So-net無料ブログ作成

このおはなしについて


ご訪問ありがとうございます。(^^)

 ぐりーんふぃんがーずくらぶ日誌は、父親の転職に合わせ
てとある街の新居に引っ越してきた男の子、いっきこと工藤
樹生(いつき)の高校生活三年間を、主人公本人が日誌のよ
うな形で綴って行く小説です。基本、一日で一話が完結する
オムニバス形式になっています。

 通い始めた田貫第一高校(ぽんいち)の荒れた中庭を再生
する。いっきの小さな思いつきは、やがて多くの人々を巻き
込んで、いっき本人が思いもよらなかった様々な人間模様を
生み出すことになります。

 恋人になるしゃらこと御園沙良(みその さら)、親友と
していっきと絡むかっちんこと中塚勝広(なかつか かつひ
ろ)となっつこと井本夏乃(いもと なつの)、いっきたち
を支える生物教師の中沢瑞宝(なかざわ みずほ)と婦警の
五条千咲(ごじょう ちさき)。

 そして、いっきやしゃらの園芸の先生として二人の生き方
に深く関わるようになる隣家のおばさん、会長こと波斗聡子
(はと さとこ)。

 いっきはたくさんの人々との関わりを介して、何を見て、
何を感じて、その高校生活を駆け抜けて行くのでしょうか?
そしてそれを、どう自分の未来につなげていくのでしょうか?

 長い長いおはなしになると思います。どうかお暇な時にで
も、ご一読いただければ幸いです。(^^)



                    水円 岳 拝


gfc1.jpg



認証は『46』です。
「読む」ということで。(^m^)


前の1件 | -

てぃくる 375 最後の最後 [てぃくる]



mmj.jpg


 ほとんど全ての落葉樹が葉を落としてしまった中で、一本のモミジが見事な紅葉を見せていました。

 他の木と同じに色付いたわけではなく。他の木々が装った頃にはまだ緑で、他の木々の紅葉がピークアウトし、散り始めた頃から一気に赤くなったのでしょう。

 最後の最後に己の美しさを誇っている姿を見ると、いつ映えるのかというタイミングが必ずしも他者と同じでなくてもいいんだと思えますね。

 ただ……。

 画像のモミジが他の木と同様に色付けなかったのは、他の木の下に生えていて、虐げられていたからです。光を十分に受けられなければ、少しでも長く緑の葉を維持しないと生き延びられません。我慢してやりくりしてきて、最後の最後に光を受けられるようになった時には、もう葉の機能が終わり。赤くなったら、あとは散るだけです。

 最後の最後まできりりと赤いモミジを愛でる人間とは裏腹に、モミジの方はもう少し緑でいたかった……と恨み節を漏らしているかもしれませんね。

◇ ◇ ◇

 これが樹木のことであれば自然の摂理ですが、人間の場合はそうはいきません。

 わたしたちは、いろんな理由で下生えの立場にならざるを得ないことがあります。
 そういう立場の方々が何かのはずみで一躍日の当たるところに現れると、長い不遇の時があってこそ今の成功……そういう論調が必要以上に溢れるんですよ。

 いいえ。必ずしもそうじゃない。
 わたしはそう考えます。

 その長い不遇の時は、彼らにとって本当に必要だったの?
 もっと早くに不遇が解消されていれば、彼らが手にできたものはもっと豊かだったんじゃないの?

 結局ね、誰もかれもが、成功した姿……紅葉した姿しか目に入れない。評価しない。
 いいんですかね? それで?

 長い冬に耐えるために、落葉樹はそれまで使っていた葉から栄養を回収したあと枝から切り離します。紅葉は、そのステージの一様態に過ぎません。わたしたちが評価している最後の艶姿。その美醜や価値観は、彼らには何も意味がないんです。

 最後の最後に装うモミジを見上げて。

 ……ふと顔をしかめてしまいました。





 
  散落葉飢へたる鹿は食み歩く







The Fallen Leaves by Dan Gibons Solitudes



nice!(20)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の1件 | -