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三年生編 第65話(6) [小説]

僕の前に出た伯母さんは、事もなげに店の戸を開けた。

し……ん。

中は一応喫茶店の格好をしてるけど。
だあれもいない。店の人も含めて。

「ねえ、伯母さん。ここ、ほんとに大丈夫なんすか?」

「あはは。ここが喫茶店なのは見かけだけなの」

「へっ!?」

「喫茶店の看板は上がってるけど、日中この店に来る人は誰
もいない」

ど、どういうこと?

「ここらの人は、この店はもうとっくの昔に閉まってると思っ
てるからね」

「そんなとこに入って大丈夫なんすか?」

「看板上がってて鍵が開いてるんだから、大丈夫よ」

ぐげえ……。

伯母さんが、寂れた店内をゆっくり見回してから、カウンター
の一番奥の席に腰を下ろした。
僕もその隣に座る。

「ここのオーナーのご夫妻は、今はまだ上で寝てるよ。下に
降りてくるのは夕方になってからね」

「えっ? でもお店は実質もう閉まってるんですよね?」

「『ここ』はね」

「うー、どういうことっすか?」

「この並びの店を見た?」

「ずっと前がどうだったかは知らないけど、おしゃれな店ばっ
かになりましたよね? タルボットもそうだし」

「そう。ブティックが立ったり、雑貨屋さんがオープンした
り、タルボットだけじゃなくパン屋さんも開店して繁盛して
る」

「あ、そうだあ。プレミオかー」

「知ってる?」

「開店セールの時にしゃらが買いに行って、すっごいおいし
いって絶賛してたから」

「うん。粉にもバターにもこだわってて、その割には値段が
手頃。上手に商売してるよね」

「調理パンが少ないんですよね。角食とかバゲットみたいな
シンプルなパンがメインで、どれもおいしいです」

「毎日買いに来れるって感じでしょ?」

「はい。今日もこの後買って帰ろうかなあ」

「あはは。そうして。でね」

「はい」

「この店だけ、なんか変だと思わない?」

そう言われて、店先で覚えた違和感がまたふつふつと。

「取り残されてるような」

「その通り」

伯母さんがぐるりと店内を見回す。

「田貫市は、昔は一面田んぼと畑の田舎だったところ。今の
ような東京の衛星都市のスタイルになったのは、戦後からよ」

「はい。僕もそう聞いてます」

「あら、調べたの?」

「先輩から教えてもらいました」

「ユニークな先輩だこと」

片桐先輩だからなあ……。

「この店のある辺りが昔どうだったか知ってる?」

「知らないですー」

「じゃあ、いつきくんが通ってる高校の辺りは?」

「んー、確かそこに広い未利用地があって、明治になってか
ら兵器工場が建てられたって聞いてます。うちの高校はその
跡地に建ったって」

「素晴らしい! 説明の手間が省けたわ」

おいおい。

「兵部省直轄の大型工場だったからね。工員も職員も当時の
田舎にしては考えられないほどいっぱいいたの。省の役人や
軍の高官もたくさん出入りしてた」

「ええ」

「当然、そういうところには花街が出来るのよ」

「花街、ですか?」

「今でいう、歓楽街ね」

「あ、そうかー。その当時はまだ鉄道が来てなかったから、
今の駅前の方がなんもなかったのかー」

「そういうこと。明治期は、ここらへんの方がずっと賑やか
だったのよ」

「知らんかったー。でも、それがなんで残らなかったんです
か?」

「空襲で焼け野原になったから」

「でも、そのずーっと前に、もう工場が閉鎖されてたんじゃ
ないすか?」

「工場が出来た時にここに集められた人が、工場閉鎖後に全
員ここを離れたわけじゃない。ここに居ついて店を続けてた
人がいたの。花街としての賑わいが減っても、そういう店は
まだ残ってたのね」

「へえー」

「それがほとんど空襲で焼け落ちて、ここは辛うじて焼け残っ
た一角」

「そうだったのかー」


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三年生編 第65話(5) [小説]

母さんの舌鋒は、今度は実生に向いた。

「実生。あんたは家事がなんでもこなせるから、その点は心
配ないね」

「えへへ」

「でも、そういう子はオトコにこき使われる」

「う」

「自分を安売りするんじゃないよ!」

ぐっさり。
僕も実生に同じことを言ったけど、会話の流れの中で自然に
話するのと当て付けるのとじゃ、全然違うからなあ。

母さんの怒りスイッチが入ると、言うことがいつも以上にえ
げつなくなる。
僕も、そういうところが母さんに似ちゃったかも知れない。
やばやば。

「で、説教してきたの?」

「出来ないよ。弓削さんがいるからね」

母さんが空気を読んで自主規制した?
いや、刺々しい表情や言動を弓削さんの前で出さないでくれっ
て、伯母さんに最初に釘を刺されたんだろなあ。

「その分、後で百倍返しにしてやるっ!」

ぐわわわわ。

ぶりぶり怒りまくったまま、どすどすと足音を立てて母さん
がキッチンに入った。
思わず、実生と顔を見合わせる。

「触らぬ神に祟りなし、だよな」

「うん……大激怒モードのお母さんて、久しぶりに見たー。
こわ……」

「そっとしとこうぜ」

「だね」


           −=*=−


それだけで済むはずないだろなーと思っていたら、やっぱり。
午後に伯母さんから僕の携帯にかかってきた。

「いつきくん、今大丈夫?」

「今日は完全休養日なので、大丈夫です」

「じゃあ、ちょっといい?」

「出ます?」

「そうしてくれると嬉しいかな」

「リドルにします?」

「いや、あそこは人の目があるからね。人払いしたい」

「じゃあ、伯母さんの方で場所を指定してください」

「ええとね。タルボットの並びに、ジャスミンていう小さな
喫茶店があるの」

知らないなあ。

「僕にすぐ分かりますか?」

「看板出てるし、分かるよ。カウンターだけの小さな店なん
だけど、奥に一つだけ個室があるの」

あ、そういうことか。

「分かりました。すぐに出ます。あ、弓削さんは?」

「さっき恩納さんが帰ってきたから、任せる」

ほっ。
じゃあ、大丈夫だね。

「よろしくね」

「はい!」

ばたばたと外出準備をして家を出ようとしたら、背後から母
さんの声が掛かった。

「あれ? いっちゃん、どっか行くの?」

「買い物してくる」

「スーパー寄れる?」

「分からん。僕のが済んだら電話入れるわ」

「あ、それは助かるー」

伯母さんとこの用事がぽんと入ったから、うちの分の買い物
は後回しになったんだろう。

「じゃあ、行ってくる」

「気をつけてね」

「へえい」

外に出たら、雨雲が一掃されてて、空は完全に真夏の装いだっ
た。ぎんぎらぎん。

「ぐえー。こ、これは暑そう」

慌てて家に戻って、服を替えた。
うんとこさ軽装にしないと体が保たん、

Tシャツ短パン姿で部屋から出てきた僕を見て、母さんがう
んざり顔をした。

「外、暑くなってる?」

「もう真夏だわ」

「かなわないなー」

「行ってきまーす」

「ほい」

ばたん!


           −=*=−


ジャスミンという喫茶店は、伯母さんが言ってた通りですぐ
に見つかった。

でも、外見はとても喫茶店には見えない。
きれいな雑居ビルの隙間に挟まった細長いお店で、奥行きは
あっても幅がない。
そして、とてもじゃないけどきれいな店とは言えない。
古ぼけた、時代に取り残されたお店って感じだ。

店先には、枯れたままの花がごちゃっと残ってるトロ箱が置
いてあって、緑に見えるのは全部雑草だ。
元々はそこに植わっていたらしいアップルミントが、箱の底
から逃げ出してあちこちで茂って、ぽよぽよと花を上げてる。

伯母さんは、なんでまたこんな古臭いお店を指定したんだろ
う?

僕が店の前で中に入るのをためらっていたら、後ろから伯母
さんの声が聞こえた。

「ごめんね、待たせて」

「いえ、ここですよね?」

「そう」



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