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てぃくる 214 水のない海 [てぃくる]



tanet.jpg



水のない海

かすかに渡る風で何かがさざめく


波もない

潮の満ち干もない

魚もいない

船も浮かべない

それでもそこは




あなたは海の前に立つ

そして

溜息をつく

わたしの海はどこに行ったのだろうと


ああ

それは

いつもあなたの足元にある

ただ

水がないだけさ



tane.jpg



タネツケバナの小花が、耕起前の田を一面埋め尽くしていました。
それは海。

水のない……海。





  春の海 入りて冷たきことを知る







Sea Of Tranquility  by Barclay James Harvest

 


てぃくる 213 融けて凝る [てぃくる]


 春は忙しい季節だ。冬の間中遅滞なく支度を整えてきた筈
だが、そんなことは何の役にも立たない。

 用心深く身を潜めていたのに、せっかちな陽光に羽化を促
され、慌てて外套を脱ぎ捨てた。それでも間に合わず、心を
開く前に身がとろけてゆく。






khz1.jpg




 これはしたり。いっぱいに伸ばした手足で、散らかりそう
になる己を慌ててかき集めようとした。

 だが、風はまだ冷たい。先までとろとろに、ぐずぐずにと
ろけていたはずの身はすぐに黒く凝り。

 私はそのままの姿勢で春を憂う。






khz2.jpg




もう散ってしまったカンヒザクラ
その記憶とともに。






  桜花の憶へすら散り果たし雨塞ぐ









Rain  秦基博

 

 


ちょっといっぷく その132 [付記]

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

春休み中に行われた春期講習をなんとかクリアして、いっき
だけじゃなく、ぽんいちの三年全体が少し受験生としての落
ち着きを取り戻し始めました。

もっとも、勉強の方はともかく、新年度早々の大騒動の後遺
症はあちこちに残っています。
その影がちらちら見え隠れしながらも、仕切り直ししようと
いうアクションが続きました。

いかがでしたでしょうか?


           −=*=−


第23話。

最初の会合では魂胆を見せなかった安楽校長が、手の内を明
かしましたね。
もちろん、いっきが魂胆をバラすことなんか最初から織り込
み済み。

安楽校長は冷徹です。
学生の地力を上げて、ぽんいちを立て直せというオーダーが
あって。でも、安楽校長はあくまでもピンチヒッターなんで
す。短い在任期間には下地しか作れません。

その下地の中には、綱紀粛正は入ってないんですよ。
学校がそっちに突っ込めば突っ込むほど、学生はやる気をな
くすんですから。学生の自衛意識を高めることでしか、実効
を得られないんです。

ハリネズミのようになってしまった学生に、その針を自分自
身に向けさせる。
安楽校長はそれしか出来ませんし、それで充分だと思ってい
ます。

でも、校長がそうしろと言ったら大事になります。
いっきは、まんまと校長のスポークスマンをやらされたって
ことになりますね。

もちろん、いっきがそうする義理は何もありません。
でも、いっきは早く受験に集中したい。
それに、沢渡校長との衝突で自分以外の生徒に迷惑をかけて
しまったという負い目があります。

ですから、学校対生徒という対立構造を作らないように議論
を整理し、学生としての制約をきちんと示した上で、でも学
校のイエスマンになっちゃダメだよと後輩たちに釘を刺しま
した。

面倒見がいい、いっきらしいですね。


第24話。
プロジェクトの新歓。

大人数になってしまったプロジェクトですが、顧問の中沢先
生も新部長の鈴ちゃんも、心機一転できびきびと新入部員を
仕切りました。

いっきは安心した反面、自分がプロジェクト推進役の位置に
いられないことに一抹の寂しさを覚えます。
そう。もういっきの耳には、高校卒業に向けたカウントダウ
ンが聞こえてくるようになってきたんですよね……。


第25話。
久しぶりの息抜きですね。

三年になってから、自分が抱え込んてしまった重石をリセッ
トする暇がなくて窒息寸前だったいっき。
菊田さんとリョウさんのフォローは、本当にありがたかった
でしょう。

そして、控えめな表現ではあるんですが、いっきがしゃらと
の未来をしっかり意識し始めます。

ステディとしての義理や義務じゃなく。
自分が本当に好きな女の子と、これからしっかり心を重ねて
一緒に歩いていきたい。
原点に戻って、しゃらの寝顔を見つめました。


           −=*=−


さて。
この後いくつかてぃくるを挟んでから、第26話から第28
話まで三話続けてお届けしてまいります。
いずれも小ネタなんですが、第26話だけはやや長め、重め
です。

それでも、話の筋回しに大きく関わる転換点が仕込んである
わけではないので、気軽に読んでいただければ。

続く第29話がアップに一か月近くかかる重要な話になるの
で、小ネタで息抜きをしておいてください。(^^)



ご意見、ご感想、お気づきの点などございましたら、気軽に
コメントしてくださいませ。

でわでわ。(^^)/




oyb.jpg
(オヤブジラミ)




冬の間は、枯葉にしか目が行かなかったのに。

春の足音が聞こえてきた途端に、緑に目が行く。

芽生えは冬にもあったし。

枯葉は春でも残っているのにね。

 

 


三年生編 第25話(9) [小説]

ぐんと胸を張って大きく深呼吸した菊田さんは、目を細めて
丘をぐるりと見回す。

「さっき、車の中やカフェテラスで私が話したこと」

「はい」

「ああいうのはね、私が話しなくても誰かが教えてくれる。
世の中ってのは、そうやっていろいろなことを教え合うこと
で成り立ってるからね」

「……」

「でもね」

ぐいっと太い腕を突き出した菊田さんが、丘を指差した。

「感動だけは教えられないんだよ」

あ……。

「リョウも、工藤さんも、御園さんも、みんな花を扱ってる。
でも、花がただのモノになった時点で、花にも工藤さんたち
にも意味がなくなるんだ」

「ですよね……」

「そして、それだけは私らが外から変えられないんだよ」

「……」

「この素晴らしい光景を見ても、つまらんと思う人は必ずい
る。そして私らは、それにだけは反論することも、素晴らし
さを教えることも出来ないの」

「そうか。確かにそうですね」

「だからこそ!」

菊田さんがどしんと足元を踏み付けた。

「だからこそ、何も考えずに全身で感じ取るっていうチャン
スはいっぱいあった方がいいと思うんだよね」

うん。
それで……か。

「菊田さんは、ここには何度も来られてるんですか?」

「これが五回目かな」

「わ!」

「うちは主人が自由に外出出来ないし、私も仕事が忙しいか
ら、娘にはしっかりかまってあげられない。やっぱりフラス
トレーションが溜まると思うよ。だけどここに来ると、そう
いうのが全部ぱあっと吹っ飛ぶんだ」

「お互いにね」

「あの……ご主人は、この風景は……」

「ほとんど見えない。でも、ここの空気は分かるの。開放的
で果てがなくて。潮風とふわりと漂う草の匂い。吹き渡る風
の音。そういうのが、普段部屋に閉じ込められている主人の
五感を解き放っていく」

「そうかあ」

「普段の生活で私たちが抱えている不自由さや不満感。それ
をここでぜーんぶ空っぽにして帰れるの」

ぐいっと両腕を広げ、大きく何度か深呼吸した菊田さんは、
丘を駆け回りながら思い思いに楽しんでいる女性陣、中でも
童心に返ったみたいに大はしゃぎで暴れ回っているリョウさ
んを見て目を細めた。

「リョウも、こんなすごい場所があるんだってことだけ覚え
て帰ってくれりゃいい」

うん。

「あんまり自分を追い詰めてがちがちに生きようとすると、
最後に息が詰まっちまうんだよ。それじゃあ、せっかくの努
力が全部無駄になるからね」

ふう……。
今の菊田さんの言葉で、僕も自分の中のヘドロがどばっと流
れ出したような気がした。

こんなに素晴らしいところに来てるのに、どこかそれを楽し
みきれない僕がいた。
ものっすごい感動なのに、それがどんどん目減りしていって
しまう。

三年になってから、自分の限界近くまでがりがりに神経を尖
らせて過ごして来たこと。
それが……すっごいしんどかった。

僕はもうそんなことには耐えられるはず。
それだけ強くなったはず。
自分に必死に言い聞かせて。

でも、どこかで悲鳴を上げてた。

僕は……強くなった自分を必死にプロデュースしていたんだ
ろう。
だから重圧が少し緩んだ時に、休息して自分を空にしたくな
る。

でも、空にするだけじゃだめだったんだ。
空になっただけなら、そこにはまた『そうなりたくない自分』
が流れ込んでしまうのだから。

空にした心。
そこに明日もがんばろうと思えるお弁当を詰めておく。

そんな、ご大層なことじゃなくていい。
楽しい。
嬉しい。
きれい。
すげえ。
なんでもいい。

心がぶるぶる震えるくらい、涙が出てしまうくらい、いいな
あ、すごいなあと思える感情、感動。
それをいっぱい詰め込んで、持って返ればいい。

「んんんーーっ!! っふう……」

何度も大きく深呼吸して。
もう一度、ぐるりと青い丘を見回す。

母さんも、父さんの腕を引っ張りながらあちこちで写真を撮
り、撮ってもらい……。
うん、しっかり楽しんでる。

僕も、しゃらたちのじゃれ回ってるところに参戦しよう。
じいさんみたいにぼけっと突っ立てるだけじゃ、もったいな
いじゃん!

「行ってきまーす!」

「あいよ」


           −=*=−


全力で遊び回った女性陣は、リョウさんも含めて全員車中で
沈没した。
菊田さんは、そういう事態にもちゃんと備えていたってこと
なんだろう。
リョウさんに、あんたの車なんだから最後まで責任持ちなさ
いなんて無粋なことは言わなかった。

ともすれば崩れそうになる自分を、走りながら必死に組み立
ようとしているリョウさんとあっきー。
その頑張りは、ちゃんと周りに見える。
だから、みんなから支えてもらえる。

それでも。それでも、なお。
しゃにむに頑張り続けることは、どこかで無理を生んでしま
うんだろう。

だから。
自分の抱えている弱さ、しんどさを丸投げ出来てしまうくら
い楽しい時間。感動出来る瞬間。
それが……どうしても必要なんだと思う。

僕は、肩に頭をもたれかけさせて幸せそうに寝ているしゃら
の肩を抱いて、あの夢のような青の世界を思い浮かべていた。
また行きたいなあ、と。

そして、今度は。

二人で……行きたいなあ……と。




nemoph.jpg
今日の花:ネモフィラNemophila spp.)

 


三年生編 第25話(8) [小説]

「パスポートでも作るか?」

父さんの投げ掛けに、母さんが考え込んだ。

「うーん……海外旅行するカネもないのにパスポートっての
もなんだかなあ」

どっ!
みんなで大笑い。

その後で菊田さんから母さんに、耳寄りなアドバイスがあっ
た。

「お母さん、やすーくはやーく運転免許をゲットする方法が
あるんですけど、ご存知ですか?」

「え!?」

速攻で母さんが飛び付いた。

「そんな方法があるんですかっ?」

「ふふふ。原動機付自転車。いわゆる原ちゃりの免許は、そ
の日のうちに取れるんです。実技試験もないしね」

あああっ!
僕ら全員納得!

「なるほどなー」

「知らんかったー」

「それもちゃんと免許証かー」

菊田さんは、実生を指差して話を続けた。

「娘さんも、16歳を過ぎたら免許が取れますよ。学校で禁
止しているところがあるから、それは調べないとならないけ
どね」

「わ!」

実生が取れるってことは、僕やしゃらも大丈夫ってことだ。
なるほどなー……。
後で、校則をしっかり調べておかなきゃ。

菊田さんは、にこにこしながら話を締めた。

「実際に原ちゃりに乗るかどうかはともかく、身分証明に使
うならそれで充分ですよ」

さっきの僕らへの話は人ごとだと思っていた母さんも、これ
ならって思ったんだろう。
手帳を出して、さっきの話を書き留めてた。

「さあ! 行きますか!」


           −=*=−


一時ちょっと過ぎ。
ひたち海浜公園に到着。

僕ら以外にもたくさんの観光客が来ていて、駐車場はすっご
い込み合ってた。

でも、空は快晴。
海も穏やかに凪いでいて、きれいな色だ。

青。
青。
青の世界だー!

「駐車場から見晴らしの丘までは、結構歩かないといけない
みたいだけど」

って、リョウさんがパンフ見て止める間もなく。

「いやっほーーーいっ!」

奇声を上げて、あっきーが全力で見晴らしの丘に向かって駆
け出していった。
僕もしゃらも実生も、ちんたら歩くのはもったいないって感
じで、同じように走ってあっきーの後を追った。

木立の脇の遊歩道を駆け抜けたら、青一色の丘が見えて来る。
その中に突っ込んでいったあっきーが、でかい声で叫んだ。

「うわあっ! すっげーーーーっ!!」

どれどれ。
うわあっ!

「す、すっごおーーいっ!」

「きれーっ!」

こ、声が……出ない。
しゃらが言ってたみたいに、夢の世界だ。
とても、この世の景色とは思えない。

広い広い丘が一面青い花で埋まってる。
空の青より濃く。
海の青より淡く。
でも、その二つを境目なく繋ぐみたいに。

青。
青。
どこまでも続く青の世界。

う……わあ……。

まるで、自分の中身が青の中に吸い取られていくみたいに。
僕は……しばらく呆然と立ち尽くしていた。

「ふう……さすがにもう若い人たちみたいなわけには行かな
いね」

菊田さんが息を弾ませながら、ゆっくりと丘を上がってきた。

「なあに言ってるんですかー。菊田さんだって、まだまだ若
いですよ」

「はっはっはっ! いやあ、すっかりオバさんさ」

「それより……」

「ん?」

「すごい……ですね」

僕は、青の世界をぐるっと見回しながら溜息をついた。

「カメラも出したんですけど……なんかどんな風に撮っても
ここは残せない、切り取れないような気がして」

「うん。そうなんだよ」

 


三年生編 第25話(7) [小説]

あっきーが聞き返した。

「健康保険証は、どうなんですか?」

「機関によっては信用してくれるところもあるけど、顔写真
が入ってないの。他人が持ち込んでも区別出来ないでしょ?」

「あ……そうかあ」

「もちろん、簡単に偽造出来ちゃうどっかのお店の会員証と
かは論外」

父さんが、菊田さんの言葉を継いだ。

「そうなんだよ。それ以外だと、パスポートくらいしかない
んだ」

あ、パスポートっていう手があるのか。

「でも、海外旅行でもないのに、いつもパスポートを持って
歩くわけにはいかないだろ? 紛失した時の損害も大きいし
な」

「ええ。そういうことでね。警察が発行してくれる運転免許
証っていうのは、取得するのにお金と時間がかかるけど、身
分証明書としての信頼度が抜群なの」

みんな、納得。

「もちろん、車を運転する時には運転免許証は必須。自家用
車がなくても、レンタカーを借りたり人の車を預かって運転
したりする時は免許がないとどうにもならない」

「はい」

「そしてね。免許があると、有事に使える移動手段が増える
の。それも大きな理由ね」

「どういうことですか?」

「これも女性絡みね。結婚して子供が出来たとする。子供の
幼稚園や保育園の送り迎え。それには、必ずしも車は必須じゃ
ないけど、車での送迎が可能なところだと施設の選択エリア
がうんと広がるの」

ぽん!
あっきーが手を打った。

「なるほどー!」

「でしょ? こどもが熱を出した。すぐ迎えに来てくれ。そ
ういう連絡が入った時に、車で送迎できればすっごい楽」

「逆に自宅から遠い園だと、タクシー使えばお金かかるし、
バスや電車じゃ運行時間が決まってるから小回りが利かない。
だから、徒歩や自転車で行ける範囲の自宅にうんと近い園し
か選択肢がなくなっちゃう」

「なるほどー。菊田さんの娘さんの時にも、そういうのがあっ
たんですか?」

「あったよー。しかも、うちは主人が目が悪くて免許を取れ
ないからね。私がやらないとなんないから」

菊田さんは、三つ目の指を折った。

「そしてね、何より就職に有利なの。有利っていうより、必
須って言ってもいいかもしれない」

学生陣が、みんな身を乗り出した。

「どうしてですか?」

「営業や配送、顧客や業者さんの送迎。そういう会社に付き
物の業務には、車の運転が欠かせないからなの」

ばっちり納得。
そうかあ……。

「求人誌とか見てごらん。要普免て書いてある求人がものす
ごく多いから」

「ですね」

「リョウがこのままうちで働き続けるにせよ、転職するにせ
よ、普免があるのとないのとじゃ仕事の選択肢がものすごく
違っちゃう。社の求めるハードルをクリア出来た方が、いい
条件で働けるからね」

菊田さんの話で、みんな俄然運転免許を取ろうって言う気持
ちになってきたみたいだ。

僕らの話を、複雑な表情で母さんがじっと聞いてた。

「なるほどねえ……。菊田さんの話をもっと早く聞いときゃ
よかったなー」

「母さんは、困ったことあるの?」

「あんたがたの園への送り迎えで困ったことはないけどね。
田舎ばっかだったから」

「うん」

「でも、身分証明は確かにしんどいわ」

「ふうん……」

「銀行で口座一つ作るだけなのに、運転免許証お持ちですかっ
て聞かれるから」

げー……。

「母さんの若い頃はどうしてたの?」

「ふむ」

母さんはちょっと上目がちになって、昔を思い出すモード。

「父さんと結婚するまでは、外国人登録証が身分証明書代わ
りだったの」

「あら! 日本の方じゃなかったんですか?」

菊田さんが、大仰に驚いた。

「日本人の血は半分もらってますけどね。父がわたしを認知
しなかったので」

「……」

「私は父親不詳のスペイン人の私生児。国籍はスペインだっ
たんです」

「あの……今は?」

「主人と結婚した時に日本に帰化しました。母が亡くなって
いるので、もうスペインには帰れる場所がないんですよ」

からからっと母さんが笑った。

「まあ、日本に来たのが六歳の時。そこからずーっと日本語
ばかりでしたし、学校も日本の普通校でしょ? 帰化ってい
うより、間違いなく日本人ですよ」

「なるほどねえ……」

「帰化するまでは外国人登録証で身分証明が出来たから、あ
まり困ったことはなかったんですけど。結婚して帰化した途
端にいろいろめんどくさくなっちゃってねえ」

母さんが苦笑いした。

 



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三年生編 第25話(6) [小説]

友部のサービスエリアで、ランチを兼ねて休憩を取った。

始めてのロングドライブで、リョウさんも少しくたびれた感
じだったけど、運転を代わろうかっていう菊田さんの提案は
退けた。

「もうちょいだし、最後までがんばります」

「ははは。確かにね」

八人でわいわい言いながらご飯を食べてる最中、父さんにふ
と聞かれた。

「なあ、いつき。おまえ運転免許は取るのか?」

「取りたいけど、大学入ってからだね」

「ふむ。どこの大学行くかによるけど、進学先が都内だった
ら入学前に合宿とかで取っておいた方がいいぞ」

「え? どして?」

菊田さんが、くすっと笑った。

「そうね。私もそう思います」

ちょっと考え込んでたリョウさんが、ぽんと手を打った。

「そっか! 街中だと、路上が大変なんですね?」

「そう」

菊田さんが丸顔をほころばせた。

「残念だけど、街中は交通量が多い上に違反駐車や迷惑運転
の車がてんこ盛りでね。路上講習がしんどいの」

うわ。路上講習かあ。

「交通量が少ない郡部で免許取った方が、ずーっと楽なのよ」

「なるほどー」

菊田さんは、今度はしゃらに振った。

「御園さんは、免許取る気ないの?」

「ううー、どうしよっかなー。わたし、とろいし」

「取れるなら取っておいた方がいいよ」

「どうしてですかー?」

「メリットがいろいろあるからね」

菊田さんは、一つ二つと指を折りながら言った。

「まず、一生ものの資格だってことね。更新を怠らない限り、
車を持っていてもいなくても有効」

うん。

「それはね、すっごい生活の役に立つの。そのためだけに免
許を取る人もいるくらい」

「え? ど、どういうこと……」

「御園さん、普段学生証を持ち歩いてる?」

「はい!」

しゃらがバッグからパスケースを出して、それを菊田さんに
見せた。
ぽんいちでは、学生証は外出時に常に携行しなさいって校則
になってる。
そして、街中で先生や補導員に学生証見せなさいって言われ
た時に持ってないと、それだけで停学だ。

僕も、あっきーも、実生も、学生証をさっと出した。

「さすが、みんな持ってるのね?」

「校則が厳しくなったので」

「そっか。リョウも社員証があるでしょ?」

「あります」

リョウさんも、財布から写真入りの社員証を出した。
菊田さんは学生証や社員証を見回して、それに向かって空中
でばってんを書いた。

「でもそれはね、みんなが学校を卒業したり、リョウが社を
辞めると無効になるの」

!!!

「なるほど! そうだー」

「男性は多くの人がどこかの組織の一員として働くけど、女
性は必ずしもそうじゃないよね? まだ専業主婦の人も多い
し」

「うー、そうかあ……」

女性陣が腕組みをして考え込む。

「そうするとね、自分の身分を証明出来るものが何もなくな
るの」

「……」

みんなして、顔を見合わせちゃった。

「顔写真が入ってて、公的機関が居住地とともに身分を証明
してくれるもの。それって、ほとんどないんだよね」

リョウさんが、うんうん言いながら考え込んでたけど。

「だめだあ……確かに運転免許証以外だと思いつかないです」

「でしょ?」

 


三年生編 第25話(5) [小説]

「私はバイクに乗ってたけど、車の方がいろいろと勉強にな
るんだよね」

「えと、どういうことすか?」

「車だと、今日みたいに同乗者がいることがあるでしょ?」

「はい」

「バイクでもタンデムは出来るけど、基本は一人だよ。乗っ
てる私が自分自身をコントロールすればいい。もしこけてく
たばっても、私一人さ」

「なるほど」

「でも、同乗者がいれば運転手の責任は自分だけじゃ済まな
い。そういう覚悟がいるの」

そうか……。

「だからこそ、きちんと車を乗りこなすなら同乗者を乗せた
方がいい」

「人の命を運んでるんだぞってことですね?」

僕が聞いたら、菊田さんがうんうんと頷いた。

「そう。それとね……」

「はい」

「車に乗せる。車に乗る。どちらの立場も経験することで、
自分が逆の立場になった時のことが分かるようになるの」

「ええと、どういう……」

リョウさんが、ぴんと来なかったみたいで聞き返した。

「例えばね、すっごい疲れている時に車を運転しないとなら
ないとする」

「はい」

「その時には、運転手は車の操作だけで手一杯なの。同乗者
は、運転手の気を散らさないように気配りしないとならない」

「……」

「でも、車を運転したことがない人には、運転手の苦労がど
んなものかが分からない」

そういうことか!

「その逆もそうね。自分で運転してばかりで同乗者になる機
会が少ない人は、目線が運転手目線になる。横柄になるの。
乗せてやってんだからってね。謙虚さがなくなる」

「車っていうのは一種の共有空間だから、家やオフィスと同
じで、人がいればその人と時間と場所を共にしないとならな
い。お互いに楽しく快適に過ごすことをきちんと意識する必
要があるの」

「なるほど……」

「それだけじゃない。車の場合は、共有空間にいる人の安全
も確保しなければならない。まさに自己管理の勉強の場よ」

すごいなあ。
そんなこと、まるっきり意識したことがなかった。

「リョウが気付いてたかどうか分からないけど、車のどこに
誰を乗せるか。それも大事なの」

「えー? 全然そんなの考えてなかったっす」

「こら」

めっと。
怒り顔をリョウさんに向けた菊田さんが、くるっと僕らの方
に振り返った。

「交通事故の場合、一番損傷の大きいところは前。運転席と
助手席なの」

「あ!」

リョウさんが、はっとしたように声を出した。

「つまり助手席に人を乗せるっていうことは、その人に覚悟
を求めるってことなの。私は安全運転に努めるけど、危ない
場所だからねって」

「知らん……かった」

「でしょ? だから、タクシーやハイヤーの運転手さんは、
助手席にお客さんを乗せたがらない」

あああっ!!

分かっちゃった。そうかあっ!
父さんが乗ったタクシーが事故った時も、父さんやお客さん
は後部座席だった。だから軽傷で済んだんだ。

もしあれが助手席だったら……。

ぞっとする。

「だから、リョウがお客さんや上司を車に乗せるなら、極力
助手席は避けて。それが礼儀なの」

「分かりました……。やべーやべー」

「逆にね」

菊田さんは、僕らを見て微笑んだ。

「もし工藤さんが免許を取って車を買い、御園さんを乗せる
としたら、後ろに乗せる?」

「そんなの、ありえないっす」

「でしょ? 助手席っていうのは、そういう特別なスペース
なの。ただの座席なのに、後ろとは性格が全然違う。もっと
プライベート。もっと親密。もっと濃厚」

僕はしゃらと顔を見合わせる。

「助手席に乗る人は、運転手と一蓮托生よ。だから、運転手
が快適に車の操作が出来るよう気を配らないとならない。運
転手が必死こいて運転してる最中に、助手席でぐーぐー寝て
るなんて、ありえない」

そうか……。

菊田さんは、ちらっと車の後ろを見た。
父さんの車が車間距離を確保しながらも、ぴったり付いて来
てる。

助手席にいるのは、もちろん母さんだ。
そういや……家族で車で移動する時も、僕や実生が助手席に
乗ることはなかったな。そこは、ずっと母さんの定位置だっ
たんだ。

前を向いた菊田さんは、さらっと言った。

「人を乗せた鉄の塊が、時速百キロ近い高速で動いてる。そ
んな恐ろしい現象が、どこにでも溢れてる」

「……ですね」

「それを忘れないで、よーく覚えておいて。車を操る方も、
車に乗っている人も、その恐ろしい状況から生じうるリスク
を下げるように、常に気を配らないとならない」

菊田さんはぐいっと両手を突き上げて背中を伸ばすと、ぼそっ
と言葉を吐き出した。

「だから私は単車に乗ってたんだ。ハコは苦手だった。人に
気を遣うのが大嫌いだったからね」

「……」

 



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三年生編 第25話(4) [小説]

すごいなー。
菊田さんは、仕事のことだけじゃなくてこういう車とかのこ
とも詳しいのか。
そりゃそうだよな。若い頃は暴走族にいたんだし。

「ねえ、菊田さん」

「ん?」

菊田さんがくるっと振り返って僕を見た。

「なに?」

「リョウさんが運転免許取ったっていうのは、リョウさん自
身の希望ですか?」

「ははは! さすが工藤さん。鋭いね」

リョウさんが苦笑いしながら答えた。

「あたしはどっちかっていうと車は苦手なんだけどさー。菊
田さんに絶対免許取れって言われたの」

「え? どして、ですかー?」

しゃらが不思議そうに、話に首を突っ込んで来た。
菊田さんは平然と答える。

「仕事に必要だからだよ」

ガッテン。

「そうかー。軽四動かしたり……」

「そう。社員や取引先の人の送り迎えしたり、配送頼まれる
こともあるしね。私は出来ませんじゃ済まないの」

「うーん、そうかあ……」

しゃらが考え込んだ。

「うちの社の場合、運転免許の未取得社員には、社から助成
金を出して積極的に免許を取らせてるの」

「おー、すげー! じゃあ、リョウさんもそれを使ったって
ことですね?」

「そうなのー。だからまだ安月給のあたしでも、ローンを組
んで車が買えたん」

「でも、中古でなくて新車って、すごくありません?」

しゃらが感心してる。

「ああ、それも、リョウは最初軽の中古でいいって言ったの
を変えさせた」

え!?
僕もしゃらも絶句。

「中古だとね。どうせ中古だからいいやっていうだらしない
考えが出やすくなる。車を大事にしたり、ぶつけないように
周囲の安全を慎重に確認したりっていう意識が育ちにくいの」

ああ! それでかあ!
納得。

「それにね。新車だと、自分と一緒に車を育てるっていう感
覚になる。相手の変化にちゃんと気付ける」

「うわー、人間並みなんですねー」

しゃらが驚いてる。

「そうだよ。ただの鉄の塊なんかじゃない。みんな、それぞ
れに個性があるの」

かつてオートバイを乗り回していた菊田さんにとっては、車
は自分の相棒っていう意識が強いんだろうなあ。

用心深く車の流れを注視していた菊田さんは、誰に言うとも
なく呟いた。

「流れがいい時には、落とし穴がある……か」

「え? なんすか、それ?」

リョウさんが、ほける。

「すぐに分かるよ」

制限速度80キロのところをすっごいスピード出して、どん
どん追い抜いていく車。
それが一台、二台じゃないから、僕らはそんなに気にしてな
かったんだけど。

高速道路の路側に停められている車をひょいと指差して、菊
田さんがにやっと笑った。

「覆面にやられてる。今日は多いはずだよ」

「ふくめん?」

リョウさんがぎょっとする。

「あんたは絶対大丈夫さ。見事な遵法走行だ。でも、流れは
100近い」

うん。僕らはどんどん追い抜かれていた。

「100でも我慢出来ないやつは、車のリミットいっぱいま
でスピードを出すの。そこを覆面に付けられて記録されたら
いちころだよ」

「!!!」

リョウさんには分かったみたい。
僕らはまだ分からない。

「それ……って?」

「覆面パトカーね。見た目は普通の車だから、ぱっと見分か
んないんだ」

げー!
そんなのがいるんだあ。

「そうだね。工藤さんや御園さんも将来免許を取るかもしれ
ないし、聞いておいてもらおうかな」

お、菊田さんの講習が始まった。

「速度違反はね、あるレンジまでは反則金っていうのを払え
ば済む。もちろん違反点数が多いと、免許を停止されちゃう
けどね」

「免停、ですね」

「そう。でも反則金と言っても、そんな何十万ていう額じゃ
ないよ。ぜいぜい一、二万てとこ」

「へー……」

「だけどね、高速道路で40キロオーバーになっちゃうと、
今度は罰金になるの」

「高くなるんですか?」

「それもあるけど。扱いが犯罪者になっちゃうの。道路交通
法違反でね」

「あっ!!!」

「反則金は任意。払わなければ、もし裁判になってあなたに
前科が付いても知りませんよってだけなの。でも罰金は違う。
裁判所で罰金刑の判決を出されたら前科が付いちゃう。それ
は、履歴書を汚すことになる」

「うわ……」

「そういうリスクを常に負ってるってことを考えなければな
らないの。車に乗って、ぶっ飛ばしてすかっとする。それだ
けじゃ済まない」

「うす」

リョウさんが真剣な表情で頷いた。

 


三年生編 第25話(3) [小説]

そんな楽しそうな話に実生が乗らないはずがない。
巻き込まれた父さんには気の毒だけど、家族で出かけるのも
久しぶりだったしね。たまにはいいんちゃう?

リョウさんの車に、菊田さん、僕、しゃらが乗って。
父さんの車に実生、母さんとあっきーが乗った。

母さんが会長を誘いに行ったんだけど、お腹の子供のことが
気になる会長は遠慮したらしい。
その代わり、しばらくレジャーとは縁がなかったあっきーを、
楽しんでおいでって言って送り出したらしい。

確かに進くんのお世話とかがあって、あっきーはこっちに来
てから修学旅行以外どこにも遠出してない。
たまには気晴らしが要るよね。

実生にとっては、あっきーはお姉ちゃん二号だから特に気を
遣わなくても済むし、あっきーも気が楽だろう。

ぴきぴきに緊張してるリョウさんと違って、しゃらは超ご機
嫌だった。
鼻歌歌ってるよ。ふんふんふーんて。くす。

超ビギナーのリョウさんの横にいる割には、菊田さんにそん
なに緊張感はない。
さばけてるっていうか……。

車が首都高を抜けて常磐道に入ったところで、リョウさんが
ほっとしたらしい。
確かにあっちゃこっちゃにジャンクションがあって、ナビが
なかったら僕にも何がなんやら分からなかったから。
そういう分岐がない一本道に乗って、安心したんだろう。

でも、菊田さんは逆だった。
首都高では何も言わなかったけど、常磐道に入ったところで
リョウさんの尻を叩き出した。

「ほら、リョウ! ぼさっとしてないでアクセルをもっと踏
む!」

無敵のリョウさんも、慣れない運転と新車だってことで、おっ
かなびっくりの低速走行だった。
それを菊田さんがどやした。

「だ、だってえ……」

「だってもあさってもあるもんか。こういうロングドライブ
の時にしっかりエンジンを鍛えてやらんと、車がなまるよ?」

「え? そうなんすか?」

リョウさんには、それが意外だったみたいだ。

「そう。エンジンてのは、ある程度しっかり回してやらない
と実力とか癖とかが分からないんだ。最初におっかなびっく
りでちょろちょろしか回さないと、そのまま猫被っちまうこ
とがあるんだよ」

「ええー! 知らんかったー」

「最初の千キロ、二千キロは垢擦りさ。エンジンのケツを叩
いて、ほれこれからしっかり頑張れって気合いを入れてやら
んと」

「なるほどー」

「それにね」

菊田さんが、運転席の前にあるメーターを指差した。

「こういう小さい車は、エンジンが非力なんだ。しっかりア
クセル踏んで、回転で稼がないと駆動力が出ないの」

「むー」

「大人四人乗ってりゃ、ベタに踏んでも100以上でクルー
ズすんのはなかなかしんどいよ」

そうか。
時々速度計見てたけど、時速70キロ以上は出てなかった。
それは、リョウさんが安全運転でこわごわアクセルを踏んで
ただけでなくて、きっちりアクセル踏ん付けないとスピード
が出ない車だってこともあるんだろう。

意を決したように、リョウさんがえいっという掛け声ととも
にぐんとアクセルを踏んだけど。
うるさくなっったエンジンとは裏腹に、そんなにスピードは
上がらない。

「ほら」

「なるほどー……」

「特に馴らしのうちは馬力が出にくいんだ。今のうちにしっ
かり焼いて、一皮剥いておかないとね」

「よーく分かりましたー」

リョウさんは少しアクセルを戻して、さっきより少し早い時
速80キロで定速走行に入った。

「高速は楽だろ?」

「はい。最初緊張したんですけど、信号も交差点もないし、
車はすいすい流れてるし」

「慣れちまったら、高速の方がずっと楽だよ。ただね……」

「はい」

「その分、油断も出やすい。だから、私が同乗してるんだ」

「油断……すか?」

「そう。いかに楽ちんと言っても、一般道を30キロで走っ
てるのとはわけが違う」

「……」

「何台か前でトラブルがあって、回避のために急ブレーキか
けたってすぐには止まれない」

「玉突き……すね?」

「そう。スピードがスピードだからね。事故もらっちゃった
よ、はははー……じゃ済まないのさ」

「こ、こわ……」

「だろ? だから、危機予測の意識は高速の方が強くないと
だめ。信号も交差点もないってことで安心したらだめなんだ
よ」

「よーく分かりましたー」

 



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