So-net無料ブログ作成
検索選択

三年生編 第54話(11) [小説]

「昨日は、しゃらと一緒に森本先生が勤めてるグラナーダに
行って、市の福祉課の人を交えてずっとその話をしてたんだ」

「結論は?」

「まだ出てない。でも、行政側は最低限、弓削さんと赤ちゃ
んを切り離さないとケア出来ないって考えてるの」

「それが困難……ってことか」

「そう。弓削さんは、今まで絶対的な支配者の命令を聞くこ
とで生きてきたの。今は、支配者が誰もいない。唯一弓削さ
んを支配出来るのが赤ちゃんなの。弓削さんが赤ちゃんにこ
だわるのは、母親として愛情があるからじゃなくて、そこに
しか拠り所がないからだと思う」

「げえっ!」

母さんが、顎が外れるんじゃないかってくらい、でかい口を
開けて絶句した。

「なのに、今弓削さんから赤ちゃんを取り上げたらどうなる
と思う?」

しーん……。
言うまでもないよね。それは、死ねっていうことと同じだ。

「性格障害の治療、育児、日常生活の訓練、勉強、仕事出来
るようにするための社会訓練……。そんなの、いっぺんにこ
なせるわけないじゃん! 僕だって絶対出来ないよ!」

「ああ、そうだね」

伯母さんが、ぱんと腿を叩いた。

「何はともあれ、まず居場所だね。居場所が確保出来れば、
次はサポーターの確保」

「うん」

「で、公的施設、例えば児童福祉施設では受け入れが出来な
いってことでしょ?」

「そう。性格障害と学力のハンデのある弓削さんは、そもそ
もグループホームとかは無理。でも、病院とかの施設に入居
して個別のケアを受けるには、赤ちゃんがネックになるの」

「そうだろね」

「里親にケアを頼むにも、やっぱり赤ちゃんがネックになっ
ちゃうんだ。だから市の福祉課の担当の人のプランは、最初
から就労支援一本槍だったの」

「ばかか」

伯母さんが、ばっさり切り捨てた。

「仕事? 何が出来るっていうの?」

「でしょ? ただ……」

「うん?」

「市の人がそうやって誤解しちゃうのは、分からないでもな
いんだよね」

「どうして?」

「弓削さんが、見かけは崩れているように見えないから」

「……」

「礼儀はしっかりしてる。素直に指導に従う。ああ、この子
なら大丈夫だなって、思っちゃうじゃん」

「そうか……」

「それに、自我が極端に小さいってことは誤解を生みやすい
の。ぶりっ子に見られやすい。こいつ、いいかっこしいで、
本当はろくでなしなんじゃないかって。もっと世間を知って
苦労しやがれって思われちゃう」

「……」

「あの五条さんだって、最初そう疑ったんだから」

「ううーん」

うなったきり、みんなが黙り込んじゃった。
そりゃそうだよ。長友さんや森本先生は百戦錬磨のプロ。
そのプロがお手上げなのに、素人の僕らが何かいい案を思い
つくわけないじゃん。

僕は、そっちは期待してない。
それよか、僕やしゃらが弓削さんのサポートで動くことをき
ちんと理解して欲しい。特に、母さんと伯母さんにね。

最初に匙を投げたのは、母さんだった。

「無理。私の頭では何も考えつかない」

「俺も思いつかないよ」

父さんも、弱々しく首を振った。

「当座、居候させてくれっていうリクエストが来れば、それ
には応じられるさ。でも、ケアまでは出来ん」

「そうなのよね……」

母さんが深い溜息を漏らした。

「うちは、日中無人になることが多い。それじゃあ……」

母さんがパートに出てる以上、見てあげられる時間が限られ
てしまう。
赤ちゃんを抱えている弓削さんを一人で放っておくなら、ケ
アにならないもの。それじゃ、田中と同じだ。

「わたしは、自分のことで精一杯」

実生が、ぼそっと漏らした。
ぽんいちの厳しくなったカリキュラムに強いプレッシャーを
感じている実生は、本当に余裕がないだろう。

「僕にはしゃらがいるから、彼女の密接ケアは出来ない。そ
もそも受験生だし」

「ああ、そうだな」

「うちで直接関われる部分は、最初からうんと限られてる。
いや、うちだけじゃなくてどこもそうだと思うんだよね。少
しなら手伝ってあげるよっていう人は、きっといっぱい確保
出来ると思うの。でも弓削さんのケースでは、それじゃあ全
然間に合わないんだ」

「ヘルプでなくて、ケアだからなあ……」

父さんが、珍しく苛立ちを直に顔に出した。
さっきから腕組みしたまま微動だにしなかった伯母さんが、
声を絞り出した。

「なるほどね……力で動かせない部分をどうするか、か」

腕組みを解いた伯母さんは、僕らの顔をぐるっと見回した。

 



共通テーマ:趣味・カルチャー