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三年生編 第54話(12) [小説]

「私がさっき言ったように、まず居場所よ。公的な機関は無
理。私設のところでも、子連れだと無理ね。弓削さんと赤ちゃ
んとを別々にケアしないことにはどうにもならない」

うん。

「それが不可能っていうことなら。弓削さんに、精神科医と
教師の資格を持ってて母親代わりになれる優しいメイドを付
けるしかないの」

どどどーっ!
家族一同ぶっこける。

「伯母さーん! そんな人いるわけないでしょ!」

「いないでしょうねえ」

けろり。

「そうしたら、それを何人かで分担するしかないでしょ?」

「サポートチームにするってことですか?」

「そう。でも公的扶助の範囲内では、どう考えても無理よ。
だからこそ五条さんや森本さんが苦慮してるんだから」

そうなんだよね……。

ふうっと。
大きな溜息を漏らした伯母さんが、よっこらせと立ち上がっ
た。

「策はある。でも、それは私の一存では決められない。二つ
ステップがあるから、一つずつクリアする。今日の夜に、い
つきくんに連絡を入れるから、その結果を受けてサポートを
お願い」

「はい!」

伯母さんは、それだけ言い残してさっと帰った。

あっけに取られていた母さんが、僕に探りを入れた。

「ねえ、いっちゃん。姉さんは、何企んでるの?」

「そんなの分かんないよー」

「うーん……」

いや、僕にはもう分かってる。
分かってるから、あえてみんなには言わなかったんだ。


           −=*=−


夜。
本当は期末試験に向けて勉強に集中したかったんだけど、そ
れどころじゃなかった。

まず、しゃらから事後報告が来た。
五条さんの落とした爆弾でずぶずぶに落ち込んでいたご両親
は、それ以上のリスクがあることをしゃらから知らされて、
逆に冷静になった。
お兄さんのことより、まず自分たちの足元だもん。

自分の蒔いた種は自分で刈り取れ!
お兄さんが何を言って来ようが、徹底的に突っぱねる。
それを、家族三人で確認し合ったって。

いや、実際それしかないよね。
しゃらは受験生だし、ご両親は店が新装開店するまでの間、
切り詰めてかつかつの生活をしないとならない。
バカ息子の尻拭いなんかしてる場合じゃないんだもん。

気持ちを切り替えて、何とか『今』を乗り切るしかない。
きっぱりしたしゃらの口調には、決意が滲んでいた。

しゃらには言わなかったけど、窃盗グループのメンバーは全
員捕まって収監されてる。
暴力団絡みの組織犯罪じゃない以上、しゃらたちにすぐ逆恨
みが波及しちゃう心配はないんだ。
そいつらが出所してからはともかく、ね。

でもそれを正直に言うと、しゃらたちの恨みの感情がお兄さ
んにダイレクトにぶつけられちゃう。
親子兄妹の間の関係修復は、一生出来なくなると思う。

僕が甘いのかもしれない。
でも、お兄さんにほんの少しでもやり直すチャンスがあるの
なら、それは残してあげたかったんだ。

しゃらの前では口が裂けても言えないけど、お兄さんの今の
性格を作ったのは間違いなく親。特にお父さんだと思う。
しゃらのお父さんはまじめで厳しい。
プライドが高いから、徹底して筋を通そうとする。

お母さんがクッションになる娘のしゃらと違って、お兄さん
はお父さんの厳しい姿勢の直撃を受けてきたんだろう。
それに対する反発がグレるって形で出たけど、お兄さんは反
発し切れてない。形だけのヤンキーになって、結局どこでも
パシリにさせられちゃってる。

お父さんの厳しさが、お兄さんの自立心を押し潰しちゃった
んだと思う。

挫折を経験して懐が深くなった今のお父さんなら、お兄さん
にはもう少し違った接し方が出来たかもしれない。
でも、時間をさかのぼってやり直すことは出来ない。

お兄さんはもう成人してるけど、中身は子供のままなんだ。
そこは、弓削さんと何も変わらない。
だから親としてお兄さんを強引に矯正しようとしたら、お兄
さんはお父さんの影響下から二度と抜け出られなくなると思
う。

お父さんには、それがよく分かってるんだろう。
だからこそ、お兄さんが最初に情けない言い訳をだらだら垂
れ流してもぶち切れなかったんだ。

お父さんに出来るのは、お兄さんがよたよたでもいいから自
力で歩き出すのを辛抱強く待つことだけ。
僕は、それだって立派なチャンスだと思う。

そして、今は頭が煮えてるしゃらも、いつかお兄さんにチャ
ンスをあげたいって思い直してくれればいいな……。
何があっても、兄妹は兄妹なんだからさ。

しゃらとの電話が終わるのを待っていたように、伯母さんか
ら電話が掛かってきた。

「いつきくん?」

「はい。どうですか?」

「どうですか……って」

「だって、伯母さんが取れる手段て、僕には一つしか思い付
かないんですもん」

「ははは。お見通しか」

「正直、もし伯母さんが僕が考えてた以外の手段をご存知な
ら、そっちを優先して欲しかったんです」

「ありがとう。さっきの話し合いでも、そういう雰囲気だっ
たね」

「はい。何かヒントがあれば、それを受けて五条さんや森本
先生が動いてくれます。僕は、そのヒントがどうしても欲し
かっただけなんです」

「うん。それは分かるけど、現実としては無理だよ。あの場
で言った通りよ」

「何をどうしても、前提が『弓削さんと赤ちゃんを分ける』
になっちゃうんですよね……」

「そう。私が弓削さんて子の住むところを確保して、サポー
ターを付けてあげることは出来るよ。でも、サポーターはあ
くまでもサポーターでしかない。弓削さんの人生に責任は持
てないの」

「……。そうですよね」

「その立場は私も同じ。私が直接サポーターとして動くにし
ても、彼女のケアの成果は保証出来ない」

「分かります」

そうだよね。これは力やお金で解決する問題じゃない。

 


三年生編 第54話(11) [小説]

「昨日は、しゃらと一緒に森本先生が勤めてるグラナーダに
行って、市の福祉課の人を交えてずっとその話をしてたんだ」

「結論は?」

「まだ出てない。でも、行政側は最低限、弓削さんと赤ちゃ
んを切り離さないとケア出来ないって考えてるの」

「それが困難……ってことか」

「そう。弓削さんは、今まで絶対的な支配者の命令を聞くこ
とで生きてきたの。今は、支配者が誰もいない。唯一弓削さ
んを支配出来るのが赤ちゃんなの。弓削さんが赤ちゃんにこ
だわるのは、母親として愛情があるからじゃなくて、そこに
しか拠り所がないからだと思う」

「げえっ!」

母さんが、顎が外れるんじゃないかってくらい、でかい口を
開けて絶句した。

「なのに、今弓削さんから赤ちゃんを取り上げたらどうなる
と思う?」

しーん……。
言うまでもないよね。それは、死ねっていうことと同じだ。

「性格障害の治療、育児、日常生活の訓練、勉強、仕事出来
るようにするための社会訓練……。そんなの、いっぺんにこ
なせるわけないじゃん! 僕だって絶対出来ないよ!」

「ああ、そうだね」

伯母さんが、ぱんと腿を叩いた。

「何はともあれ、まず居場所だね。居場所が確保出来れば、
次はサポーターの確保」

「うん」

「で、公的施設、例えば児童福祉施設では受け入れが出来な
いってことでしょ?」

「そう。性格障害と学力のハンデのある弓削さんは、そもそ
もグループホームとかは無理。でも、病院とかの施設に入居
して個別のケアを受けるには、赤ちゃんがネックになるの」

「そうだろね」

「里親にケアを頼むにも、やっぱり赤ちゃんがネックになっ
ちゃうんだ。だから市の福祉課の担当の人のプランは、最初
から就労支援一本槍だったの」

「ばかか」

伯母さんが、ばっさり切り捨てた。

「仕事? 何が出来るっていうの?」

「でしょ? ただ……」

「うん?」

「市の人がそうやって誤解しちゃうのは、分からないでもな
いんだよね」

「どうして?」

「弓削さんが、見かけは崩れているように見えないから」

「……」

「礼儀はしっかりしてる。素直に指導に従う。ああ、この子
なら大丈夫だなって、思っちゃうじゃん」

「そうか……」

「それに、自我が極端に小さいってことは誤解を生みやすい
の。ぶりっ子に見られやすい。こいつ、いいかっこしいで、
本当はろくでなしなんじゃないかって。もっと世間を知って
苦労しやがれって思われちゃう」

「……」

「あの五条さんだって、最初そう疑ったんだから」

「ううーん」

うなったきり、みんなが黙り込んじゃった。
そりゃそうだよ。長友さんや森本先生は百戦錬磨のプロ。
そのプロがお手上げなのに、素人の僕らが何かいい案を思い
つくわけないじゃん。

僕は、そっちは期待してない。
それよか、僕やしゃらが弓削さんのサポートで動くことをき
ちんと理解して欲しい。特に、母さんと伯母さんにね。

最初に匙を投げたのは、母さんだった。

「無理。私の頭では何も考えつかない」

「俺も思いつかないよ」

父さんも、弱々しく首を振った。

「当座、居候させてくれっていうリクエストが来れば、それ
には応じられるさ。でも、ケアまでは出来ん」

「そうなのよね……」

母さんが深い溜息を漏らした。

「うちは、日中無人になることが多い。それじゃあ……」

母さんがパートに出てる以上、見てあげられる時間が限られ
てしまう。
赤ちゃんを抱えている弓削さんを一人で放っておくなら、ケ
アにならないもの。それじゃ、田中と同じだ。

「わたしは、自分のことで精一杯」

実生が、ぼそっと漏らした。
ぽんいちの厳しくなったカリキュラムに強いプレッシャーを
感じている実生は、本当に余裕がないだろう。

「僕にはしゃらがいるから、彼女の密接ケアは出来ない。そ
もそも受験生だし」

「ああ、そうだな」

「うちで直接関われる部分は、最初からうんと限られてる。
いや、うちだけじゃなくてどこもそうだと思うんだよね。少
しなら手伝ってあげるよっていう人は、きっといっぱい確保
出来ると思うの。でも弓削さんのケースでは、それじゃあ全
然間に合わないんだ」

「ヘルプでなくて、ケアだからなあ……」

父さんが、珍しく苛立ちを直に顔に出した。
さっきから腕組みしたまま微動だにしなかった伯母さんが、
声を絞り出した。

「なるほどね……力で動かせない部分をどうするか、か」

腕組みを解いた伯母さんは、僕らの顔をぐるっと見回した。

 



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三年生編 第54話(10) [小説]

「でもさ」

「だからって、僕が重武装して戦うなんてことは出来ないよ。
僕が今回手伝えることは二つしかないんだ」

「ふむ。それは、なんだ?」

「弓削さんとお兄さんを完全に切り離すこと。そして、弓削
さんのケアプランを一刻も早く始動させること」

「ちょっと待って。お兄さんを弓削さんから切り離さないと
ならないわけは?」

母さんが、すかさずチェックを入れた。

「決まってるじゃん。お兄さん一人に、今回の騒動の責任を
取ってもらうためさ。物騒な連中の標的になるのは一人でい
い」

「……」

父さんが、ぼそっと僕を責めた。

「それは……ずいぶん酷だな」

「もしお兄さんに同情の余地があれば、僕は絶対こんなこと
言わないよ。曲がりなりにもしゃらのお兄さんなんだし。で
もね、お兄さん、ここに逃げて来るまでの間に弓削さんを抱
いて妊娠させてるの。弓削さんは、今日その堕胎手術受ける
のに病院に行ってるんだ」

ばっ!

伯母さんが血相を変えて立ち上がった。

「く、くずがあっ!!」

「でしょ? その事実を知ったしゃらの家族が全員撃沈して
たんだ。それで、今朝僕がぶっ飛んでったんだよ。フォロー
すんのに」

「そうだったのか……」

母さんは、激怒した伯母さんとは逆に、ぼろぼろと涙を零し
た。

「御園さんのお母さん……お辛いでしょうね」

「うん。それでなくても体調が良くないのにさ……」

お兄さんが生きて帰ってくることを信じて待っていたしゃら
とご両親にとっては、とんでもない悪夢だろう。

「田中や犯人グループの敵意をしゃらたちから遠ざけるなら、
お兄さんとの接点を完全に切るしかないの」

「確かにそうだ」

父さんが、深い深い溜息をついた。

「そしてね」

「ああ」

「弓削さんのケアがきちんと動き出せば、そのことを収監さ
れてる田中に報告出来る」

ぱん!

伯母さんが手を叩き合わせた。

「そうか! すごいね、いつきくん! その通りよ」

「でしょ?」

「それで、御園さんとご両親のリスクも下げられるし、お兄
さんへのリスクも下がるってことね?」

「お兄さんへのリスクは、ゼロにならない。でも、ゼロにな
らないことを重石にしないと、更生のチャンスがない。五条
さんは、そう考えてるの」

「ふむ……」

ぐいっと腕を組んだ伯母さんが、考えモードに入った。

「とりあえず、お兄さんからのアプローチは徹底して拒絶す
る。それは今すぐ出来るし、難しくない。しゃらのお父さん
がもう直接引導を渡してるし、追加で何かすることはないの。
実施済みなんだ」

「そうすると、弓削さんのケアをどうするかということだな」

「そう。そこがね……」

僕は、はあああっとでっかい溜息を連発した。

「とんでもなく難しいんだ。だから、みんなの知恵を貸して
欲しいの」

「どうして? 五条さんも森本さんも動いてるんでしょ?」

母さんが、無邪気に疑問を放った。

「その二人が匙を投げそうだからさ」

「えええっ!?」

母さんだけじゃない。
みんな、一斉にのけぞって驚いた。

「ど、どういうことっ!?」

「あまりに悪条件が重なり過ぎてるの。並べるね」

「両親がもういない孤児。しかも、他に身寄りのない私生児」

「無戸籍の赤ちゃんがいる。しかも、弓削さんには赤ちゃん
を手放すつもりがない」

悠然としてた伯母さんですら絶句した。

「無……戸籍」

「犯人グループが、足が付きそうなことをするわけないじゃ
ん」

「……」

「そしてね、ほとんど学校に行けてない弓削さんの学力は、
小学校低学年レベル」

「その上、深刻な性格障害を患ってる。物事への関心が極端
に低くて、感情が出ない。そして、命令には一切ノーと言わ
ない。でも、命じられないと何も出来ない」

「容姿が整っているから、嫉妬や欲望の対象になりやすい」

し……ん。

「ねえ、みんなならどうする? どうすればいいと思う?」

誰も、何も言わなかった。
いや、言えなかったっていうのが本音だと思う。

 


三年生編 第54話(9) [小説]

「そして、僕と弓削さんの間に何も接点がなければ、本当に
他人事だったんだ」

「あ……」

母さんが、口に手を当てた。

「弓削さんとしゃらの家族の間に、しゃらのお兄さんを介し
て接点が出来てしまった。しゃらの家族が弓削さんと繋がっ
てしまった。その時点で、もう僕は他人ですって言えないの。
もう僕のことなの」

にっ。
伯母さんが、よしっていう感じで笑った。
さすがに根性が据わってるよなあ……。

「問題は、どうしてお兄さんが弓削さんに絡んでしまったか、
さ。田中が、見るからにぐだぐだのお兄さんを信用して弓削
さんを預けるわけないじゃん」

「何か訳があるわけ?」

伯母さんがダイレクトに突っ込んできた。

「そう。そして、それがものすごくヤバいことなの」

しんと静まり返ったリビングで、僕はみんなの顔を一人ずつ
覗き込みながら話を続けた。

「去年、都内の宝石店に大掛かりな窃盗団が押し入って、億
単位の被害が出た事件があったの」

「うん」

「時間をかけて周到に準備してあったみたいで、証拠を残さ
ない鮮やかな手口だった。警察は、犯人の目星が付かなかっ
たんだって。それが、ひょんなことから一網打尽になったん
だ」

「ふむ。どこからほつれたんだ?」

「それが、田中って男だったの」

「え!?」

みんなが身を乗り出す。

「ど、どういうこと?」

「犯人グループは、汚れ仕事をこなせる田中を手放すつもり
はなかったの。弓削さんと赤ちゃんを人質にしたまま、まだ
こき使うつもりだった」

「うん」

「約束が違うって激怒した田中が、力尽くで弓削さんを奪い
返したんだ」

勘のいい伯母さんが、その顛末にすぐ気付いた。

「もしかして……」

「そう。田中は首謀者二人を殴り殺したの」

「……」

し……ん。

ごくりとつばを飲み込む音が響いた。

「事件になった時点で、窃盗グループが表に出た。田中も、
惨殺現場から逃げた残党も、結局全員警察に捕まったんだ」

「……」

じっと考え込んでいた伯母さんが、首を傾げた。

「でも、それじゃ御園さんのお兄さんとは繋がらないよ?」

「窃盗グループの仲間割れの事件があってから、田中が殺人
犯として捕まるまで、少し時間があったの」

「あっ!」

伯母さんがぱんと膝を叩いた。

「そうか! その間に気の弱そうな男を引きずり込んだって
……そういうことか」

「そう。お兄さんは、まんまと田中にはめられたの。田中が
弓削さんと赤ちゃん連れて逃げ切れるわけないもん。誰かに
面倒を見させるしかない」

「……」

「でもね、弓削さんには何の義理も関係もないお兄さんが、
警察に捕まって身動き出来なくなった田中の命令を聞く必要
なんかないよね?」

「そうだよな」

「本当は、弓削さんも赤ちゃんもその時点でアウトだったん
だ」

「そうならなかったのか?」

「もちろん。田中は自分が逮捕された後もお兄さんに言うこ
とを聞かせるために、強烈な重石をお兄さんに乗っけたんだ」

伯母さんが、ぎっと口を結んだ。

「ああ、そうか。おまえが娘を放り出したら、脱獄しておま
えを必ずぶっ殺してやる。そういう脅しを入れたんでしょ?」

「そうだと思う。でも、それだけじゃない」

「え?」

「田中は、窃盗グループの裏切り者なの。田中の舎弟になっ
たお兄さんは、残党から追われる立場なんだ」

顔色悪いどころの話じゃない。
伯母さん以外全員、冷や汗を流し始めた。

「申し訳ないけど、お兄さんはほんとに……疫病神だよ。ヤ
クザよりもっとたちの悪い連中の敵意を、弓削さんと一緒に
こっちに持ってきてしまったの」

「……」

僕は、そこで一度説明をストップした。

「ここまで……いい?」

いいも悪いもないよね。

「僕が知らんぷりすれば、うちには跳ねないよ。だけどさ、
商売の立て直しが最終段階に差し掛かってるしゃらの家族
が、お兄さんのとばっちりで全滅するのだけは絶対に防ぎた
い!」

「男だねえ」

伯母さんが、うんうんと頷く。

「見上げた根性だ。そうでなきゃ!」

でも、母さんと実生は真っ青。
父さんも絶句してる。

 



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三年生編 第54話(8) [小説]

話をする前には、この世の終わりが来たような顔だったしゃ
らは、きりっと表情を引き締めて帰っていった。

まだ何も解決していない。
そして、弓削さんの件が他人事ではなくなった。

お兄さんが善意の第三者ではなくなった時点で、僕らもお兄
さん側に付いちゃってるってことを、シビアに考えなければ
ならない。

「腹減ったー……」

しゃらの泣き声が聞こえたところで理性がぷっつんしたから、
腹が減ってたことなんか全然意識の中になかった。
少し落ち着いた途端に、腹がぐぅぐぅ鳴った。

よれよれ、とぼとぼ。
なんとか家までたどり着いて、ドアに倒れ込むようにして玄
関に入った。

「ぐえー……」

「ちょっと、いっちゃん! 何があったの?」

「ううー、説明するから、その前にご飯食べさせてー」

「むー」

先に説明しろよっていう雰囲気があったけど、腹が減っては
戦が出来ぬ。
トースト焼く時間も待てなくて、食パンをそのままがぶがぶ
飲み込むように胃袋に押し込んだ。

「ぷふー」

「落ち着いた?」

「とりま、一服。ふー……」

「で?」

「その前に、伯母さん呼んでいい?」

「ええー? そんな厄介ごとなの?」

「しゃれにならない。今までで一番ヤバいかもしれない」

「……」

母さんの顔色が変わった。

「回避……出来ないの?」

「出来ない。見て見ぬふりをしたら、しゃらを見捨てること
になる」

「……」

俯いた母さんが、ふうっと細い息を吐いた。

「……分かった」

母さんが伯母さんの家に電話して、呼び出してくれた。
フットワークの軽い伯母さんは、二つ返事で来てくれた。
みんなが着席したところで、伯母さんが僕を急かした。

「いつきくん、なに?」

「伯母さんにってことじゃなく、ここにいるみんなの知恵を
貸して欲しいの」

「どういうことだ?」

父さんが首を傾げた。

「この前、弓削さんていう女の子がここに来たでしょ?」

「ああ」

「その時に、しゃらのお兄さんがその子を連れて突然帰って
きたってことは話したよね?」

「うん」

「実は、それにとんでもない裏があったんだ」

「裏?」

「そう。弓削さんの赤ちゃんは、しゃらのお兄さんとの子供
じゃないの」

「はあっ!?」

よくある出来ちゃったの話だと思い込んでいた母さんは、絶
句。
父さんも実生も、なんだそれって顔をしてる。

あの時は、まだ部分情報しかないから伏せてた話。
今度は、森本先生のカウンセリングも含めて情報がずっと増
えてる。それをみんなにきちんと説明しないとならない。

まず、弓削さんのこれまでの履歴を説明する。

母親の過度の束縛と干渉で、まともに学校に通えてない。
年齢は十六歳なのに、学力は小学生低学年レベル。
学力はまだしも、母親の抑圧で自主性を徹底的に削り取られ
て、まるで奴隷みたいな性格になっちゃってる。

その母親が、死ぬ直前に娘の後見を頼んだのが田中耕七郎っ
ていう札付きの男だった。
田中は弓削さんの母親を溺愛してたみたいで、その頼みを聞
き入れた。

だけど、田中は弓削さんの面倒をまともに見なかった。
母親の死後、弓削さんを自分の住んでいたアパートに連れて
行ったけど、何も世話をしないで放置したんだ。
そこを、田中の腕っ節に目を付けていた窃盗グループに狙わ
れた。

田中は一匹狼で、人に指図をされることを極端に嫌った。
その田中に言うことを聞かせ、危ない汚れ仕事を押し付ける
ために、田中が引き取った弓削さんを拉致して人質にした。

娘を返して欲しければ、俺たちの言うことを聞け、と。

どうしても娘を奪還したい田中は、渋々その命令を飲んだ。
犯人グループは、弓削さんが逃げ出さないように代わる代わ
る犯して妊娠させ、赤ちゃんを生ませた。
足かせを……増やしたんだ。

「……」

ここまで説明した時点で、もうみんなの顔色が悪くなってい
た。実生は涙を浮かべて震えてる。
弓削さんがかわいそうだからじゃない。そういう状況を想像
して、本当に怖くなってしまったんだろう。

「でもね、弓削さんの受けた仕打ちがどんなに悲惨でも、そ
れは僕らに何の関係もないよ。どこかよその出来事さ。母さ
んが何度も僕に言ったように、それはうちには関係ない。新
聞の記事読むのと同じ」

伯母さんが、僕に鋭い視線を投げかけた。
そうだろうなあ……。

「それは、僕が冷たいからだって思わないで欲しい。事実を
知ったからって、僕には何も出来ないからだよ。僕は、何の
力も持たないただの高校生なんだからさ」

「ああ、そうだな」

父さんが、肯定してくれた。
ほっとする。

 


三年生編 第54話(7) [小説]

しゃらが俯いて、悔しそうに唇を噛み締めた。

僕は、そういう言い方はしたくなかった。
でも、身内だからっていう甘さは今のうちに完全にぶっ壊し
て置かないと、この後保たない。

「そういう人の再犯を防ぐには、規則や法律がどうのって言っ
ても効き目がないの。倫理観が壊れてるんだから。そしたら
恐怖で押さえ付けるしかない」

「恐怖……って?」

「捕まった田中っていう人は、もう刑務所から出てこれない
よ。それは池端さんから説明を受けてる」

「うん」

「でも、自分で直接出来なくても復讐を誰かに頼めるんだ」

ざあっと。しゃらの顔から血の気が引いた。

「こ……こわ……い」

「それに、田中と仲間割れした他の犯人たちは、仕返しした
くても収監された田中にはもう手が出せない。そうしたら、
田中の舎弟のお兄さんに仕返ししようって企むかもしれない
じゃん。人質だった弓削さん連れてるんだしさ」

「う……うう」

言ってる僕も冷や汗が出てくる。
これまでのごたごたとは、全然インパクトが違うんだ。

「そういう恐怖をお兄さんにがっつり植え付けておかない限
り、お兄さんは全てのことから無責任に逃げ続ける。五条さ
んがお兄さんを制御するために使える手札は、それしかない
の」

「う……ん」

「しかもね。それがお兄さんだけのことで済むんなら、まだ
いいの。でも……」

ぶるぶるぶるっと。
しゃらが縮み上がった。

「しゃらたちのところに跳ねる恐れもあるんだ」

「それで……か」

「うん。中途半端にお兄さんに手を貸したり、かくまったり
したらダメ。寄りかかってくるのを毅然としてはね除けない
と、どんなとばっちりを食らうか分かんない。きっと、そう
いう警告だよ」

ことがお兄さんのことだけで済まない恐れがある。
だからこそ、五条さんがきつい警告をわざわざしに来たんだ。
いい悪いの感情論じゃなく、すでに自衛しないとならない段
階に突っ込んじゃってる。

「ふう……」

なんだかなあ……。
お兄さん、見事な疫病神だよね。

「あのさ、いっき」

「うん?」

「どうにか……ならないの?」

「リスクを下げるには……だろ?」

「うん」

最初にここに来た時とは、全く別の心配もしなければならな
い。しゃらの問い掛けは切羽詰まっていた。

「それが、僕らがこれから取り組むことさ。ろくでなしのお
兄さんが弓削さんの弱みに付け込んで食い者にした。その事
実だけしかなかったら、事実を知った田中がどういう行動に
出るか分からない」

「……うん」

「だから、弓削さんがちゃんとケアを受けて、安心して暮ら
せるようになってるよって、田中にそう報告出来るようにし
とかないとならないの」

「あ! そうかっ!」

ぽんと立ち上がったしゃらが、両手を胸の前に突き出して、
ぐっと握った。

「でしょ?」

「うん!」

「弓削さんがかわいそうだからってだけじゃない。しゃらた
ちがお兄さんの不始末のとばっちりを食わないようにするた
めにも、お兄さんのことより弓削さんのケアを急いで考えな
いとならないの」

「そうだ!」

「それを、しゃらからご両親に伝えて」

「うん! 分かった!」

悲しい。腹立たしい。情けない。
そんな感情のところで立ち止まってるよりも、これから来る
かもしれない危機に備えておかないと、苦労して取り戻して
きた生活が一瞬で壊れてしまう。

しゃらも、今はっきりとその危機を認識したんだろう。

「さて。出来ることをしようよ」

「そだね」

しゃらの手を握ろうと思って右手を出したら、その腕をぐいっ
と抱き込まれた。

「ふふ」

「どした?」

「いや……やっぱ、いっきと一緒でよかったなあって」

「お互い様さ」

僕は拝殿の方を振り返って、ちょっとだけ手を振った。

くすくすくすっ。
小さな笑い声が聞こえた。

そして……気配はすぐに消えた。

「またね。ようこ」

 



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三年生編 第54話(6) [小説]

「でもぉ。五条さん、最初っからお兄ちゃんには冷たかった
よ?」

「そりゃそうでしょ。お兄さんの態度はどう見てもサイテー
だもん。でも、そういう感情的なことじゃ済まなくなったん
だ」

「あ!」

「でしょ? お兄さんのしたことは、間違いなく犯罪行為。
それがどのくらい重いかは関係ないの。本人に自覚がないの
なら、少なくとも家族はその重大さを認識しておかないとな
らないよって。それだけだと思うな」

「そうか。お兄ちゃんが倒れ込んできた時に、わたしたちが
はんぱに手を貸すと、もっと事態が悪くなるってことか」

「そう。それに、このままだとうやむやになりそうなんだよ
ね。それは、まずいんだ」

「え? ど、どういうこと?」

「五条さんはすっごいきつい見通しを言ってたけど、実際に
はお兄さんの起訴は難しいと思う」

「どうして?」

「強姦罪は親告罪。被害者本人がこんな目にあったって訴え
ないと、罪を問えないの」

「ええっ!?」

しゃらは、知らなかったらしい。

「ど、どしてっ!?」

「しゃらは、男に襲われたっていうことを自慢できる?」

ぶるぶるぶるっ!
しゃらが激しく首を振って、否定した。

「とんでもないっ!」

「でしょ? 無理やりやられたってことは、人には絶対知ら
れたくない。恥ずかしいこと」

「……うん」

「法律が、そういう女の人の心情に配慮してるってことな
の。誰かにやられたってことは、やられたその人にしか証明
出来ない。だから捜査や裁判には本人が出ないとならない」

「そんなあ」

ちらちら僕の方を見ていたしゃらが、聞いてもいいものかっ
て感じで口にした。

「ねえ、いっき。なんでそんなことに詳しいの?」

「ゆいちゃんのことがあったからさ。調べたんだ」

「!!!」

「去年の学祭の時、中庭で騒動があったでしょ?」

「うん」

「あの死んだヤクザがべらべらしゃべったから、しゃらはも
うゆいちゃんに何があったかを知ってる」

「……うん」

「だから僕はゆいちゃんのことをしゃらに話せるけど、そう
じゃなかったら、僕はゆいちゃんの事件は誰にも話さない。
黙って墓場まで持ってくつもりだった」

「う」

「そしてね」

「うん」

「ゆいちゃんを襲った連中。高岡と市工の一味」

「うん」

「やつらが補導された時の罪名は、強姦じゃないよ。監禁と
傷害。ゆいちゃんを閉じ込めて、左足を折ったことの罪を問
われたんだ」

「えっ!? じゃあ……」

「輪姦(まわ)されたことは、その中に入ってないの」

「う、うそ……」

しゃらが、絶句してる。

「強姦罪っていうのは、とっても微妙なの。被害者本人の訴
えがあれば、ほとんど有罪に出来るらしいよ。でも、なかな
か立件されない。被害者の心理的負担が大き過ぎるんだって」

「ひどい……ね」

「そう。泣き寝入りになりやすいの。校内で高岡にやられた
女の子だって、一人も名前出なかったじゃん?」

「あ……」

「もし自分が襲われたってことをおおっぴらにされたら、ゆ
いちゃんは学校に行けなくなる。今でもその恐怖に怯えてる」

「……うん」

「しゃらも危ない目にあってるから分かるよね?」

「分かる。わたしも訴えられない」

「でしょ? そして、弓削さんにはそもそも訴える能力がな
い」

「あっ!」

ばっと、しゃらが立ち上がった。

「そ……っか。それじゃあ……」

「そもそも立件出来ないの。弓削さんの代理人が、代わりに
訴えることは出来るらしいけど」

「うん」

「それでお兄さんを罰したところで、意味ないじゃん。被害
者の弓削さんから、何も被害感情が出て来ないんだもん。お
兄さんは、補償も謝罪も出来ないし」

「……」

「だからって、それでいいってことにはならない」

ぐんとしゃらが頷いた。

「五条さんがものすごくきつい言い方で警告を出したのは、
もし不起訴になってもそれで免責になんかならないよってこ
とを、お兄さんとしゃらたちにきちんと伝えるためだと思う」

「そうか……」

「だから、五条さんは法律とは別の重石をお兄さんに乗せる
みたい」

「重石?」

「そう。お兄さんは自分をマシにするつもりがないの。乱暴
じゃないから目立たないだけで、中身がずぶずぶに腐ってる
んだ」

「……」

 


三年生編 第54話(5) [小説]

五条さんからの情報収集が終わって、肩を落としているしゃ
らのところに戻った。

「ふう……事情は分かった。でも、これはしゃらたちの問題
じゃないよ。切り離さなきゃ。あとは、お兄さんがどうする
か、さ」

「そう……なの?」

「間違いなくそうでしょ。しゃらやご両親がお兄さんに余計
なちょっかいを出して、お兄さんがそれに反発してとかなら
別だけどさ。長い間没交渉だった人の責任をいきなり取れっ
て言われても、そんなの無理だよ」

「……うん」

「昨日、帰り際に森本先生といろんな話をしたでしょ?」

「うん」

「その中で先生が、五条さんは運が良かったって話をしてた
じゃん」

「うん。そうだったね。受けた好意より恨みが上回ってしまっ
たら、まだ泥沼だったって」

「お兄さん。家を出てから、誰からも好意を受けたことない
んちゃうかなあ」

「……」

「このクズ、役立たず、根性なし、ヘタレ野郎、使えねえや
つ。ずーっとそう言われ続けたら、本当にそうなっちゃうよ。
元々はそうでなくてもね」

「あ……」

「お兄さんも、弓削さんとまるっきり同じだってことさ。タ
イミングがちょっと違うだけで」

「……」

「なんかね」

「うん」

「お兄さんて、まるで中学時代の僕を見てるみたいなんだよ
ね」

「えーっ!?」

しゃらが、ものすごーくびっくりした顔になった。

「ははは。僕だけじゃない。実生もそうだよ。僕らの生き方
は、ここに来るまではずっと逃避型だったんだ」

「逃避型……って、そんな風に見えない……けど」

「そりゃそうさ」

僕は、眼下に広がる街並みをぐるっと指差した。

「親父の転勤はもうない。ここが最後だったんだ。ここでだ
めならもう逃げ場がなかった。だから……必死だったんだ。
僕も、実生もね」

「そっか……」

「徹底的に意地を張って、最後まで自分を貫いたしゃらとは
違う。僕は、ものっそよわよわだったんだよ。お兄さんと何
も変わらない」

「……」

「だから、僕はお兄さんを一方的に責められないよ」

「……うん」

しばらく足元をじっと見つめていたしゃらは、切羽詰まった
顔で僕に質問を投げかけた。

「ねえ、いっき」

「うん?」

「もし。もし、さ。いっきがここに来てもうまく行かなかっ
たら……どうしてたの?」

「ひっきーになってたと思うよ」

「あ……」

「その危険性は、僕にも実生にもあった。僕らがひっきーに
なっちゃったら、うちは間違いなく家庭崩壊さ。他人事じゃ
なかったんだ」

「……」

「実際、大怪我した後は、怪我がある程度回復しても、僕は
学校に行かなかった。行けなかったんじゃない、行かなかっ
たんだ。実生も、何度も高熱を出して学校を休んでる。仮病
じゃないけど、体が学校を拒否しちゃってたんだ」

「そう……かあ」

「親父が転職でなく転勤だったら。二、三年でリセットがか
かるってのが当たり前になってしまったら。今みたいな僕は
たぶんいないよ。人と適当に合わせて、へらへらして、都合
が悪くなったらすぐ逃げる。そういう性格に……なってたと
思う」

「それって……」

「お兄さんとそっくりでしょ?」

「うん。そっか……」

五条さんのぶちかました爆弾のショックでパニくってた頭
が、だんだん冷えてきたんだろう。
しゃらが少し落ち着きを取り戻した。

「五条さんが、しゃらたちにお兄さんのことを言いに来たの
は、五条さんが怒ってるからじゃないね」

「違う……の?」

「違う。警察では、お兄さんが弓削さんにしでかしたことが
分かった時点で、お兄さんの扱いを参考人から容疑者に切り
替えちゃってるんでしょ。今は事情聴取じゃなくて、取り調
べになってる」

「うん」

「その結果がどう出ようが、お兄さんは弓削さんにとって、
もう善意の第三者じゃないんだよ」

「……」

「その事実から目を逸らさないで欲しい。お兄さんに中途半
端な情けをかけると、全員が共倒れになる。ちゃんと覚悟し
て。五条さんはそれを言いに来ただけと思う」

 



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三年生編 第54話(4) [小説]

「ごめん、しゃら。ちょっと五条さんと話する。きちんと事
実関係が分かってないと、僕は何も言えない」

「うん」

しゃらの同意を得て、しゃらから少し離れたところで五条さ
んに電話を入れた。

「あ、五条さんですか? 工藤です」

「昨日はお疲れ様」

「いえー。長友さんから報告を聞かれました?」

「聞いた。言葉が……出ないわ」

「森本先生と市の福祉課の方とで緊急のケアプランを練るっ
て言ってたんで、僕らが何か手伝うにしても、それが決まっ
てからかなあと」

「うん。手伝うって言ってくれるだけで、本当に嬉しい」

「だって、僕もしゃらも、五条さんや会長に再起を手伝って
もらったから……」

「私もそうよ。そういう善意がいっぱいあるから、世の中が
崩れずに済んでる。捨てたもんじゃない。私はそう思いたい
の」

「はい! あ、それでですね」

「うん?」

「則弘さんのことなんですけど」

「……」

「立件ですか?」

「御園さんから話が行ったの?」

「一家全滅です」

「……」

「僕の方で、しゃらをフォローをします。事実だけいくつか
教えてください」

「うん」

「弓削さんは……産むんですか?」

五条さんは即座に否定した。

「無理よ。今の赤ちゃんの世話ですらまともに出来てないの
に、これからの妊娠期間や出産は乗り越えられない。悪条件
が増えると、ケアプランを立てるのがますます難しくなる」

「……」

「今日、グラナーダの職員さんに付き添ってもらって、弓削
さんに産婦人科に行かせた」

「堕ろす……ってことですね?」

「そう。仕方ないわ。まだ六週くらいだったのが不幸中の幸
いよ」

そうか……。

「則弘さんは、どういう罪に問われるんですか?」

「県の青少年保護条例違反。こっちはお灸くらいなもの。で
も……」

「はい」

「弓削さんに正常な判断能力がないことを知りながら性行為
を一方的に要求するのは、強姦と同じなの。準強姦ね」

「……」

「お酒を飲ましたり薬で眠らせたりして、意に沿わない性行
為を強要するのは間違いなく犯罪。そっちは重罪よ」

「そうか……」

「でも、今回のケースはものすごく特殊なの。弓削さんが何
も拒まない……いや拒めないっていう精神的な傷を持ってるっ
てことが背景にあるから」

「はい」

「則弘にマエがないこと。保護義務を完全に放棄しているわ
けではないことを考えると、裁判での実刑はたぶん出ないと
思う」

ほっ。

「それでも、罪悪感や責任感皆無で自分の行為の正当化しか
しないクズ男は誰も擁護してくれない。行為の悪質さだけが
目立っちゃう」

うん……そうだろうな。

「則弘を守らなければならない事情がどこにもなければ、不
起訴や起訴猶予にはならないよ。あいつの扱いは間違いなく
犯罪者。判決に執行猶予がついたところで、その汚名が消え
ることはない」

「……」

「それだけのことをしたんだから。しょうがないわ」

「あのー、五条さん」

「なに?」

「裁判で、則弘さんがあくまでも合意の上だって言い張った
らどうなるんですか?」

「弓削さんとその子の面倒を一生見なさいねって言われるで
しょ。御園さんのご両親が主張された通りよ」

う、そうか。

「でも、それ以前に」

「はい」

「収監された田中が、黙っていないと思うよ」

「えっ!? 収監されたら何も出来ないんじゃ……」

「田中は、ね」

それで……全て分かった。

「そうか……」

「則弘には、自分の非を認めてやり直すしか道が残ってない
の」

きっぱりと五条さんが言い切る。

「御園さんのご家族には降って湧いた災難ね。でも、責任が
ご両親や沙良さんにあるわけじゃない。成人して家を離れて
暮らしていた以上、責任は全て則弘本人にある」

「そうですよね」

「その責任を自力で果たしなさい。私にはそれしか言えない
わ」

「分かりました。済みません。出産前の大変な時に」

「あはは。まあ、こんな風にゆっくり話していられるのも、
あとちょっとだけ。生まれたらうちは大騒ぎよ」

「でも、すっごい楽しみじゃないですか!」

「もちろんよ!」

五条さんは、最後にぼそっと言い残した。

「胎教に悪いから、もっといい話を聞かせて欲しかったんだ
けどな。でも、これが現実よね」

 


三年生編 第54話(3) [小説]


「田中って人が警察に捕まってから……」

「うん」

「お兄ちゃんが弓削さんを連れてこっちに来るまで」

「うん」

「二か月くらい……間が空いてるの」

「じゃあ、それまでは二人で暮らしてたってこと?」

「そうみたい。田中って人が持ってたお金を使い果たして、
残りのお金が少なくなって、慌ててお兄ちゃんが弓削さんを
連れてこっちに来たの」

「うん」

「その間にね……」

真っ青になったしゃらは、何度かその言葉を口にするのをた
めらった。
それを見て。僕はお兄さんが何をやらかしたのかを悟った。

僕の方から聞いてみる。

「お兄さん。その間に弓削さんを抱いたんちゃう?」

「……」

言葉に出来なかったんだろう。しゃらが力なく頷いた。
でも、それだけで五条さんが血相を変えるはずがない。
ああ……そうか。

「妊娠……させちゃったのか……」

ぎゅうっと両手の拳を握り締めたしゃらが、恐ろしい言葉を
口にした。

「そんなの……お兄ちゃんじゃないっ! こ、殺して……や
りたいっ!」

「……」

しゃらに『殺す』っていう物騒な言葉を吐き出させるほど。
お兄さんのしたことがものすごくショックだったんだろう。

お兄さんに、事実を受け止めて弓削さんを支える気持ちがあ
るのなら、まだ救いがある。
でも、お兄さんは逃げることしか考えていない。

自分は田中に騙されて、こんな変なオンナを押し付けられた
んだ。
俺には、そいつに何かしてやらなければならない義理なんか
ねえよ。ついてねえ。

……そういう、自己中で卑屈な考えしかない。

もしお兄さんが今しゃらたちのところに顔を出したら。
お父さんやしゃらに徹底的に糾弾されて、本当に半殺しの目
にあっていたかもしれない。

「お兄さんは、タカがシメてたんちゃうの?」

「うん。少しはマシな生き方をしろって言って、お店の仕入
れとかを手伝わせてたって」

「そっか。ぼこるんじゃなくて、社会訓練させてたってこと
か……」

タカに任せたら、間違いなく最初に原型なくなるまでぼこっ
たはずだ。
五条さんが、わたしの出産があるから揉め事の元になるよう
なことはしないでって、タカを止めたんだろう。

「でも、なんで妊娠が分かったん?」

「警察の事情聴取で、ここに来るまでの間の行動を聞かれた
らしいの」

「お兄さんが?」

「ううん。弓削さんが」

「ああ、それで……」

「そう。お兄さんに求められてえっちしてたってことを……」

「……」

「警察で慌ててメディカルチェックをしたら、妊娠してたっ
て」

「ひでえ」

「……」

どうしようもない。
脅迫とか暴力とか……そういうのを伴わなくても。
人の弱みにつけ込んで、自分の欲望だけ満たすっていうのは、
鬼畜のすることだと思う。

お兄さんが優しかったのは昔のこと。
今は……その優しさのかけらも残っていないんだろう。

そして、五条さんがお兄さんのひどさを訴えるためだけにしゃ
らの家を訪問するはずがない。
もっと重大なことを伝えるため、だ。

「ねえ、しゃら」

「……」

「五条さんがしゃらん家に来たのって、立件の方針を伝える
ためじゃない?」

真っ青な顔で、しゃらが力なく頷いた。

「やっぱりか」

お兄さんが最初僕らの前に顔を出したのは、自分と弓削さん
の窮状を救って欲しいから。
逃避行を誘導してたのはお兄さんであり、お兄さんに未成年
の弓削さんと赤ちゃんの保護義務がある。

弓削さんを放棄して自分だけ逃げなかったのは、一人で逃げ
てもどこにも行き場がなかっただけだろう。
田中って男のところに転がり込む前に、すでに相当ヤバかっ
たんだと思う。

女子供を連れていれば、周りの同情を集められる。
お兄さんは、そういう打算で行動してた。
でも、本当は弓削さんのことなんかどうでもいい。誰かに押
し付けて逃げようと思ってた。

だからこそお兄さんは、弓削さんをまるで肉人形みたいに粗
末に扱ってる。

それは……義務の放棄。
責任を持って弓削さんと赤ちゃんを守る行動をしなかった時
点で、お兄さんへの同情は全て剥奪され、今度は無責任な行
動全てが犯罪行為と見なされる。

事情聴取の間の保身ばかりの言動が、ものすごく悪い印象を
与えてしまった。
今回の行動が善意からではなく、打算と悪意に満ちたものだ
と……捉えられてしまったんだろう。

そういうお兄さんの汚いところを見せつけられたら、しゃら
たちが激しいショックを受けるのも無理もない。
あんなやつなんか、二度と帰ってこなければ良かったのに。
お父さんも、お母さんも。そしてしゃらすら。
そう思ってしまうだろう。

 



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