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三年生編 第57話(6) [小説]

ぱちっ!
中沢先生が指を鳴らした。

「なるほど!」

「中沢姓は、これからいろいろ出て来ちゃうかもしれないん
ですよね?」

「ああ、さっきわたしが言った、両親の出所後のことね」

「はい。かんちゃんの方に完全に戸籍を移して、先生から完
全に『中沢』っていう不安要素を消しといた方が、厄介なこ
とに巻き込まれにくいんじゃないかなと」

「もっともだ」

先生は、決心が固まったんだろう。
婚姻届の夫の姓のところにさっと丸を書いた。

「これで行こう!」

それを見て苦笑していたかんちゃんも、大きく頷いた。

「分かりました! 苦労をかけますが」

「いや、わたしは楽になるよ。苦労するのはかんちゃんの方
さ。済まんね」

「いえ。一人でないと言うだけで、こんなに前向きになれる
んですから」

かんちゃんは、いつもの優しい笑顔をいっぱいに浮かべて。
婚姻届の自署欄に名前を書いた。
中沢先生も、続いてその下に自署する。

それをじいっと見ていたしゃらが、思わぬ突っ込みを入れた。

「先生」

「うん?」

「お式は……するんですか?」

「しない」

きっぱりと。中沢先生が否定した。

「わたしにもかんちゃんにも、結婚を心から祝ってくれる肉
親がいない。それなのに形だけ結婚式をしたところで、悲し
いだけだよ」

確かに……そうかも知れない。

「それにね……」

肩を落とした中沢先生が、急に小声になった。

「わたしはまだ……自信がないんだよ」

「なんの……ですか?」

「二人でやっていく自信」

「……」

婚姻届をひょいとつまみ上げた先生は、それをぴらぴらっと
振った。

「こんなのは紙切れの話さ。戸籍上夫婦であっても、その実
態がないなんてのはざらにある」

「……」

「結婚ていうのは形式の問題じゃない。覚悟の問題なんだよ」

「先生は、それを固めたから入籍するんじゃないんですか?」

僕は真正面から突っ込んだ。

しばらく俯いて黙っていた先生は、ゆっくりと首を横に振っ
た。

「前に……工藤くんに突っ込まれた通りだよ」

「あ」

「わたしには逃げ癖がついてる」

「……」

「追い込まれた時に足を踏ん張って戦うってことが……苦手
なんだ。すぐに後ろを向こうとしてしまう」

顔を上げた先生の視線が定まらない。
きょろきょろと落ち着きなく視線がさまよう。

「入籍だけでなく、人呼んで式までってなると……もう逃げ
られないんだ。まだそこまでの自信は……ない」

うーん……なんだかなあ。
なんだかなあと思ってるのは、僕だけじゃなくてしゃらもな
んだろう。眉を吊り上げて、きつい表情だ。

でも、そんなのおかしいじゃんて、僕らが言えるようなこと
でもない。
それは、先生とかんちゃんの間で詰めてもらうしかないよね。

だけど、一つだけ確かめておかないと。

「先生」

「なに?」

「入籍のことは、学校には伝えるんですか?」

「伝える」

うん。それならいいんじゃないかな。
しゃらもほっとしたんだろう。きつかった表情を緩めた。

「わたしとかんちゃんとの付き合いには、何もやましいこと
はない。過去にいろいろあったって言っても、お互い初婚同
士さ」

「あ、そうか」

「そのまま伝えるよ。公的な手続きもどんどん済ませる」

うん。
自信がない。逃げ癖が解消してない。
先生の告白は、確かにその通りなんだろう。

でも、先生はそれでいいとは思ってない。
ちゃんと入籍すること。それを公開すること。
さっきの姓の選択の話だってそうだよね。
まだびくびくはしてるんだろうけど、それでも先生は前に進
もうとしてる。

それでいいじゃん。

「おぎちゃんが、えびちゃんになったみたいに、中沢先生の
呼び方も変えないとなんないんだなー」

「あ、そうかあ」

しゃらが、むーと考え込んだ。

「ひぐち先生って、なんとなくあれだよねー。硬いよね」

「ひーちゃん」

僕がにやっと笑ってそう言ったら、先生がばたばた暴れた。

「やだあ! それだけは絶対にやだあ!」

「えー? どうしてですか? かわいいじゃん」

「いやあああああっ!」

「わはははははっ!」

先生の横で、かんちゃんが腹を抱えて笑い転げていた。
僕はその姿を見て、なーんにも心配要らないと思った。

先生、大丈夫だよ。
かんちゃんをこんな風に無防備に出来るのは、先生だけなん
だからさ。



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風来鶏

初婚同士が婚姻届を提出すると、お互いに親の籍を離れて"新しい籍が誕生する"ことになりますので、この場合は「入籍」とはならないそうですね(^^;;
by 風来鶏 (2017-06-09 08:48) 

水円 岳

>風来鶏さん

コメントありがとうございます。(^^)

わはは。そうですね。
でも世間一般では、儀式としての結婚式、実としての『入籍』
という意識でしょうね。女性にとっては、ね。(^_-)☆

その意識がいいのかどうかは、また別の話。(^^;;


by 水円 岳 (2017-06-11 20:39) 

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