、じっと考え込んだ。

「じゃあ、いっきがわたしの部屋に来るのは……」

「それだけ、いつきくんが御園さんに心を開いてる。信用し
て自分をオープンにしてるってことね」

「そっかあ!」

しゃらは、伯母さんの解釈が本当に嬉しかったらしい。
さっきまでの膨れっ面がうそのようなにこにこ顔になった。

まあ……分かりやすいよなあ。

ころころ変わるしゃらの表情を、妹尾さんがやれやれって顔
で見てる。
人の言動や態度に一喜一憂しないで冷静にこなせっていう妹
尾さんのアドバイスが、まだ全然自分のものになってない。
危なっかしさが解消してないってことなんだろな。

伯母さんが、話を元に戻した。

「弓削さんがぎごちなくでも自我を出せるようになるまでは、
外からの圧力を一切遮断しないとならない。この家の住人は
全員バリアになるの」

「はい」

「でも自我がはっきり出て来れば、外界に対して興味を持つ
ようになる。そうしたら、いつまでも家に閉じ込めておくわ
けには行かないの。最終的には自立まで持っていかないとな
らないからね」

「そうですよね」

「対人関係もそうで、同性とだけの歪んだ世界観を植え付け
るわけには行かないから、どこかで慣らしのプロセスが要る」

「あ、そこをいっきが……ってことですね?」

「そう。弓削さんは御園さんと一緒にいつきくんと話をして
るから、いつきくんがどういう感じの男の子かは分かってる。
そして私たちはいつきくんのことをよく知ってるから、余計
な心配をしないで済む。それを利用させてもらうしかないの」

「弓削さんをお姫さまにするには、白馬の王子様も要るって
ことね」

ぶうううっ。しゃらが、見事にぶんむくれた。
まあ、喜んだり膨れたり忙しいことで。

伯母さんは、それを面白そうに見てる。

「まあまあ、御園さん。いつきくんを仮にでも弓削さんのカ
レシになんかさせるわけないでしょ。白馬の王子様って言っ
ても、馬だけよ」

どてっ。
今度は僕がひっくり返った。

「う、馬、すか!」

げらげらげらげらっ。
しゃらと妹尾さんが大笑いしてる。

ちくそー!


三年生編 第58話(3) [小説]

腕組みして考え込んだ僕を見て、伯母さんが突っ込んできた。

「何か気になるの? いつきくん?」

「いや、さすが伯母さん。きちんと調整して、さっとサポー
トチームを組んで、すごいなあと思ったんですけど……」

「うん」

「サポーターの中に僕もしゃらも入ってない。いや、入らな
いのは当然なんですよ。だって、ここが」

僕は、座っていた床をぽんと叩いた。

「これから毎日ケアを行う場所なんですから」

関係者へのケアプランの周知徹底なら、メールか電話で流し
てくれればいい。直接話すにしても、僕の部屋ですればいい
こと。僕としゃらをセットにして、わざわざ伯母さんちに呼
び出す必要はないはずなんだ。

「そうよね」

しゃらも、同じように疑問に思っていたんだろう。
何かを探り出そうとするように、ちらちらと伯母さんの顔を
見てる。

「じゃあ、なんでわざわざ僕らをセットで呼び付けたのかな
あと思って」

ふうっと一息ついた伯母さんが、うんうんと頷いた。

「いつきくんの疑問は当然。もちろん、いつきくんや御園さ
んに手伝って欲しいことはある。でもね、それは『今』じゃ
ないの」

「あ、そういうことか」

「二人とも受験生だからね。伴野さんへの負荷を下げるのと
同じように、いつきくんや御園さんへの負担をうんと増やす
ようなケアは、今は組めないの」

伯母さんは、すいっと僕を指差した。

「いつきくんは、今のケアメンバーの中では唯一の男性」

「あ!」

しゃらが、ぱっと僕を見た。

「そ、そっか……」

「当然、弓削さんに関わらせることには、御園さんの了承を
もらわないとならない。だから二人セットっていう形にした
のよ」

納得。そりゃそうだ。
いくらお兄さんが絡んでるトラブルって言っても、しゃらに
何か責任があるわけじゃない。
僕が弓削さんに付き添ってしまうことは、しゃらにはどうし
てもおもしろくないんだよね。

だからか……。

「もちろん、いつきくんが最後までノータッチで終わること
も考えられる。いつきくんは、進学先の関係で下宿する予定
なんでしょ?」

「今のところは」

「そして御園さんは逆で、自宅から通えるところが進学先な
んだよね?」

「はい。まだ予定だけですけど」

「そこまでリハビリに時間が掛かれば、いつきくんではなく、
御園さんだけにお手伝いをお願いすることになるの」

「……」

しゃらが首を傾げた。

「どうしてですか?」

「りんちゃんと妹尾さんが離脱するから」

「あっ!!」

しゃらと二人して、立ち上がっちゃった。

「そうかあ!」

伯母さんが、ゆっくり室内を見回した。

「ここは共同住宅よ。ケア用の施設でも、シェルターでもな
い。りんちゃんも、伴野さんも、恩納さんも、あくまでもこ
この住人であって、患者でも医者でもないの」

そうだよな。家事を分担してるってだけで、それぞれの暮ら
しは独立してるんだ。

「当然、里村さんがここを出たように、自分の生き方を考え
る上でどこで暮らすかの選択権はそれぞれの住人にあるの。
誰にもそれに干渉する権利はない」

「そうですよね」

「今のところ、恩納さんはここ以上の好条件はないから、大
学に通っている間はここで暮らしたいって言ってくれてる。
でも、りんちゃんが進学予定の専門学校は都内だから、来年
はここを出ないと通えない」

「はい」

「伴野さんも微妙ね。お母様の状況次第」

だろうなあ……。

「橘ファルステックから出向してくださってる妹尾さんにも、
そんなに無理は言えない。彼女の問題だけじゃないからね」

「あ、そうか。向こうの仕事もあるんだ」

「ここに住み込みじゃないからね。ここに通って日勤をこな
しつつ、本社での業務もするなんていう二重勤務は、本当は
お願い出来ないの。一年は最長ね。出来れば、その前に解消
したい」

「はい」

「そんな風に、ここが変化するっていう前提で、その時々に
ベストな手段を考えていかないとならない。そのためには、
いつきくんや御園さんのポジションを固定して考えるわけに
は行かないの。それを了承して欲しい」

じっと考え込んでたしゃらだけど、決意を固めたようにぐいっ
と頷いた。

「分かりました!」

「手伝ってもらえる?」

「わたしの出来る範囲であれば」

「もちろん、それで構わない。助かります。いつきくんは?」

「手伝います」

伯母さんが、にっこり笑った。




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