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三年生編 第50話(2) [小説]

ああ……。
なんとなく分かる。

さゆりんには、昔から兄貴の後ろをどこまでもくっついてく
感じがあったんだ。
あの元気爆裂のところも、まんま兄貴の健ちゃんのコピーだ。
体力化け物レベルの健ちゃんに女の子のさゆりんが付いてく
のは大変だと思うけど、必死に後を追ってる。

うちと同じ兄貴と妹っていうコンビでも、僕と実生との関係
とは相当違うんだよね。

うちの場合。
何でも我慢して、すぐに自分の中に抱え込んでしまう実生が
怖くて、危機的状況の時にだけ僕が出て行ったんだ。
僕がいつも実生の側にいてかばってたわけじゃない。

実生も、不用意に僕が出しゃばるのを嫌った。
その後のいじめの反動が倍になるからね。

変な話だけど、二人していじめの対象になっちゃってたこと
が、僕らの距離を調整してたんだ。
仲はいいと思うけど、相互依存の関係はないと思う。

でも……。
健ちゃんのとこは、さゆりんが兄貴にべったりで、兄貴をコ
ピーしちゃったんだ。
そして兄貴の健ちゃんは、さゆりんが思い込んでるほどさゆ
りんの方を見ていない。

想いがアンバランスなんだよね……。
そのバランスが、崩れたんちゃうかなあ。

前からちょっとなあとは思ってたけど、僕らが口を出すこと
じゃないし、僕も実生もそれをとやかく言ったことはない。
うーん……。

考え込んでしまった僕をちらっと見て、母さんが話を続けた。

「健ちゃんは気が利く方だと思うけど、さっき言ったみたい
に基本は自分でやりたいようにやるっていうタイプでしょ?」

「うん」

「受験校決めるところまではさゆりちゃんの肩を持ったんだ
けど、合格が決まったところで、あとは自分で好きにやれっ
てぽんと放ったみたいなの」

「あーあ、やっぱ……かあ」

「予想してた?」

「なんとなくね。うちだってそうさ」

僕は、二階でまだぐーすか寝ている実生の寝顔を思い浮かべ
る。

「うちは、実生がちゃっちゃっと自分でやりたいことを探す
から、僕が出しゃばる部分は少なかったけどさ。それでも、
ポイントポイントで兄貴風は吹かせてたよ」

「うん。そうね」

「でも、それは実生が中学生の時までさ。もう無理だよ」

母さんが苦笑した。

「普通、そうよね」

「僕や親父は、実生にとってむっさいオトコの代表。あんな
んヤだなあと思う方が自然だよ」

「ぎゃははははっ!」

母さんがバカ笑いする。

うちと健ちゃんとこ。
僕と健ちゃんの考え方は基本同じだと思う。
違うのは……実生とさゆりんの意識だ。

実生は、安易に僕を頼らない。
それは、いじめが絡むと僕が必ずしも防波堤にならないから
なんだ。僕は、健ちゃんみたいなタフマンじゃないからね。

いじめられた経験のないさゆりんは、タフな健ちゃんに純粋
に憧れていて、精神的に依存してたんだろう。
それが、兄貴の模倣っていう形で出てた。

健ちゃんは、その深刻さに気付かなかったんだろなあ……。

もう妹のことに口出すトシじゃない。
そうやって、すぱっと切っちゃったんだと思う。

そしたら……。

「ねえ、母さん。もめてるっていうのは、家庭内別居なんて
いう生易しいものじゃないんちゃうの?」

心配顔の僕を見て、母さんが深い溜息を連発した。

「はああ……あんたもほんとに勘がいいよね」

やれやれって顔で、母さんが天を仰いだ。

「さゆりちゃん。家を出ちゃったのよ」

がたっ!
血相変えて立ち上がった僕を、母さんが制した。

「じゃあ……」

「せっかく入学した高校にも、十日も行ってない。ずっと欠
席」

「今……どこに?」

「分かんない。どこか友達のところにいるんだろうけど、親
には連絡して来ないみたいで」

ぞっと……した。

「それって……会長の娘さんと……」

「同じパターンね」

母さんが、やり切れないって顔で窓の外に目をやった。

「信高さんも、激怒して勘当だって爆発しちゃったし」

「あー……。勘助おじさんは?」

「心配はしてるみたいよ。でも、親の頭越しには動けないで
しょ」

「……。健ちゃんは?」

「健ちゃんも勘助さんと同じよ。兄貴としては心配だけど、
だからと言って指図も出来ない。それに、さゆりちゃんが誰
とつるんでのか、誰も把握出来てないみたいだし」

何も……言えなくなってしまった。

「とりあえず、勘助さんが親族を集めて対策会議をやるって
言ってる」

ほっ。
あとは知らないってことじゃないんだ。

 


三年生編 第50話(1) [小説]

6月21日(日曜日)

「うーん……」

手元にある二つ折りの紙を開いて、しげしげと見回す。

これがまた。
なんともびみょー。

「うーん……」

朝っぱらから、リビングのど真ん中で僕がうんうん言ってる
のを聞きつけた母さんが、早速イジりに来た。

「ベンピ?」

「ちゃいまんがなー」

「どしたん?」

「いや、この前の模試さ」

「あ。結果来たんだ」

「うん。二連敗中だったから、今回はかなり気合い入れたん
だけど」

「三連敗?」

「いや、そこまで悪くはない。でも、元のレベルまで戻せた
とも言えない。びみょー」

「ふうん」

「やっぱ、夏期講習でぎっちり絞らないとダメだなあ」

「そうそう、それなんだけどさ」

「うん」

「こっから通えるの?」

「田貫市内のはね。でも、そこをどうするかなんだよなあ」

「東京のは、受講料高くてしんどいでしょ」

「しんどい。一応合宿型の短期集中のはあるんだけど、それ
だともうターゲットを絞っちゃわないとならないの」

「ふむふむ」

「僕的には、それはちょっとなーと」

「じゃあ、市内のやつ?」

「そこがさあ……。大手の予備校が、田貫市から撤退しちゃっ
たでしょ?」

「あっ!」

母さんが頭を抱えた。

「あたた……そうだったね」

「今まで世ゼミがこっちに教室持ってたから、それでいいか
なーと思ってたんだけど、そこが撤退」

「うん。あとは中小になるってことね?」

「そう。小さいとこでもしっかりやってくれるなら、それで
もいいんだけど、どうしても講師の質とか考えちゃうとさー」

「うーん」

「かと言って、東京のでかい予備校にこっちから毎日通うの
はしんどいし」

「他になんか手はないの?」

「予備校の選択ってことでいけば、ない」

「……」

「あとは、東京の予備校に通うための手段をどう考えるかっ
てことかなあ」

「ホテルから通うなんてのは、お金的に無理よ」

「てかお金の問題以前に、それじゃ学校が許可を出してくれ
ないの。いかに受験対策って言っても」

「あ! そっちも規制かかるんだ」

「なの」

「うーん」

「僕が考えたのはさあ」

「うん」

「健ちゃんとこから通えないかなあと……」

母さんが、すっと俯いて大きな溜息をついた。

「ふうっ……まあ、そうなるよね」

「でも、おじさん、おばさんがオッケー出してくれないとそ
もそも無理だし、あくまでも案」

難しい顔になった母さんが、しばらく考え込んでた。
それから、その顔つきのまま小声で話を振ってきた。

「いっちゃん」

「うん?」

「オフ、よ」

「へ?」

「健ちゃんとこね」

「うん」

「今、大変なの」

「え!?」

「まあ、座んなさい」

ソファーに腰を下ろした僕に、母さんが思いがけない話を始
めた。

「さゆりちゃんの進学で揉めてたのは、いっちゃんも知って
たでしょ?」

「うん。おじさんは私立入れたがってたけど、さゆりんが嫌
がったって」

「そう。結局さゆりちゃんが押し切って、都立受験して合格
したんだけどさ」

「うん。良かったじゃん」

「良くないわ」

「え!?」

「受験のずっと前からね、さゆりちゃんとお父さんの間がう
まく行ってなかったのよ」

「……」

「お父さんは、健ちゃんもさゆりちゃんも大学に行かせた
いって思ってて」

「うん。でも健ちゃんは拒否るって言ってたよ?」

「健ちゃんはお父さん以上に頑固だから。親に何を言われよ
うが、これで行くって決めたら絶対に曲げない」

「だろうなあ……」

「お父さんも、それは諦めたみたい」

「その反動がさゆりんに行っちゃった?」

「まあね。でも、それだけじゃないの」

「うん」

「さゆりちゃん、お兄ちゃん大好きっ子なのよ」

 



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ちょっといっぷく その147 [付記]

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

しゃらのお兄さんの突然の帰還に驚いている暇はなく、しゃ
らの実家は住んでいた家を明け渡して借り暮らしに入りまし
た。それに伴って、いっきは『家』というものの意味を深く
考え直すことになりました。

ただ……じっくり考えている暇があればいいんですが、そん
な余裕はいっきにはないんですよねえ。(^^;;

突然の出来事のフォローアップと、しゃらの家の引っ越し話
を第48話、第49話としてお届けしましたが、いかがでし
たでしょうか?


           −=*=−


第48話。
お兄さんが持ち込んだごたごたには絶対に関わりたくない
いっきなんですが、しゃらをサポートするにはどうしても正
確な情報が要るんですよね。

お兄さんが引きずってきたろくでもない縁。
その中身を確かめるため、いっきが刑事の池端さんに情報提
供を受けたのが第48話でした。

まあ……なんとも救いのない、悲惨な話です。
でも、それはあくまでも他人事。

いっきにもしゃらにも関係のないことですから、いっきの関
心は、お兄さんがしゃらの家に災厄を持ち込まないか。
その一点に集中しています。

お兄さんが連れていたのが彼女や奥さんでない限り、それが
しゃらの家族にまで跳ねることはないだろう。
いっきは、楽観視しました。

さて……。


           −=*=−


第49話では、しゃらの家族が家を失う瞬間を克明に描写し
ました。

実家兼店舗だった最初の家からお祖母さんの家に避難し、と
うとうそこも手放すことになったしゃらの一家。
でも、今度は避難ではなく、攻めです。

新しい家には、新しい夢と希望を詰め込みたい。
関係者一同が、決意を持って古い家との別れに臨みました。
もちろん、これからしゃらたちの家が建つところで長く商売
をしていた林さんにとっても、過去との訣別になります。

家に詰まっていた思い出。
それには、いいことも後悔も入っています。
それぞれに、複雑な思いで自分の家の喪失を見つめていたこ
とでしょう。

自分の家というものを持ったことがなかった、家を意識した
ことがなかったいっきにとっては、これまでとこれからを考
える大事なターニングポイントになりましたね。

そして。
こそっとではありますが、ロマンスのタネを蒔いておきまし
た。

はい。
厳しい運命をバイタリティで乗り切ってきた恩納先輩。
彼女をこっそり想ってる人がいたんですねえ。(^m^)

ただ、過去が超重たい恩納先輩とシャイの塊の元広さんとの
接点は、まだほとんどないんです。
どう考えても、ものっそ時間がかかりますね。

本連載が終わるまでに少しは進むかなあ……わたしも自信が
ないです。


           −=*=−


さて。
このあと、第50話から52話まで続けて三話お届けします。

その三つの話はどちらかと言えば小ネタなんですが、中に重
要な仕込みが入っています。
分かりにくい仕込みではありませんので、その仕込みがどの
ように展開するのかを想像しながら読んでいただけると嬉し
いです。

ただし。
決して楽しい、わくわくする話ではありません。逆です。
もし目の前にそういう事実があったら、自分はそれに耐えら
れるだろうか。そういう……しんどい話になります。




ご意見、ご感想、お気づきの点などございましたら、気軽に
コメントしてくださいませ。

でわでわ。(^^)/



ox.jpg



どこか一点からわたしが始まり
どこか一点に向けてわたしが吸い込まれる

その一点がどこか
わたしは知らない




桃の輝きというオキザリスの花芯。
そこには雄しべと雌しべが出会いを待っています。

でも、彼らの恋が実ることはありません。

その運命を……彼らは知らないのです。

 


三年生編 第49話(8) [小説]

先輩は、これまでのこともあるからカレシを作ることにはす
ごーく慎重だ。
高校の時は生活苦を理由にあえて避けてたし、その方針が大
学に入って変わったとは思えない。

今は生活が充実してるみたいだから肩の死神が暴れることは
ないと思うけど、自分が男性に対して恨みの気持ちを持って
るっていうことは片時も忘れないだろう。
気楽にいろんなカレシを試すなんてことは、先輩には出来な
いと思う。
それが……もっくんに分かってるかどうかなんだよね。

「ふう……」

麦茶を飲み干して、グラスをダイニングテーブルに上げて。
一つ大きく伸びをした。

五条さんとタカの時。
かっちんとなっつの時。
そして、中沢先生とかんちゃんの時。

どのくらい積極的だったかはともかく、僕らはサポーターと
して出来るフォローをした。
それは、僕らがなんとなく両方の気持ちを知ってたから出来
たんだよね。
どっちかの純粋な片思いっていうケースはなかったと思う。

タカ?
タカは第一印象で、五条さんを美人だってベタぼめした。
おべんちゃらを一切言わない直球のタカは、五条さんに一目
でずぎゅんだったんだ。
それが分かったから、僕らは後押し出来たんだよね。

でも、もっくんと先輩のケースはどっちの気持ちもまだ弱い。
てか、全然読めない。
それじゃあ、僕らは怖くて手を出せないよ。

林さんが隠し通した、しゃらのお祖母さんへの恋心。
そして、もっくんがまだ隠している先輩への恋心。

それは、木陰でひっそりと咲く沙羅の花みたいなものなんだ
ろう。
咲いても……誰にも気付かれずにひっそり散るだけだ。

もっくんは、林さんみたいにそれを最後まで隠し通してしま
うんだろうか?
いや、弱くても信号を出してるってことは、いずれもうちょ
い強いアプローチを考えるのかもね。

ただ、もっくんと先輩とは物理的に距離が離れてる。
会う機会がそもそもほとんどないんだ。
偶然にはまるっきり期待できないんだから、もっくんの方で
何か機会を作らないことにはどうしようもないと思う。

それにしても。
沙羅。夏椿、かあ。

「お兄ちゃん、何にやにやしてんの?」

「ああ、しゃらのあだ名は夏椿とかぶるんだけどさ。ちょっ
とイメージ違ったかもなあと思って」

「へえー」

「しゃらは、最初の頃はともかく、今はもっと元気、もっと
くっきり。どっちかと言えばヒマワリ系だよね」

「でもさあ、お姉ちゃん肌の色白いじゃん。イメージぴった
りだよう」

「じゃあ、実生はクロユリか?」

「ぬわにいっ!?」

げしっ!

平手じゃなく、げんこが僕のドタマに着弾した。
いでー……。




nattbk.jpg
今日の花:ナツツバキStewartia pseudocamellia

 


三年生編 第49話(7) [小説]

口元に指を置いて考えていたしゃらが、うんと頷いた。

「そうですね。そっかあ……」

「でしょ?」

「はい! わたしなら絶対に斡旋しないなー。そんなの」

ぎろっ!
しゃらのきつい視線が僕に向けられた。

それで、僕にも分かった。

「あはは……確かに。怖くて、誘われても行けないね」

りんが、ぱんと手を叩き合せた。

「そういうことか!」

「でしょ?」

「うす!」

もっくんが、何度も首を傾げる。
まだ分かんないかなあ……。

「元広さん。彼女に誘われて行った合コンで、彼女より好み
の子からアプローチされたら、どうします?」

「あっ!」

ごん!

もっくんがテーブルに頭をぶつけた。

「あたた……そういうことかあ」

「びみょーなオンナゴコロですねー」

「なるほどなあ。そういうところも勉強しないとダメってこ
とだなあ」

「それにね」

先輩の解説が続いた。

「トモダチ感覚の高校生の合コンと違って、大学生になると
女の子の間に駆け引きやら牽制やら当て付けつけやら力関係
やらてんこ盛りに……」

「うひー」

かっちんが、げっそり顔。

「俺には、とても付いてけそうにねえ世界だなー」

「いいことばっかじゃないよー」

でも、先輩はからっと笑って合コンの話を締めた。

「まあ、わたしはどこ行っても食べて元取るけどさー」

わははははっ!


           −=*=−


無事にしゃらんちの引っ越しが終わって。
打ち上げも盛り上がって。
僕と実生は、すっきり充実気分で家に帰った。

シャワーを浴びてリビングでくつろいでいたら、麦茶を持っ
てきてくれた実生が首を傾げた。

「どした?」

「ん。なんか、恩納先輩の雰囲気が前とちょっと変わったか
なーって」

「変わってないよ。あれは、もっくんがいたからだと思う」

「そうなの?」

「もっくんは、すーぐ先輩をいじるから。先輩、相当警戒し
てたんでしょ」

「……」

実生は、じっと考え込む。

「でもさあ。わたしとか、お姉ちゃんとか、いじられたこと
ないよ?」

「そう。それが不思議なんだよね……」

美琴さんは、完全にいじられキャラ。
頭の構造が単純に出来てて、しかもすぐ沸騰するから、誰に
でもいじれる。
もっくんは、美琴さんをいじることに特別な意識はないと思
う。少林寺習ってる時から地でやり取りしてたんだし。

でも、先輩とのやり取りは違う。
もっくんが先輩をいじる時は、その場のノリでイケイケじゃ
なくって、かーなり調整してるんだよね。
一方的にいじってるようでいて、実はちゃんとスペースを
作ってる。いじってるけど、いじり倒してないんだ。

「……」

そうか。
なんとなくだけど。
前からずーっと引っかかっていたことが、おぼろげに見えて
きた。

あれは、もっくんから先輩に向けたアプローチなんだろう。
シャイで慎重なもっくんは、好きだとか俺と付き合ってくれ
とか、そういうダイレクトな働きかけをするのが苦手なんだ。

もっくんだけでなく三兄弟揃ってシャイなんだろうけど、
もっくんの照れはすっぽりポーカーフェイスに隠れてるか
ら、アプローチが一番分かりにくいんだと思う。

もっくんが黙っている限り、先輩がもっくんの方を向くこと
はない。だから何かアプローチはしたい。
でも、振り向いて欲しいって直接意思表示するのは恥ずかし
くて出来ない。

まるで、いじめっ子がお気に入りの女の子にちょっかいを出
して気を引こうとするかのように、もっくんは先輩の反応を
見ながら試行錯誤でいじってるんだろう。

そういう見方をすると、今日もっくんがしゃべっていたこと
は何気ない話題じゃなくて、全部計算尽くだったってことが
分かる。

艶話のこと。
あれは、女性へのアプローチが苦手でずっとフリーだってい
うことのアピールだ。
そして、その改善に前向きだってこと、つまり彼女募集中
だってことをさりげにアピールしてる。

にゃあにがめんどいだよ。ったく。

そして合コンの話。
あれは……先輩に意中の人がいるかどうかをこっそり確かめ
たんだろう。

カレシがいるから、そんなのには出ないよ。
もし先輩がはっきりそう言ったら、もっくんは速攻でハート
ブレイク。
でも、先輩の口からはそういう話題が出なかった。

もっくんは、ほっとしたんじゃないかな。

 



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三年生編 第49話(6) [小説]

それまでおちゃらけの雰囲気を振りまいていたもっくんは、
急に顔を強張らせた。

「小さい店でも、お客さんはみんな目が肥えてる。いかに前
座でも、出来が悪いとぼろっくそに言われるんだよ。話術よ
り、根性鍛えろって感じだね」

「うわ……」

「甘くないわ」

何にでも余裕のよっちゃんだったもっくんがびびるくらいだ
から、芸の世界は本当に厳しいんだろう。

一転して不機嫌な表情になったもっくんが、ぶつぶつこぼし
た。

「どうもねー、僕の話は辛気臭いって言われるんだよねー」

「えー? そうですかあ?」

「話し方よりも、演目の問題があるみたいで」

「演目かあ……」

「僕自身は、じっくり語るタイプの話が好きなんだけど、飲
み屋でやる話じゃねえだろって言われるとさあ」

「あ、そうかあ。確かに。どんなのやれって言われるんです
かー?」

恩納先輩がまじめに突っ込んだ。

「艶(つや)話」

「へ? なんですか、それ?」

「下ネタのたっぷり入った話だよ」

どてっ!
みんな、ずっこける。

でも……確かにそうだよな。
お酒が入って盛り上がってる時には、じっくり系よりもネタ
満載のエッチな話の方が受けるんだろう。

「筋はすぐ覚えられるけどさ。話す時には、ネタをちゃんと
色っぽくやらなきゃなんない。それがどうもなあ」

確かに。
もっくんは、黒ヤギみたいにそっち系全開じゃないもんなあ。

「でも師匠には、今から不得意分野作るなって怒られてる」

「それって、どうやって克服するんすか?」

りんが、直球で突っ込んだ。

「経験積むしかないよ」

「え? 経験て?」

「もっと女で遊べってさ」

どどおっ!
一同横転。
無理だー。どう考えてももっくんには無理だー。

もっくんは、ぎっちり腕組みして顔をしかめた。

「遊べってのは、ナンパして女の子をこませってことじゃな
くて、ちゃんとカノジョ作って楽しめってことさ」

「へー」

「落語の演題に夫婦や恋人の話はいっぱい出てくる。それを
男側の視点だけでやるのはうまく行かねえぞってことなんだ
よね」

あっきーが、それを聞いて感心した。

「すごーい! 心理学まで入ってるんですねー」

「そう。まさに心理。それも女性心理」

うーん……。
シャイってことで行けば、かっちんとこは三人ともそうだも
んなあ。照れ屋でシャイ。表現が三人の間で違うだけ。

でも、ひょうひょうとしてて一番モテそうなもっくんだけが
未だに女っ気なしのシングルだ。
おばさんキラーではあっても、同年代の女の子との浮いた話
は一つも聞いたことがない。意外に堅いんだよね。

美琴さんとか恩納先輩とか、突っ込みやすい相手にしか地を
見せないっていうか……。
そこらへんがなあ。

「まあ、こればかりは相手が要ることだし、ぼちぼちやるさ」

もっくんにしてはキレも工夫もない落とし方に、かっちんが
苦笑した。

それで終わりかなと思ったら、もっくんがまた恩納先輩に突っ
込んだ

「文ちゃんは、こん活してるの?」

「ごるああああっ!」

なんでカレシ作り吹っ飛ばして、そこまで行くかなあ!
油断してたところに突然とんでもないツッコミが入って、先
輩が噴火した。

「女子大で婚活なんて、ありえないしっ!」

「ええー? 女子大は、コンパ活動は盛んだって聞いてるけ
どー?」

どて。

まんまと引っかかった先輩は悔しそう。

「くうう、コンパはありましたけど……」

「どうだった?」

もっくんの問いかけには、茶化しが入ってない。
それに気付いた先輩が、あれーっ?て感じで答えた。

「まだ学内の女子会だけですー。合コンは、サークルやって
る子だけかなー」

「ふうん……そうなんだ」

「学外にコネ持ってる子じゃないと、合コン引っ張ってこれ
ないですよー。だから一年のうちはなかなか……」

「なるほど。確かにそうだね。カレシ持ちの子が、その線で
引っ張ってくるっていうパターンか」

「いや、そんなに単純じゃないですー」

「え?」

先輩が、苦笑いしながら手をぱたぱた振った。

「そうだなー。御園さんなら分かるかなー」

どういうこと?
僕らは互いに顔を見合わせた。

 


三年生編 第49話(5) [小説]

せっかくいらしたんですから一杯やりましょうってことで、
かんちゃんと中沢先生が、新居の一軒家に林さんを誘った。
この前宮の守酒造に見学に行った時に買い込んだとっておき
の一升瓶が、何本かあるらしい。
それを聞いたのんべの林さんは、娘さんが止めるのも聞かず
に喜び勇んで飲みに行ったらしい。

わははっ!

しゃらのご両親は、不動産屋さんや工務店の人たちとの打ち
合わせがまだまだあるとかで、仮住まいのアパートではなく、
前もって借りてあった公民館の談話室に走っていった。

そして僕たち若者部隊は、お疲れさん会をやろうってことで
リドルにどどっとなだれ込んだ。
マスターが打ち上げ用にたっぷり準備してくれていたオード
ブルをつまみながら、昔話に花が咲いた。

昔話ってのは、おかしいか。
でも林さんの何十年かと、僕らの一年二年。長さの差はあっ
てもすでに過去のことになったってのは同じなんだ。
僕らは振り返ることは出来ても、その時には戻れない。

その不思議を……みんなでしみじみ確かめ合う。

しゃらの家と林さんを繋げた立役者のかっちんは、特に感慨
深そうだった。

「あの時はよう、こんなことになるなんて思ってもみなかっ
たよなあ」

「うん。なんか不思議ー」

しゃらが入学して一か月もしないうちに、僕らは出会って、
友達になった。
それを確かめて安心したかのように、お祖母さんは逝った。
通夜の時に駆けつけたみんなで長く辛い一夜を過ごしたこと
を、僕は今でも鮮明に思い出せる。

みんなの助力でしゃらの家が立ち直ったのは、みんなが望ん
でいた明るい未来。僕は、それが実現して本当に嬉しい。
でも、今も未来も刻々と変わっていく。

あの時来てくれた友達のうち、しきねは学校を辞め、てんく
は僕らから離れた。
そんな風に、時には僕らの望まない結末を撒き散らしながら。
それでも時は過ぎる。過ぎていく。
全てを思い出に変えながら。

思いにふけっていた僕らを現実に連れ戻すように、リドルの
ドアチャイムが鳴った。

ちりりん!

「お、兄貴が来た」

かっちんがひょいと手を挙げた。
それを見て、もっくんが首にかけたタオルで顔の汗を拭いな
がら、僕らの方に近付いてきた。

「みんな、お疲れさーん」

「元広さん、お手伝いありがとうございますー」

しゃらが立ち上がって、深くお辞儀した。

「いやいや、お互い様さ。兄貴ンとこがもうすぐ生まれるか
ら、僕らも手伝ってもらうことがあるかもしれないしね」

「そうですよね。あと一か月切ったんだなー」

「あっという間だ。僕みたいに家を離れてると余計にね」

そっか……。

「元広さんは、大学には慣れたんですか?」

僕らがたかっていた席の近くにぽんと腰を下ろしたもっくん
が、アイスコーヒーを頼んでから僕の質問に素っ気無く答え
た。

「僕はどこにでもすぐ慣れるよ」

さもありなん。

「それよか、文ちゃんはどうなのさ」

もっくんが、恩納先輩にひょいと声をかけた。

お? 文ちゃんと来たかー。
もっくんは、店先で先輩をよーくいじってたからなあ。
当然先輩は、またもっくんにいじられるんじゃないかと微妙
に警戒してる。

「んー、女子大ですからー。刺激がないですー」

「ほ、ほー。シゲキがないとな」

にやり。もっくんが意味ありげに笑った、

む。やるぞ。やらかすぞ。
もっくんがあんな風に笑った時は、必ず何かやらかす。

「じゃあ、僕が女装して潜入しようかな。あたしぃ、恩納文
香のアネですぅー」

「止めてくださーい!」

泣きそうな顔で先輩が抗議した。
もっくんなら本当にやりかねんと思ったんだろう。

うん。やりかねん。

「元広さんの行ってるとこは、男女比はどうなんですか?」

まだまだいじられそうだった先輩に、助け舟を出す。

「七三かなあ。女の子の方が多い」

「えー? 天国じゃないですかー」

「僕らが選べればね」

「へ?」

「うちの大学は弱小だから、女の子はみんな合コンで有名私
大の男の子を落としに行っちゃう。うちの男子生徒なんか問
題外だよ」

げー……。

「じゃあ、元広さんはがんばらないと」

「めんどくさ」

これだよ。

しゃらが、別方面から切り込んだ。

「居酒屋バイトはまだされてるんですかー?」

「してるよー。店は変えたけどね」

「そっかー」

「師匠が定演やってる寄席飲み屋があって、そこでバイトし
ながら前座をさせてもらってる」

おおおっ!
みんなが、ぐぐっと身を乗り出した。

「うわ、すごおい!」

「すげえ! もうステージに出させてもらえるんですか!」

「ノーギャラだけどね。勉強だー」

「そっかあ……」

 



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三年生編 第49話(4) [小説]

林さんは、取り壊しの現場は見たくないだろうと思ったんだ
けど、逆だった。

もう、そこに自分の跡が残らないこと。
それを自分の目で確認して、気持ちにけりを付けたい。
林さんはきっとそう考えたんだろう。

しゃらのお父さんと林さんのご家族との間で書類上の手続き
を済ませたあと、居合わせた人たちに林さんが挨拶をした。

「ずいぶん長いことここで世話になりました。これからは、
わしの分まで洋ちゃんとかんちゃんががんばってくれる。わ
しも新しい店で髪ぃ切ってもらうのを楽しみにしてます。み
なさん、どうかわしの分までごひいきに」

しゃらのお父さんとかんちゃんもその横に並んで、林さんと
一緒に深々と頭を下げた。
血の繋がりのない、でも三代続いた理髪の血が。
今……しっかりと受け継がれた。

みんなで古い店舗に黙祷を捧げ、それから林さんの手によっ
て入り口のたたきに日本酒がふるまわれた。

「長い間、ごくろうさん……」

お浄めのあと。
集まってくれた商店街の人たちと馴染みのお客さんが帰っ
て、店舗の前はひっそりと寂しくなった。
それを待っていたかのように、取り壊し業者の人たちが重機
を持って来て店舗の解体を始めた。

つい先日まで大勢のお客さんで賑わっていた店舗は、なんの
文句を言うこともなく、見る見るうちにただのがれきへと変
化していった。
さっき大泣きした林さんはもう心の整理が付いたみたいで、
むしろ僕の方が泣きそうだった。

「あっけないもんだね」

「う……はい」

「でもな。ものはあっさり壊れるが、心は残るんさ」

「そうですね」

「いい意味でも、悪い意味でもな」

林さんが苦笑した。

「こんなじじいになっても、なかなか悟れんなあ」

ふうっと溜息をついた林さんは、二階部分がなくなって見通
せるようになった店の裏側を指差した。

「あそこにな」

「はい」

「店ぇ建てた時に、木を一本植えたんさ」

「へー! 狭いのに、大丈夫だったんですか?」

「まあな。無理は承知でな」

「何を植えられたんですか?」

「沙羅(しゃら)だ」

「えっ!?」

びっくり仰天!

「うっそお!?」

「はははっ! 沙羅はふゆのさんが好きだって言ってた花な
んだよ」

「あ!」

「女々しいと言えばそれまでだけどな」

林さんが、ばりばりと白髪頭をかき回す。

「でも、日当たりが悪すぎて、あっという間に枯れた。ばち
が当たったわ」

わっはっは!
からっと笑った林さんが目を細め、ぱたぱた走り回っている
しゃらをじっと見つめた。

「沙良ちゃんは、ふゆのさんそっくりになってきた。いい女
になるぞ」

ううー。

「心は。想いってのは、その木が育っても枯れても残るんだ
よ。厄介なもんだ」

ばしん!
林さんに尻を思いっきり叩かれた。

「だから、きちんと世話するようにな。絶対に枯らすんじゃ
ないぞ!」

「はあい」

林さんには、僕としゃらの付き合いのいっちゃん最初を見ら
れてる。立会人みたいなものなんだよね。
だから、これからのことが気になるんだろうなあ。

それにしても。
しゃらの名前って、もしかしてご両親じゃなくてお祖母さん
の意向で付けられたんじゃないだろうか。

んー。
でも、字も読み方も微妙に違うし。
どうなんだろ?

まあ、それを聞くのは先の楽しみで取っておこう。

「いっき! ぼけっとしてないで、倉庫の方の整理手伝って
よ!」

ぶうっとむくれたしゃらがすっ飛んできて、僕は慌てて工事
現場を離れた。

「悪い、悪い、じゃあ、林さん、失礼しますー」

「はっはっは! もう尻に敷かれてるなあ」

「ひーん」

 


三年生編 第49話(3) [小説]

ゆっくり感傷に浸っている暇はない。
なっつの家の作業場を借りてみんなで昼ごはんを食べ、次は
林さんから借りていた店舗の方の片付けだ。

店舗部分の片付けと掃除はもうしゃらのお父さんとかんちゃ
んとで済ませてあるから、僕らが受け持つのはかんちゃんが
暮らしてた住居部分の方。

かんちゃんが自分で言ってたみたいに、服役していた時に私
物がほとんどなかったかんちゃんの荷物は極端に少ない。
前に住んでいた家から今のアパートに引っ越す時に、ほとん
どの家具や荷物を捨ててきた中沢先生も、女性にしては恐ろ
しいくらいに荷物が少ないと思う。

家電系は二人で重複してた分がなくなるから、荷物はもっと
少なくなる。
荷出しと荷運びはあっという間だった。

軽トラ一往復で済むなんざ、夜逃げみたいだな。
かんちゃんは、しゃらのお父さんのツッコミに苦笑していた。

一軒家に運び込んだかんちゃんと中沢先生の荷物は後でゆっ
くり整理するから、とりあえず林さんのお宅の掃除を。
僕らはかんちゃんが住んでいた住居部分に上がり、そこをき
れいに掃除した。

どうせ取り壊してしまう古い家。
掃除なんかしなくてもいいって割り切ってしまうのも、本当
はありなんだろう。

でもそこは、林さんからしゃらの一家に贈られた暖かい気持
ちがいっぱいこもった場所。
崩れそうなしゃらの家庭をお祖母さんの家が支えたように、
しゃらのお父さんのプライドとかんちゃんの更生を支えたの
は、間違いなく林さんの家だった。

僕らは、感謝の気持ちを込めて家の中を隅々までぴかぴかに
磨き上げた。

自分が長い間働いていた店の最後を見に来た林さんは、目に
うっすらと涙を浮かべて、がらんどうになってしまった家を
見回していた。

うん。

林さんにとっても、この家と店は亡くなった奥さんと二人で
人生の大半を過ごしてきた掛け替えのない場所。
本当に本当に、大切な場所。

それが……なくなってしまう。

でも、林さんが心から望んでいたように。
坂口の商店街で長く理髪のねじねじを回してきたことは、形
を変えてしゃらのお父さんに、そしてかんちゃんへと引き継
がれる。
跡地に新しく建てられる店は、林さんの夢も乗せて再び輝き
始めるだろう。

僕の顔を見つけた林さんが、皺だらけの手で目尻の涙を拭い
ながら近寄ってきた。

「よう。工藤さん」

「林さん、お久しぶりですー」

「年を取るとダメだね。どうしても涙もろくなるよ」

「……」

振り返って、空になった店舗をぐるっと見回した林さんは、
昔を懐かしんだ。

「この店ぇ建てたのは、わしが結婚した時さ。ばあさんと二
人で、これから身を粉にしてがんばるぞって誓い合ってな」

「すごいですね……」

「でもそれは、わしがどうしても区切りぃ付けたいってのも
あったんさ」

「え? 区切りですか?」

「そう。わしは……加奈子さんの母親、ふゆのさんを好いて
たんだよ」

あっ!
知らな……かった。

「もう結婚が決まってたふゆのさんに横恋慕することは出来
ん。でも、好きになった女がいつも自分の目と鼻の先に住ん
でいて……」

「……」

「わしは……辛くて気が狂いそうだったんだよ」

「そうだったんですか……」

「見合いでばあさんと結婚することを決めて、自分の店ぇ建
てて。わしは、仕事に打ち込むことでふゆのさんのことを忘
れることにしたんさ」

僕も、振り返って古ぼけた店をもう一度ぐるっと見回した。

「それでもな……」

林さんがゆっくりとお店を指差す。

「なかなか……全部は消えん。消せん」

ぐすっ。
鼻を鳴らした林さんが、ゆっくりと目を擦った。

「因果なものだよ。ふゆのさんも婆さんも、もう逝った。わ
しだけが残された」

「……」

「だからわしの隠し事も、そろそろあっちに持っていけ。そ
ういうことなんだろ」

林さんが自分に言い聞かせるように呟く。

「わしは、後悔はしてないよ。洋ちゃんやかんちゃんの旅立
ちが、わしの気持ちの旅立ちにもなる。それで」

堪え切れなくなったように、林さんが両手で顔を覆って号泣
した。

「それで……それで……いいさ」

林さんの常連客だったおじいさんたちが次々に近寄ってき
て、泣き崩れた林さんを慰めた。

それを見て……。
僕は心の底から思ったんだ。

森本先生が言ってたみたいに、人間は業から逃れられない。
でも、欠点や弱みがあるから人は人として生きていける。
なんとかしようって、がんばっていける。

ああ、人って……人っていいなあって。

 

 



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三年生編 第49話(2) [小説]

二階の大物は、仏壇とばらしたタンスくらいなもので、あと
は全部ダンボール箱。
大物を出した後に、先にしゃらの部屋の段ボール箱を女性軍
に運んでもらい、残りを男性軍がリレー式に搬出する。

トラックへの積み込みはタカが担当し、僕、かっちん、元広
さんが積み上げられていた段ボール箱をがんがん運び出す。
二階が空になるのは、あっという間だった。

「二階のは、しゃらの荷物以外は普段使わないものばっかだ
から、とりま田部さんちの倉庫に入れといてくれとよ」

「うーす!」

仮住まいのアパートは、この家よりもずっと狭くて収納も少
ない。
全部は運び込めないから、すぐ開ける必要のないものはしゃ
らの家で確保した貸倉庫に積んでおく。
空き店舗が少しずつ目立つようになってきた商店街も、その
分スペースがあちこちにあって、こういう時には役に立つ。

それがいいことだとは思わねえけどな。
こぼしたかっちんは、商店街の古ぼけたアーケードを物憂げ
に見上げた。

うん……そうだね。

二階の荷出しがあっと言う間に終わって、男性陣と入れ替わ
りに女性陣が掃除の体勢に入った。
伯母さんのところで毎日掃除をしてる恩納先輩やりんは、実
生、なっつ、あっきーを上手に指揮して手際よく掃除を進め
ていく。
まあ、めんつが全員しゃきしゃき系だからなあ。

二階の荷出しから一時間もしないうちに、恩納先輩の完了の
声が響いた。

その間、男性陣は一階の荷出し。
二階と違って、一階は電化製品や大物が多い。
箱物が少ない分手間がかかるし、慎重さも要る。
そこは、これまで引っ越し慣れしてる僕がいろいろ仕切った。

やっぱ、タカは馬力があるから能率が全然違う。
僕らなら四人がかりのを一人で運んじゃうからね。
さすがだー。

家具も、大物はアパートに運ばない。
食器棚やカップボード、ソファーなんかは全部倉庫に入れちゃ
うから、アパートに運ぶのは電化製品くらい。
仮暮らしの三か月で、自分たちのライフスタイルを見直して
コンパクトにしようっていう意図があるんだって。

堅実なしゃらんちらしい。

荷出しが完了したら後は掃除。ここからは男女共同部隊だ。
男性陣が外回り中心で、庭と壁や窓。
女性陣が台所とリビング、バス、トイレ。
古いから汚くても仕方ないなんて、そんなこと言わせない!
気合い十分で、隅から隅までぴかぴかに磨き上げた。

家の周りにたかっていた人たちは、僕らがせっせと作業する
のを興味深そうに見守っているだけ。
手伝いの人じゃないのかあ……。
もっとも、今以上に人がいたら芋洗いになって収拾がつかな
いけどね。

11時には荷出しと清掃が終わって、きれいだけどがらんど
うの寂しい家になった。

アパートに行っていたしゃらのご両親が戻ってきて、引き渡
し先の不動産屋さんが来るのを待つ。

ぱぱっ。
クラクションが鳴って、作業を見守っていた人たちの塊が割
れた。

「お、多村さんが来たな」

社名の入った白い軽自動車が家の前に止まって、中から若い
社員さんが書類の入ったカバンを抱えて降りてきた。

「すみません、御園さん。お待たせしました」

「いや、ちょうど荷出しと掃除が済んだところです」

「では、点検させていただきますね」

「どうぞ」

社員さんを連れて空になった家に入っていった社員さんとお
父さんは、十分もしないうちに戻ってきた。
二人とも機嫌はいい。

「いやあ、本当にきれいにお使いだったんですね。これなら、
建て直しじゃなくて、リフォームだけで行けるかもしれませ
ん」

「はっはっは。その方が、死んだばあさんも喜んでくれると
思います」

「ええ」

みんなの前で鍵と書類を社員さんに渡したお父さんは、隣に
呼んだお母さんとしゃらと並んで、空の家を見上げた。
それから……。

両手を合わせ、目を瞑り、俯いてじっと黙祷した。
それが合図だったかのように、家の周りにいっぱいいた人た
ちも同じ姿勢で黙祷を捧げた。

ああ、そうか。
集まっていたのは……しゃらのお祖母さんとお付き合いのあっ
た人たちだったんだ。
お祖母さんとの、本当のお別れ。そのために、みんな集まっ
てくれたんだ。

新しいお店、それに併設されるしゃらたちの家にも、お祖母
さんの仏壇は置かれる。
でも、しゃらたちが辛かった時にお祖母さんと一緒に守って
くれたこの家は……もう無くなってしまう。

お祖母さんが、それを悲しまないように。
この家の分まで、新しい家を明るく楽しくするよって。
祈りには、そういう願いと決意が込められているんだろう。

しゃらのご両親としゃらは……じっと黙祷を続けた。
お母さんの肩が小さく揺れている。泣いてるんだろう。

しゃらのお母さんにとっては、自分の子供の頃からの思い出
が詰まった大事な家。でも、それを手放さないと次には進め
ない。
悲しいけど……その悲しさ以上のものを追わないと、悲しさ
を乗り越えられない。

ハンカチで何度も目を押さえ、嗚咽を堪えながら。
お母さんは、ゆっくり家に背を向けた。

同じように目を赤くしたお父さんが、集まってくれた人たち
に挨拶をする。

「長いこと。ばあさんともどもここで世話になりました。で
も、新しい店での付き合いは、ここよりもっともっと長くし
たい。みなさん、これからも……ばあさんの分までどうかご
ひいきに」

すっと頭を下げた三人に向かって、大きな拍手が鳴り響いた。

ぱちぱちぱちぱちぱちっ!